『中日新聞・東京新聞』2/11付け「考える広場 この国のかたち 3人の論者に聞く」における上野の発言、「平等に貧しくなろう」

に対して、移住連こと特定非営利活動法人移住者と連帯する全国ネットワーク・貧困対策プロジェクトから公開質問状を受け取りました。

一部のネット等で話題になっているようでもありますので、上野の回答を以下に公開いたします。なお発端が『中日新聞』記事でしたので、反論の掲載を中日新聞に求めましたが、断られたことをご報告申し上げます。


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特定非営利活動法人 移住者と連帯する全国ネットワーク・貧困対策プロジェクト
高谷幸さま

   2月13日付け中日新聞あてに届いた公開質問状を転送していただきました。
   以下1時間以上にわたる「談話」を簡略にまとめた記事では意を尽くせなかったところを、文書で説明したいと存じます。
 移住連の方たちや、のりこえネット、国際人権NGO等の方たちが、すでに国内に在住している外国籍の方たちの人権擁護のための活動を担っておられることには、100%の敬意を払っております。
 とはいえ、ご批判には基本的な誤読があると感じました。わたしの論の立て方と質問状とが対応しておりませんので、1対1対応ではなく、自論にそってお答えしたいと思います。
 第一に、私の見解はこれまでではなく、「これから」先の将来について論じたものです。
 第二に、ジェンダーやセクシュアリティと移民の問題が同じにできないのは、前者が選択できないのに対して、後者は政治的に選択可能だからです。(難民の問題は別です。)したがって、「公開質問状」にあった「この発言を、上野氏のご専門であるジェンダー問題におきかえると、「日本は女性差別的な国。日本人はフェミニズムには耐えられないでしょう。日本に女性はいない方がいいです」となります」は、まったく当たらない類推となります。

 日本の人口推計によれば2060年の人口推計は8674万人、人口規模1億人を維持しようと思えば1.3千万人の社会増(移民の導入)が必要となります。つまり40年間にわたって毎年およそ30万人、中都市の人口規模にあたる外国人を移民として迎えることを意味します。現在の1億2千万規模を維持したいなら3千万、およそ半世紀後に人口の1-3割が外国人という社会を構想するかどうかが問われています。
 出生率を政治的にコントロールすることはできないし、すべきではありませんが、移民は政治的に選択することができます。2000年代に入ってから経団連は「移民1000万人時代」(これまで「外国人」という用語を使い、「移民」と言ってきたことがなかったので、驚きでした)をうたい、政府は家事・介護労働市場への外国人の導入を検討しています。今のところいずれも及び腰ですが、この先、「この国のかたち」をどうするかについて、政策が提示されれば、わたしたち有権者も、それに対して賛否の判断をしなければなりません。
 現実には日本にはすでに相当数の外国人労働者が入ってきており、外国人労働力依存の高い業種があること、その外国人労働者が技能実習生制度等のもとで不当な取り扱いを受けていること、外国人の犯罪率は人口比からいうと日本人よりは低いこと…等はデータから承知しております。
 ですが、移民先進国で現在同時多発的に起きている「移民排斥」の動きにわたしは危機感を持っておりますし、日本も例外とは思えません。これから先、仮に「大量移民時代」を迎えるとしたら、移民が社会移動から切り離されてサバルタン化することや、それを通じて暴動やテロが発生すること(フランスのように…と書けばよかったんですね、事実ですから)、ネオナチのような排外主義や暴力的な攻撃が増大すること(ドイツのように)、排外主義的な政治的リーダーが影響力を持つようになること(イギリスのように)、また移民家事労働者の差別や虐待が起きること(シンガポールのように)などが、日本で起きないとは思えません。(なお移民国家であるアメリカとカナダは国の来歴が違うので、比較対象にするのは困難です。)それどころか移民先進国であるこれらの諸外国が直面している問題を、日本がそれ以上にうまくハンドリングできるとはとうてい思えません。それはすでに移民先進国の経験が教え、日本のこれまでの外国人への取り扱いの過去が教える悲観的な予測からです。
 アジアには人口輸出圧を持つ国がいくつもあります。もし非熟練市場を含む大規模な労働開国をしたとしたら、そのことによって得られる利益は当然あるでしょうが、その結果近い将来、起きうることが容易に予見可能でしょう。家事労働者を導入したら、「育メン」論争などふきとんで、機会費用の高い男女は、より稼いで家事をアウトソーシングする選択肢を選ぶでしょう。ケア労働者を導入したら、ケアワーカーの労働条件を改善しようという議論はふきとんで、現状の低賃金に同意して参入してくる外国人労働者への依存が高まるでしょう。
 これまでもとっくに外国人依存は進んでいた、というお考えの方もいるでしょう。EPA協定で年間500人の看護・介護労働者が入ってきましたが(もともと労働力不足の解消のためではなく、そのためなら焼け石に水の人数でしたが)、これが年間5千人、5万人の規模なら、どうなるでしょう。外国人家事労働者の導入にあたっても、労働者の人権を守るために「入れるならば、日本人と同じ労働条件で」という声は聞かれますが、だからといって、家事労働者の導入そのものに対する賛否の議論は避けられているように思えます。「移動の自由」と「労働の自由」を唱える「正義」のために、移民導入には表だって反対しないものの、現行の入管法を維持したまま、小出しに特例をつくっていくような姑息な政府のやりかたに怒りを覚えつつ、結果として沈黙によって追認を与えてしまっている事実を、わたしは苦い思いとともに自覚しています。その点では、移民導入是か非かの議論を避ける多くの人たちも、同じではないでしょうか。
 わたしは日本の女性のかかえる問題が、外国人労働者への負担の転嫁を通じて解決されることをよしとしません。日本の女性が手を汚さずにすんでいるのは、たんに利用可能な選択肢がないからだけのことでしょう。これとても、とっくに国外労働力へのアウトソーシングを通じて負担の転嫁は起きているという反論もありうるでしょうが、問題は規模の違いです。「五十歩百歩」という言い方がありますが、「五十歩」と「百歩」は違う、というのが政治的選択というものです。

 こう言うことは、もちろん、すでに国内に在住している外国人に出て行けということを意味しませんし、日本の難民受け入れが極端に少ないことは是正すべきだと思います。皆様方の熱意あるご活動にもかかわらず、すでに起きている国内の排外主義の動向やヘイトスピーチの現状を見れば、さらなる大量の移民の導入で、事態は悪化することこそあれ、改善することは望み薄というのがわたしの観測です。
 ご指摘のとおり、「社会的不公正や抑圧」は「移民の導入」の結果であって、原因ではありません。また「世界的な排外主義の波と移民増加は並行して生じる」というご指摘もそのとおりです。ですが、このうちの一方だけを手に入れることが難しいとしたら、その両方を避けるという選択肢もあってよいのではないでしょうか。
 反対にわたしの方からも、みなさま方に「移民一千万人時代」の推進に賛成されるかどうか、お聞きしたいものです。そしてそれが実現したときの効果を、どのように予測なさるかも。わたしたちが外国の人たちにどうぞ日本に安心して移住してください、あなた方の人権はお守りしますから、と言えるかどうかも。みなさま方の理想主義は貴重なものですが、理想と現実を取り違えることはできません。
 わたしは移民の大量導入に消極的ですし、その効果についてかつてよりも悲観的になってきました。悲観的になる根拠が増えてきたからです。
 どの社会も移民の導入について一定の条件を課しています。リベラルな移民政策を持つように見えるドイツやカナダも例外ではありません。まったく国境を開放した国民国家はいまのところ、ありません。それは再分配の範囲をどう定義するかという福祉国家の分配政治に関わるからです。そして福祉国家にはつねに潜在的に境界の管理が伴います。人口減少社会で「平等に貧しく」というシナリオは、再分配の強化を示したもので、国内の階層格差の拡大はその条件を掘り崩します。再分配路線に舵を切る、今が最後のチャンスかもしれません。

 ちなみに後半の憲法改正について「心配していない」というのは、今の段階で仮に憲法改正国民投票が実施されたとしたら、高い蓋然性で「否決」されるだろうという観測からです。ちょうど橋下大阪市長の提案した「大阪都構想」の住民投票が否決されたように。いくらかは現状維持の保守的心性からもあるでしょうが、各種の世論調査がその根拠を示しており、その点からいえば、国民投票の時期が早ければ早いほど否決の可能性は高いと言えるかもしれません。もっとも政権は、解釈改憲でこれだけのことができるのだから、もはや改憲の必要性を感じていないかもしれませんが。

 前半についてはわたしは悲観的、後半については楽観的な予測をしました。できれば悲観的な予測ははずれてほしいし、楽観的な予測には当たってほしいものですが、いずれにしても、アメリカの大統領選において、ほとんどの良識派ジャーナリズムの予測がはずれたのですから、わたしの予測も当たるかどうかはわかりません。

 日本の将来をどうするのかを決めるのは、政治という名の人為的な選択です。人口問題と移民政策とは切っても切れない関係にあります。人口減少社会を受け入れるのか、それとも自然減を社会増(移民の大量導入)で補完するのか…この問題をみなさまの公論に処してほしい、というのがわたしの意図したところです。