人権啓発講演会(海老名市主催、人権擁護委員会共催)H氏の話を聴いての問題点
大治 朋子
講演のとき、H氏は車椅子で登壇されたようで、姿が見えず、声が聞こえるのみでした。 「手が普通に動かないので、お手伝いをしていただきます。指名(?)された人はよろしく」ということのようだった。赤い服を着た女性が最初に指名され、何かお手伝いをしていたよう。何しろ階段教室風でないので後ろの席では何も見えない。その女性はH氏のお友達とH氏の説明。後でH氏に「赤い服はよく似合う…」というようなことを言われていました。 この講演の前には「中学生人権作文コンテスト表彰式」があり、前列には表彰された中学生14人(一人欠席)が着席。その中の一人の女生徒がお手伝いに指名され、H氏のお手伝いをして席に戻る後ろ姿に向って「後でケータイ教えてね!」と声をかけるH氏。女生徒の顔は私たちの方を向いている。知らないおじさんから大勢の面前で「ケータイ教えて」と言われた女子中学生の気持は?困惑した表情のように見受けた私は、違和感と同時に「これはひどいセクシャルハラスメントではないか!」と感じたのです。


私には深い違和感だったが、H氏は軽い冗談のつもりなのだろう。その後、男子生徒が指名されてペットボトルのキャップを開けストローを入れてH氏の口元に運んだ。私は何を手伝わせているのか身を乗り出してようやく人の隙間から垣間見ることが出来た。手伝いをした男子中学生が席へ戻った時は「ケータイ教えてくれなくてもいいよ」とH氏の言葉。彼は軽口、笑いを誘う冗談として言っているのだろうが(現に大きくはないが笑い声が聞こえていたように記憶している)、それが重大な問題なのです。前の女生徒はダメ押しで恥かしい思いをしたことでしょう。自分は「尊厳と人格のある人間」としてではなくただ女として見られている…と。
自分の子どもや孫の女子中学生が、知らないおじさんに「ケータイ番号教えてね」と、声をかけられたとして、親として祖父母として何も思いませんか? 私は女性差別に対する怒りを覚えます。 これが冗談としてまかり通っている社会(笑い声もあった)の病巣の深さを感じ、男女共同参画社会の実現をこの十数年目指してきた私は暗澹とした思いに駆られたのです。
障害者も差別される対象・女性も差別される対象、そこに「障害者と女性の連帯が築かれるはず」と考え、三年前政策研究員の個人研究として「男女共同参画社会の実現とノーマライゼーション」をとりあげました。ちょうど、ノーマライゼーション条例が出来た頃です。しかし人種・障がい・弱者・貧困などの差別対象のその底辺には必ず女性差別が串刺しのように最後についてくる現実があるのです。
今回の様な「人権啓発」というように目的がはっきりしている問題に対してはその趣旨に沿った講演者の選定と言葉に対する敏感さと心配りが必要ではないのでしょうか? 自治体、そして市民の姿勢が問われるときです。