社会学者の北田暁大さんから『終わらない「失われた20年」 嗤う日本の「ナショナリズム」その後』(筑摩書房、2018年)の恵送を受けた。前著『嗤う日本のナショナリズム』(NHKブックス、2005年)はすぐれた著作だったし、この40年間の日本社会を覆う政治的シニシズムを、68年学生闘争にさかのぼって論じるという姿勢にも共感を持った。そのシニシズムを思想形成期にそのまま生きた団塊ジュニア世代からの、団塊世代への挑戦と読めた。
続編にあたる本書でも、団塊ジュニア世代から団塊世代への挑戦の姿勢はますますクリアになっている。団塊世代の知識人、内田樹、高橋源一郎などとならんで、その挑戦の主要なターゲットがわたし自身であり、全7章にわたる構成のうち、3章までに目次に上野の実名が挙げられている。うち1章はわたしと北田さんとの対談を収録したものである。
参考までに1-3章のタイトルを挙げておこう。
第1章 脱成長派は優しげな仮面をかぶったトランピアンである:上野千鶴子氏の「移民論」と日本特殊性論の左派的転向
第2章 政治的シニシズムの超え方:上野千鶴子氏との対話
第3章 上野千鶴子・消費社会と15年安保のあいだ:転向を許されない思想をめぐって
1章はタイトルのとおり、苛烈な批判である。第2章は対談、第3章はわたしの過去にさかのぼっての上野論であり、若い世代にこのような理解者を得たことの幸運に感謝したいくらいだ。「おわりに」で北田さんは「私が尊敬してやまなかった先行世代の論者たちが、自らに課したアイロニーに耐えきれずに(中略)ロスジェネの忘却を促していくことには、どうしても我慢ができなかった」[本書P 332]、そして「上野千鶴子という稀代の思想家の薫陶を受け、自分自身の人生にその資源を大いに使わせて頂いた者としての、最低限の礼儀」[本書P 334]として書いたという。北田さんはかつて東大上野ゼミに在籍したことがある。よい師であったか、いかなる「薫陶」を受けたかは、受け取った側にしかわからない。わたしの眼からは、ポストフェミニズム(フェミニズムの思想的洗礼を受けた世代)の男性研究者のもっとも誠実なひとり、と北田さんは見えていた。彼はこの初出にあたる『SYNODOS』(2017年2月21日)の原稿を「泣きながら」書いた、とあった。「あの上野が」という失望感が書かせたものだと思う。失望感は期待の裏返しでもある。
本書でも「心より尊敬してやまない上野氏に、最大限の敬意をもって『お手紙』を書かせていただくことにした」[本書P31]とある。これはその「お手紙」への返答である。断絶を前提として書かれたわけではない、信頼と敬意を伴う批判なら、それに応答するのが、わたし自身の「最低限の礼儀」だろう。
2章の対談の末尾で、わたし自身がこう語っている。
「わたしは40代のはじめごろのエッセイで(中略)、『社会科学が倫理的な学問であることを、カナリアが忘れていた唄を思い出すようにして思い出した』を書きました。学問には倫理性があるんです。社会学はとくにそうです」[本書P111]
「尊敬」は批判の手を緩めることを意味しない。わたしにも覚えがある。因果はめぐるというべきか。北田さんが本書で展開しているすべての論点について論じる余裕はない。だが最低限これらの批判のもとになった第1章「上野千鶴子氏の『移民論』」についてだけ、応答しておきたい。
件の「移民論」とは2017年2月11日付け中日新聞(東京新聞にも掲載)文化面「考える広場」に、「この国のかたち」と題して載せられた談話のまとめである。わたしはそこで「平等に貧しくなろう」と題して、移民に言及した。
そのなかで、「移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう」と発言したことが、さまざまな論者の批判を招いた。
そのなかでも移住連こと特定非営利活動法人移住者と連帯する全国ネットワーク・貧困対策プロジェクトから公開質問状を受け取った。
それに応答したのがWANサイト上の「ちづこのブログNo.113」の「人口減少か大量移民か」である。
結論から先に言おう。わたしはこの時の発言を後悔している。敬愛する先輩研究者、西川祐子さんがこう言ったことがある。「ひとはまちがうことがある。その間違いにどう対処するかで、そのひとの器が決まるのよ」と。それに従うなら、あの発言は間違っていたと潔く認めたい。
あの記事は、アメリカでおおかたのメディアの予測を裏切ってトランプが大統領に選ばれた後、そして年末にイギリスで国民投票によってまさかのBREXITが決定したあとに、排外主義とゼノフォビアの将来についてわたし自身がもっとも悲観的な時期に書かれた。「ブログ」のなかで、わたしはこう書いている。
「移民先進国であるこれらの諸外国が直面している問題を、日本がそれ以上にうまくハンドリングできるとはとうてい思えません。それはすでに移民先進国の経験が教え、日本のこれまでの外国人への取り扱いの過去が教える悲観的な予測からです。」
「すでに起きている国内の排外主義の動向やヘイトスピーチの現状を見れば、さらなる大量の移民の導入で、事態は悪化することこそあれ、改善することは望み薄というのがわたしの観測です。」
社会学者としてわたしは「理想主義を忘れない現実主義者」を自認してきたが、理想主義と現実主義のバランスをとるのは難しい。現実主義を忘れた理想主義はただの夢想だが、理想主義を忘れた現実主義も困りものだ。ここではわたしは後者へと傾いてしまったようだ。
わたしの脳裏にあったのは、保守派の現実主義である。90年代「労働開国是か非か?」の論議のなかで、保守派のドイツ研究者、西尾幹二氏は「ドイツの轍を踏むなかれ」と主張して、以下のように主張した。日本は「単一民族」どころか、戦前は植民地出身者を含む多民族社会だった。それを忘れたのは、敗戦後から続いた一時期にすぎない。もし再び日本が多民族社会になったら...「日本人は差別と抑圧の蜜の味をたちまち思い出すであろう」と。西尾氏の発言は、そのリアリズムでわたしの心底を寒からしめた。
現状でもじゅうぶんに抑圧的な日本社会が、今よりもっと悪くなることを目の前で見たくない、というエゴイズム---それをトランプなみの「自国中心主義」と言われれば、そう呼ばれてもしかたないだろう。
辛淑玉さんに『鬼哭啾々:「楽園」に帰還した私の家族』(解放出版社、2003年)という50年代から60年代の北朝鮮帰還事業をめぐる一族の歴史を描いた痛切な著書がある。叔父さんが渡った後に、あわや帰還船に乗せられそうになる寸前で、辛さん一家は思いとどまった。当時ユートピアのように描かれた北朝鮮に「帰還」したのは、実は北朝鮮出身者ではない朝鮮籍のひとびとも多かった。この事業を「人道」の名において支援した赤十字社や社会党など左派のひとびとに対して、辛さんはこういう。彼らがやったことは、「こんな差別だらけの日本にいても未来はないから、出て行きなさい」と朝鮮人を岸壁から追い落とすような所業ではなかったか、と。そして北の実情を薄々知りながらこの事業を推進したひとびとは、その後反省をしていない、と。
この告発の書を読んだとき、わたしは辛さんの告発に深く同感したはずだったのに、上記の発言でわたしがやったのは、彼らと同じことだった。辛さんと共にわたしは「のりこえネット」の共同代表を務めている。辛さんに対しても謝りたい。
このとき左派やリベラルがやるべきだったのは、もちろん外国人、とりわけ旧植民地出身者に対する差別をやめさせ、彼らの人権を守るように自分たちの社会に働きかけることだった。それどころか日本政府は、サンフランシスコ講和条約の成立と共に旧植民地出身者から、かつて押しつけた日本国籍を自動的に剥奪して「外国人」化し、それとともに国民としての一切の権利保障から排除したのだ。
人口問題を扱う多くの論者が、人口減少を所与の与件としているのに対して、わたしが不満を持っていたのは事実である。人口には自然増減と社会増減とがあるのは常識なのに、後者には一切触れず、前者を自明の前提とすることに対する欺瞞性を感じたからである。この自己欺瞞はちょうど「9条」護憲論者が、自衛隊と日米安保に触れない欺瞞性に似ている。
とこういううちに、移民政策の前で足踏みしていたかに見えた政府は、なしくずしに外国人労働者の導入拡大に踏み切っているように思える。すでに家事労働者の導入をめぐる特区も承認され、評判の悪い研修生枠も拡大しているようだ。それなら移民問題に関わる者たちがなすべきは、人種・国籍を問わず日本社会が迎え入れたひとびとの人権を、日本国民と同様の水準で保護することだろう。労働法制の保護のもとに置き、最低賃金制を適用し、職業選択の自由や移動の自由を保障する。一定の条件を満たせば国籍の取得も可能にするように。
北田さんは辛辣に書く。「『私は残念に思うけれども、現状をみていると、多文化主義に日本は耐えられそうにないから無理』というのであれば、『私は残念に思うけれども、現状をみていると、日本の家父長制は強固だから変えるのは無理』という理屈も通ってしまう」[本書P 37]
わたしは性差別の解消について理想主義を失ったことがないのだから、人種差別の解消についても理想主義を失うべきではなかった。
北田さんのことばを借りるなら「社会の公正性を希求する実践者であるなら(中略)法と公正としての正義の貫徹に向けて、どんなに辛く地味であっても、率直に対抗するための知的武器を作りだしていく作業を積み重ねていくしかない」[本書P28]
これまで先行する世代の多くの(男性)知識人が、年齢と共に保守旋回するのを見てきた。それを「他山の石」とすべく、わたし自身が辛辣な目を向けてきたのに、今度はわたし自身が逆の立場に立ったようだ。ひとは誤りやすい生きものだ。長い生涯のうちに、何度も誤りを冒す。時局に対して発言を続けることは、「塀の上を歩く」ようなものである。いつバランスを失って、塀の中へ落ちるかもわからない。事実そのように「あちら側」へ落ちるひとたちを見てきた。わたしが思考の座標軸の原点のように尊敬してきた鶴見俊輔さんも、「慰安婦」問題ではまちがいを冒した。イデオロギーでなく、自らを恃むのなら、選択はつねに賭けのようなものだ。正しさを保証しない。そしてまちがったとわかったら、それを正すのがよい。同じことは、これからわたしよりも長い時間、社会学者として発言を続けるだろう北田さん自身についても言える。子どもの世代にあたる同僚に、今回は教えられたことにふかく感謝する。
3章で彼は「転向を許されない思想」と書く。団塊ジュニアの世代の男性知識人は、フェミニズムをなかったことにはできずに思想形成した。この章は、そのもっとも良質のフェミニズム理解の水準を示すすぐれたものだ。「論理的に転向することのできない上野の立ち位置」からは、「上野は転向するにはあまりに誠実すぎる『強い思想家』なのだと、私は思う」とあるのは、言語行為論的に言えば、遂行的言語行為というべきだろう。このことばは、わたしを拘束するだろう。
後半の再分配や福祉国家、市民社会等々については、北田さんに対して異論がある。だが今はそれに触れる余裕がないので、他日を期したい。
これをもって、北田さんがわたしにあてた「手紙」への応答としたい。
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