11月26日の党首討論で、野田立憲民主党代表が企業・団体献金の見直しを求めたのに対して、高市首相は「そんなことよりも、衆院議員定数の削減をやりましょうよ」と言って、問題をそらしてしまいました。この発言はさすがに聞き過ごすことはできないとして、各方面から批判が出ています。

 公明党の斎藤鉄夫代表は、27日の党の会合で「企業献金規制は『そんなこと』なんでしょうか」と答弁を疑問視(毎日新聞2025/11/28)し、朝日新聞の社説は

 「野田氏は企業・団体献金の見直し問題にも触れ[…]首相の見解をただした。驚いたのが首相の応答だ。「そんなことよりも、定数の削減やりましょうよ」と、いきなり定数削減を持ち出したのだ。自民党の派閥の裏金問題で失墜した政治への信頼回復に向け、この間、与野党で議論を積み上げてきたテーマを「そんなこと」とは何事だろうか。」
と、激しく非難しています。(2025/11/27)

 思いがけない発言が波紋を呼んでいることにあわてた木原官房長官もまた、全く見当違いの釈明をしています。木原氏は首相の忠実な擁護者ぶりを見せようとしたのでしょう。記者会見で、「討論の残り時間がなくなる直前で、急いで話題を転換する趣旨」だったと説明したそうです(朝日新聞2025/11/28)。急いで話題を転換したいときだから「そんなことよりも」と言った、首相の発言は別に悪くない、との弁解のようですが、これは弁解にも擁護にもなっていません。政治献金の見直しを「そんなこと」と、無価値な見下げたものとして言い放ったことが問題なのに、忠誠ぶりを見せようとした官房長官は頓珍漢な弁解で、ここでも問題をそらしています。

 時間がなくて急いでいて、相手から出されている話題を転換したいとき、その話題は「そんなこと」だから、「そんなことよりも次の話題に移りましょう」などと言いますか。「このお話はまだまだ続けたいですが、時間がないので次の話題に移りませんか」などと言うのではありませんか。こちらから頼みたいようなときに相手側のことを「そんなこと」とは決して言いません。

 ここで、「そんなこと」はどういう文脈の中で使われるのか、新聞の記事を拾いながらおさらいしておきましょう。(太文字は遠藤)

①1度目は14階から飛び降りようとして、2度目は包丁で自分を刺そうとしました。でもどっちも「そんなことしたら死んじゃうよ」と思って正気に戻ってやめました。(朝日新聞2025/11/18)
②アベノミクスとは一言で言ってしまえば、政府・日銀に「打ち出の小づち」があるかどうかを試す賭けだった。もちろんあるわけはないし、そんなことを試すために国民はいったいどれだけのコストを払わされたのだろうか。(同2025/11/15)
③母親「家を空けたら、犬が留守番することになってかわいそうでしょう。家を荒らすしね」
 リョウ「ちょっとちょっと、そんなこと言ってたらほんとに何にもできないじゃん」(同2025/11/14)

 「そんな」は、「あんな」「こんな」「それ」「あそこ」などと同じく指示詞ですから、すでに述べられていることを指し示しています。①②③の「そんなこと」は、①では「14階から飛びおりることと、包丁で自分を刺すこと」、②は「政府・日銀に『打ち出の小づち』があるかどうかを試すこと」、③は、「家を空けたら、犬が留守番することになってかわいそうだということ」を、それぞれ指しています。どれも否定的な暗い内容の事柄を指しています。

  高市発言で斎藤公明党代表が疑問に思い、朝日新聞の社説が憤ったのは、高市氏の「そんなこと」が、討論相手の提案を見くびり軽んじていることを如実に表しているからです。本当に失礼な発言です。台湾有事の発言といい、首相の発言は軽率すぎます。防衛費の増額、外国人への規制など物事をはっきり言うとして、若い人からの支持も高いらしい。その予想外の高い支持率に自信を得て、おごりが出ているのではないですか。

 首相が師と仰ぎ、その継承を自他ともに認める安倍元首相の「こんな人」発言を思い出します。2017年、秋葉原で都議選の応援演説をしていたとき、安倍氏はヤジを飛ばす聴衆に向かって「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放ちました。いかにも人を見下げた憎々しい表現は、安倍氏の人格が投影されていると思われるものでした。

 尊敬する先輩として仰ぎ、その政治家としての働き方を見習うのはかまいませんが、人との対立をあおるような品のない物言いの模倣はしないでほしいものです。