エッセイ

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わたしにはパンケーキが必要なんだ。(晩ごはん、なあに?23) トミヤマユキコ

2012.11.30 Fri

 ここのところずっと、気が狂ったようにパンケーキを食べている。

 かねてから細々とやっていた食べ歩きが本格化しており、一日二食は当たり前。多い時は一日四食も食べて、ちょっと吐きそうになったりした。ほとんど病気か阿呆の所行であるが、ムカムカする胃をなでさすりながら眠りに落ち、翌朝起きると「きょうはどこで食べようかな?」と思っているくらいだから、ひょっとしたらこれはもう、愛なのかもしれない。両親も祖父母も秋田の人間で、幼いころから米の旨さを骨の髄までたたき込まれて育った女なのに。不思議だ。

 これだけ食べまくっていると、パンケーキとホットケーキの違いが何かと訊かれる機会も多い。パンケーキの「パン」は、フライパンの「パン」であり「平鍋」を意味している。平鍋で焼いたケーキなら、なんだってパンケーキなのだから、お好み焼きだってパンケーキだと言えなくはない。

 ただし、世界のいろいろなパンケーキと比較した時に、日本で「ホットケーキ」と呼ばれているものが、けっこう個性的だということは、声を大にしていいたい。世界的には、平べったくて塩気の強い生地が大多数を占めるなか、ジャパニーズ・パンケーキことホットケーキだけは、甘い味付けがなされ、厚みとか膨らみに重点が置かれ、独自の路線を突き進んでいるのである。外国の人が「日本のパンケーキはおいしい」と言っていた話も聞いたことがある。おそらくその人の国には、あんなに甘くてふっくらしたパンケーキがないのだろう。最近ではハワイアンパンケーキなど、海外モノのパンケーキが人気だし、わたしも大好きだが、日本のホットケーキのことはパンケーキの希少種として、とても大切に思っている。

 パンケーキの食べ歩きブログをやっている人の多くは、冷凍モノに当たるとものすごく悲しそうにしているけれど、わたしはそんなに凹まないタイプだ。「パンケーキに貴賤なし」をモットーに、どんなパンケーキもおいしくいただきます。なんか、冷凍モノ独特の香りや、生地の表面に現れる細かいシワなんかも余裕で許せるし、自分の中で「しょぼ旨い」みたいなジャンルが、勝手に開拓されつつある。この調子でいけば、歳をとり、加齢臭やシワとかに悩むひとにもきっと優しくできるだろう。パンケーキから学んだことは、人生にも応用が利くと信じたい。

 そしてとうとう、わたしはパンケーキに関する本を出版することになった。なってしまった。わたしはフードライターではない。ふだんは、論文を書いたり、大学で教えたり、書評を書いたりしているような人間なのだ。しかも専門は日本の近現代文学やサブカルチャー。フードとは、清々しいくらい何の関係もない。

  本の中では、お店の紹介はもちろん、オススメのホットケーキミックスの紹介なんかもやることに決まったが、原稿を書きはじめた当初、わたしはかなり懊悩した。それなりにたくさんの本を読んで生きてきたのに、過去の読書から得た知識やら教養やらがほとんど役に立たなかったからだ。なにしろ読んでいる本の種類が違いすぎた。粉と卵と牛乳を混ぜて焼くだけでありながら、味や食感にさまざまなヴァリエーションがあるパンケーキの世界に立ち向かうには、あまりにボキャ貧だったわたし。文学テクストを読み、批評することと、料理というテクストを読み、批評することは、似て非なるもの——。

  原稿執筆は、修行の様相を呈した。おいしい、とひと言に言っても、どうおいしいのか、なぜおいしいのか。おいしいという言葉の中には、数多の翻訳可能性がある。わたしにとって、おいしさについて書くことは外国語学習にかぎりなく近かった。料理本やグルメ系雑誌を読み漁る自分は、まるで受験生のよう。ちなみにわたしは浪人経験者だから、落ちる哀しみはよく知っている。落ちるのは、もう二度とごめんです。

  書いて食べ、書いて食べしながら数ヶ月。ようやくひとさまにお目にかけられるものができ上がった。2013年1月中には『パンケーキ・ノート』という本が書店に並ぶだろう。いま現在、原稿執筆は最後の山場を迎えている。というか修羅場に近い。でもこれが、全然興味がない食材だったらと思うとそら恐ろしい。パンケーキに関する本でよかった。パンケーキが好きでよかった。あと、食べ過ぎて嫌いになるような惨事に見舞われなくてラッキーだった。追いかけてくる締め切り、削られる睡眠時間。しかしながらパンケーキは、きょうも相変わらず、とてもおいしい(ちなみにきょうは一日二食でした)。

 連載「晩ごはん、なあに?」は、毎月30日に掲載の予定です。以前の記事は、以下でお読みになれます。

http://wan.or.jp/reading/?=31

カテゴリー:晩ごはん、なあに?

タグ:くらし・生活 / / トミヤマユキコ