1・ひるまずファンタスティックに生き延び、そして、その場を共有すること。
文:中西美穂![]()
《R246星とロケット》2007-2008年
※ 文中斜字体部分は2009年10月2日、ブルーテント村でのインタビュー時のいちむらみさこの発言。
いちむらみさこは、東京都内の公園にあるブルーテント村に住み、時に高架下や駅のダンボールハウスに寝泊まりしている、1971年生まれのアーティスト。ブルーテント村での日々を綴ったドローイング&エッセイ集『Dearキクチさん、ブルーテント村とチョコレート』 を2006年に出版し、2007年7月にロンドンで開かれたホームレスアートフェスティバル『ten feet away international』に現役ホームレス・アーティストとして招待され、同年10月よりホームレスの女性達と布ナプキンをつくるプロジェクト『ノラ』を主宰している。
いちむらは、自分自身がブルーテント村やダンボールに寝泊まりしていることから、“ホームレス・アーティスト”と名乗る。そのアート活動は、絵画作品や彫刻作品を発表するという形式ではない。最初は、絵やパフォーマンスやちょっとしたパーティーなのだが、結果的には顔見知りの人々に留まらず、見ず知らずの人々にも広く強く訴えかける。視覚的で、空間的で、参加型で、時間をも味方にする、彼女の“アート”は、社会的排除に強く反対する。しかし、見かけは、ほんわかカワイイ系で、エコ系で、ヘタウマてづくり系。そんないちむらの“アート活動”は、どのような場から生まれ育まれるのであろうか。またそこで、アーティスト自身は何を思っているのだろうか。
ホームレスの暮らしは、女性と男性とで何が違う?
ホームレスといえば男性を思い浮かべる人が一般的ではないだろうか?いちむらは女性。例えばどのような体験があるのだろうか?
昨年の5月、いちむらの眠るダンボールハウスに、通りすがりのスーツ姿の若い男性三人が故意に当たってきた(見えてないが、蹴られたような感じ)。このような路上のダンボールハウスで眠る人への一方的な暴力は珍しくない。慣れもあるので、泣き寝入りし、何も言わないことが多い。だが、その日ばかりは、なんだかたまらず飛び出し、彼らを追いかけ、苦言を述べた。
「まさかダンボールの中から、女の子が飛び出してくるとは思わなかったと思う」
「顔を出して寝ればいい、とのアドバイスももらったけど、私の顔は“おっさん”じゃないし(特異性をさらすだけ)‥‥‥」
夏になるとダンボールの中に入らずに眠る。顔が見えると、今度は「身体を売らないのか?」と知らない男性から声をかけられるようになる。
女性のホームレスであるいちむらの場合、姿を見せなければ男性のホームレスと同等に暴力を受け、姿を見せれば、セクシーポーズもしてもいないのに、性欲の対象としての「女」と見られる。
ホームレスをはじめたきっかけは?
「ここ(ブルーテント村)に住みはじめる前から、(アーティストの小川てつオが先に住んでいたので)ずっと遊びに来ていて、ここに住みたい気持ち、ここに自分のテントを張りたいという気持ち」がまず芽生えたそうだ。生まれも育ちも関西の彼女は、大学院進学をきっかけに東京で暮らしはじめた。当時は友人とアパートに暮らしていた。ブルーテント村のある公園は緑が多く広々としていて、都会の騒音も届かない。そのなかに、ひっそりと存在するテント村は、ごみごみした感じが全くなく「おだやかな感じ」。
そのブルーテント村に自分のテントをたてた時 「ヤッター!!(両手をあげるジェスチャー付き)」と、達成感を感じたという。
学生時代から、日本のあちこちを旅し、先々で野宿していたいちむらにとって、ブルーテント村に住むことは、ホームレスになることが目的ではなく、自分自身の手でつくった居心地の良い場所に暮らすことだったのだ。
《絵を描く会》
ブルーテント村で暮らしながら、ホームレスの日常の諸問題や、社会的立場や、そこからくる課題を見聞しつつ、いちむらは、小川てつオとともに営む『カフェ・エノアール』(人が集うスペース。持ち込んだ食材等でお茶を楽しめる物々交換カフェ)で、小川とともに《絵を描く会》(2004年〜)をはじめる。
「ここで絵を描き始めた人や、その絵を見に来るほとんどの村の人達は、以前から、日常に絵があったということではありません。でも、この絵のある場所を十分に楽しんでいます。(中略)
そしてなによりも、ここで描かれた絵は、この村の拾われた物で出来ている暮らしの中で、唯一はっきりと存在している物のように見えます。また、その絵をここにいる人達と共有しているという実感は、私にとってとても心地よいのです。」
(いちむらみさこ 2006 『Dearキクチさん』)
《絵を描く会》は、絵を描くことを通して社会的に排除されているホームレスの創造性を引き出し、“絵”としてそれを顕在化させ、暮らしの中(コミュニティ)で“絵”を展示等で共有することにより、そこに関わる人々をエンパワーメントするアートプロジェクトといえる。
国際ホームレスアートフェスティバルでの違和感と、パフォーマンス《「公共」と「アート」》
2007年7月27~29日、いちむらは国際ホームレスアートフェスティバル『The feet away international』(会場:ロンドンのセントジョンズ教会)に参加した。そのフェスティバルの参加者は、元ホームレスと支援者ばかりで、現役ホームレスは参加どころか、飲酒していることを理由に入場さえもできない。ロンドンでは路上など公共の場では飲酒禁止という条例があるらしく、フェスティバルも公共の場だから飲酒禁止。だから日常的に飲酒していることが多いロンドンの現役ホームレスは入場禁止になるのだ。“ホームレスの現実の暮らし”が、ホームレスアートフェスティバルと、切り離された状態である。いちむらは、強い違和感を覚えた。
同年11月23日午後2時、いちむらは、渋谷駅の東口と南口を結ぶ国道246号線の高架下で、《「公共」と「アート」》というパフォーマンスを仲間とともに、行う。
「ここは、ダンボールハウスで暮らしている人たちが10人ほどいます。しかし、その壁にアートギャラリーと称して壁画が描かれ、その作品の支障になるからと、製作者サイドや、ギャラリーサイドが住んでいる人達を追い出そうとしています。
そのギャラリーは、絵は見えないし、しかもその場がギャラリーとして称されると、住んでいる人たちが不本意に見せ物になってしまいます。これでは、まったくパブリックアートになっていません。その「アート」の乱用を推し進めようとプロジェクトチームや製作者は、住んでいる人たちに対して、追い出しを迫り、これを強行に肯定しようとしています。
私はこの場所に通行人と住んでいる人たちを同一化したパフォーマンスを行いました。公共の場所におけるアート作品の意味を考えたいです。また、たくさんの人達にこの排除の危機を知ってもらいたいです。」
(いちむらみさこ 2007 「11月23日14時 パフォーマンス」『ブログ R246 homelesshome』)
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写真:《「公共」と「アート」》2007年、パフォーマンス(写真:関根ま)
ブログに掲載されているパフォーマンスの写真を見ると、パステルカラーの三角屋根を持ち、小さな窓がついた、大人が両手でどうにか一抱えできるぐらいの大きさのダンボール製の“家”を、三人がひとつずつ被って歩いている。“家”に手足がついている漫画キャラクターのようだ。太陽光が高架下にも差し込む午後、その3つの“家”は高架下を行き来し、駅の階段を登り、高架下の“壁画”の前に、手足を縮めて落ち着く。パステルカラーの三角屋根を持つダンボール製の“家”は、同系色のパステルカラーの“壁画”を背景にし、高架下に、こどもの頃に絵本でみたおとぎ話の一シーンのような風景をつくる。「この家にはどんな人が住んでいるのだろう?」「この家に住む人はどこからきたのだろう?」「住み心地はどうだろうか?」などなど、暢気な空想を思い描いてしまう。
夜に出会うダンボールハウスは、「見慣れている」、「辛そうな他人の生活の一端を見たくない」、「自分の生活に手一杯、他人には関わらない様にしよう」というような感情を持つことが、一般的には多いのではないだろうか。そして、ダンボールハウスの「暮らし」が、そこにあるのに、まるでないかのように、考えておこうとしているのではないだろうか?
この《「公共」と「アート」》と題されたパフォーマンスでは、「そこにあるのに、まるでないかのように、考えておこうとしている」通行人の多く(筆者もその一人)に、アートを通して、公共の場と呼ばれる高架下の「暮らし」を、 “家”のイメージをつかって問いかける。 筆者はさらには、「たとえ自立した一人の人間のつもりでいても、さまざまな場面で、○○ちゃんのお母さん(お父さん)、△の妻(夫)など、一人の人間として尊重されずに家の単位で管理し扱われるなど、日本社会にはさまざまな窮屈さがあり、その窮屈さに気がつかないお人好しを演じれば、おとぎ話の一シーンのように“幸せ”に暮らしていける。」という事実を、人々に問うているようにも感じた。そう考えた時、まるでないかのように考えておこうとしているのは、ダンボールハウスの暮らしのみならず、自分自身の暮らしの中にある窮屈さではないかと、思えてくる。
いちむらはこの壁画について、こう述べている。
「自分は(アート)作品つくっているし、ホームレス。(壁画という名のアートがホームレスを追い出すなんて)ひきさかれる感じがした」
渋谷の高架下では壁画というアートがホームレスを排除し、ロンドンのアートフェスティバルでは現役ホームレスが排除されていた。アーティストいちむらは《絵を描く会》の経験から、アートは、ホームレスの人々に共有できる何かをつくり勇気づけることができるのではないかと考える。だから、“アートフェスティバル”や“壁画”といったアートという名のもとに、共有でき勇気づける何か‥‥どころか、ホームレスへの社会的排除が起きることが、耐えられない。パフォーマンス作品《「公共」と「アート」》は、この現状に対するアーティストとしての一つの答えだ。
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