女性学ジャーナル

リサーチ(研究)・アクション(活動)・カルチャー(文化)の
3つの領域で、あなたの思いを読者に発信します。

コメンタリーボード紹介

  • 上野千鶴子(うえの ちづこ)

    上野千鶴子(うえの ちづこ) 1948年生まれ。平安女学院短期大学、京都精華大学、東京大学大学院等を経て現在東京大学名誉教授。女性学・ジェンダー研究のパイオニア世代。セクシュアリティやケアにも関心が。WANには設立から関わって、現在3代目理事長。ウェブジャーナルを作るのは当初からの夢でした。著書に『家父長制と資本制』『差異の政治学』『生き延びるための思想』(以上岩波書店)『ナショナリズムとジェンダー』(青土社)『<おんな>の思想』(集英社インターナショナル)『女ぎらい』(紀伊國屋書店)『女たちのサバイバル作戦』(文春新書)『ケアの社会学』(太田出版)など多数。

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  • 原ひろ子(はら ひろこ)

    お茶の水女子大学名誉教授。元APWW(Asia Pacific Women’s Watch)代表、元・日本学術会議人間の安全保障とジェンダー委員会委員、ほかお茶の水女子大学/放送大学/城西国際大学などで教授として勤務。元・内閣府男女共同参画会議議員。著書『ヘヤー・インディアンとその世界』平凡者(1989)、『子どもの文化人類学』晶文社(1979以来続刊中)、『男女共同参画と男性・男児の役割』(近江美保・島津美和子との共編著)明石書店(2007)など。

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  • 阿部 裕子(あべ ひろこ)

    現在 、内閣府男女共同参画会議女性に対する暴力に関する専門調査会委員、かながわ人権政策推進懇話会委員、川崎市男女平等推進審議会委員、相模原市共同参画専門員、(一般社団)インクルージョンネットかながわ理事、かながわ生活困窮者自立支援ネットワーク代表、特定非営利活動法人かながわ女のスペースみずら理事

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  • 斎藤 美奈子(さいとうみなこ)

    1956年、新潟市生まれ。文芸評論家。編集者を経て、1994年、『妊娠小説』(筑摩書房。後にちくま文庫)でデビュー。以後、新聞や雑誌で、書評、文芸評論、時事コラムなどを執筆する。2002年、『文章読本さん江』(ちくま文庫)で第1回小林秀雄賞受賞。他の著書に『名作うしろ読みプレミアム』(中央公論新社)、『学校が教えないほんとうの政治の話』(筑摩書房)、『文庫解説ワンダーランド』(岩波新書)など多数。

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  • 伊藤比呂美(いとう ひろみ)

    1955年、東京都生まれ。性と身体性をテーマに、過激な言葉づかいで現代詩を揺さぶり続ける。『河原荒草』や『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』で、説経節と現代詩を融合した語り物の世界を作りあげ、『読み解き般若心経』『女の絶望』『女の一生』『父の生きる』『切腹考』などで、生活の中の死と生を力強く表現してきた。米国カリフォルニア在住だったのが今年(2018年)熊本に戻ってきた。3年間早稲田で教えます。写真 吉原洋一

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  • 伊藤公雄(いとう きみお)

    1970年代末頃から近現代社会の男性性を対象にした研究をテーマのひとつにしてきました。男性主導社会としての近代社会のたそがれ状況に際して、「男性学・男性性研究」の視点から、過去をふりかえりつつ、未来社会を構想してみたいと考えています。現在、京都産業大学で社会学を教えています。専攻は、文化社会学・政治社会学、ジェンダー研究です。うさぎ年、天秤座、O型です(意味があるかどうかはわかりませんが)。

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  • 浅倉むつ子(あさくら むつこ)

    1948年生まれ。東京都立大学大学院博士課程修了後、東京都立大学法学部教授を経て、現在、早稲田大学法学学術院教授。法学博士(1993年、早稲田大学)。労働法、ジェンダー法専攻。日本学術会議会員(2003年~2014年)、日本労働法学会代表理事(2003年~2005年)、ジェンダー法学会理事長(2007年~2009年)などを歴任。最近の関心事はイギリスの2010年平等法の研究。主な著書に、『雇用差別禁止法制の展望』(有斐閣、2016年)、『同一価値労働同一賃金原則の実施システム』(森ます美と共編著、有斐閣、2010年)、『労働法とジェンダー』(勁草書房、2004年)、『労働とジェンダーの法律学』(有斐閣、2000年)、『均等法の新世界』(有斐閣、1999年)、『男女雇用平等法論-イギリス と日本』(ドメス出版、1991年)などがある。

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  • 加納実紀代(かのう みきよ)

    1940年韓国ソウル生まれで、日本の植民地責任を刻印されているが、一方では広島の被爆者でもある。こうした加害と被害の二重性の解きほぐしを願って、1970年代半ばに戦時女性史研究会を立ち上げ、20年がかりで『銃後史ノート』(全18巻)を刊行。以後も戦争、植民地、天皇制、核問題等をジェンダーの視点から問い続ける。著書に『女たちの<銃後>』、『天皇制とジェンダー』、『ヒロシマとフクシマのあいだ』(いずれもインパクト出版会)など。2011年まで敬和学園大学特任教授。

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  • 戒能民江(かいのう たみえ)

    お茶の水女子大学名誉教授、専門はジェンダー法学・女性に対する暴力研究。性暴力禁止法をつくろう全国ネットワーク・女性と人権全国ネットワーク共同代表。現在、婦人保護事業を根本的に見直して、新たな女性支援事業の枠組みを構築するための運動に、もっとも力を入れている。主著に、戒能民江編著『危機をのりこえる女たち-DV法10年、支援の新地平へ』2013、信山社など。

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  • 米田佐代子(よねだ さよこ)

    70年近く昔新制高校に行くとき、「学年全体で女子生徒2名」という男子校に入学して以来、東京都立大学で25年間助手を務めたり「女性研究者は独身」と言われて意地で子どもを産んじゃったり「横紙破り」の人生でした。専門は日本の女性史。「平塚らいてう」という女を「ジェンダー偏見」から自由にとらえなおしたいと格闘しつつ「らいてうの家」に通っています。今年8回目の「年女」(84歳)ゆえ、「遠吠え」ではなく世の中の理不尽とケンカしたい。              似顔絵:北村ますみ画     

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  • 川上未映子(かわかみ みえこ)

    1976年8月29日、大阪府生まれ。2008年、『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞受賞。2010年、『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞。2013年、詩集『水瓶』で第43回高見順賞受賞。短編集『愛の夢とか』で第49回谷崎潤一郎賞受賞。2016年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞受賞。「マリーの愛の証明」にてGranta Best of Young Japanese Novelists 2016に選出。他に『すべて真夜中の恋人たち』や村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』など著書多数。2017年9月に刊行された『早稲田文学増刊 女性号』では責任編集を務めた。 2018年3月30日には短編集『ウィステリアと三人の女たち』 が刊行予定。

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  • 赤石千衣子(あかいし ちえこ)

    約30年前非婚のシングルマザーになる。NPO法人しんぐるまざあず・ふぉーらむ理事長。当事者としてシングルマザーと子どもたちが生き生きくらせる社会をめざして活動中。社会保障審議会児童部会ひとり親家庭の支援施策の在り方に関する専門委員会参加人。社会福祉士。著書に『ひとり親家庭』(岩波新書)、編著に『母子家庭にカンパイ!』『シ ングルマザー365日サポートブック』ほかがある。

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  • 治部 れんげ(じぶ れんげ)

    1997年一橋大学法学部卒業、日経BP社で16年間、経済雑誌の記者を務める。2006~07年ミシガン大学フルブライト客員研究員。2014年からフリージャーナリスト。東洋経済オンライン、日経DUAL、Yahoo!ニュース個人等で執筆。東京都男女平等参画審議会委員。財団法人ジョイセフ理事。財団法人女性労働協会評議員。昭和女子大研究員。東大情報学環客員研究員。著書に『稼ぐ妻 育てる夫 夫婦の戦略的役割交換』(勁草書房)等。2児の母。

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  • 増原 裕子(ますはら ひろこ)

    LGBTアクティビスト/コンサルタント。 株式会社トロワ・クルール代表取締役、LGBT法連合会事務局長代理。2011年よりレズビアンであることをオープンにして積極的に発信をしている。慶應大学大学院修士課程、慶應大学文学部卒業。ダイバーシティ経営におけるLGBT施策の推進支援を手がける。経営層、管理職、人事・総務担当者、営業職、労働組合メンバー等を対象としたLGBT研修の実績多数。

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  • 池川 玲子(いけがわ れいこ)

    1959年生。女性史研究。20代後半から、米田佐代子、折井美耶子らの率いる在野研究会で修業。40代半ばで大学院に進学し若桑みどりに師事。博論をもとにした『「帝国」の映画監督 坂根田鶴子 「開拓の花嫁」・一九四三年・満映』(吉川弘文館、2011)で青山なを賞受賞。以来、支脚を日本近現代女性史に、遊脚を文化表象に置いた研究を続けている。近刊に『ヌードと愛国』(単著、講談社、2014)、『〈妊婦〉アート論』(共著、青弓社、2018)等。

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  • 林 香里(はやし かおり)

    1963年名古屋市生まれ。ロイター通信東京支局記者、東京大学社会情報研究所助手、ドイツ、バンベルク大学客員研究員を経て、現在 東京大学大学院情報学環教授。 著書『メディア不信 何が問われているのか』岩波新書、2017年、『<オンナ・コドモ>のジャーナリズム ケアの倫理とともに』岩波書店、2011年(第4回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞)、『テレビ報道職のワーク・ライフ・アンバランス 13局男女30人の聞き取り調査から』(谷岡理香と共編著)大月書店、2013年、ほか。専門: ジャーナリズム/マスメディア研究。 ホームページ http://www.hayashik.iii.u-tokyo.ac.jp/

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  • 小林 富久子(こばやし ふくこ)

    1943年生まれ。早稲田大学名誉教授。1970年代後半『フェミニスト』編集委員、その後、当時の仲間と日本女性学会設立。早稲田大学ジェンダー研究所初代所長。現在、城西国際大学客員教授。主な著書:『円地文子―ジェンダ―で読む作家の生と作品』(新典社)、『ジェンダーとエスニシティで読むアメリカ女性作家』(学芸書林)。翻訳書:トリン・ミンハ『月が赤く満ちる時』(みすず書房)、トリン・ミンハ『ここの中の何処かへ』(平凡社)

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  • 信田 さよ子(のぶた さよこ)

    お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、精神科病院勤務等を経て1995年原宿カウンセリングセンターを設立。臨床心理士としてアディクションや引きこもりの本人・家族、DVや虐待、ハラスメントの加害者・被害者など、広く家族問題のカウンセリングを実施している。著書に『アディクションアプローチ』『DVと虐待』(以上、医学書院)『依存症』(文春新書)『依存症臨床論』(青土社)『アディクション臨床入門』(金剛出版)『母が重くてたまらない・墓守娘の嘆き』(春秋社)など多数。最新刊は『母・娘・祖母が共存するために』(朝日新聞出版、2018)

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  • 雨宮 処凛(あまみや かりん)

    1975年北海道生まれ。作家、活動家。バンギャ、フリーターを経て00年、『生き地獄天国』にてデビュー。以来、生きづらさの問題をテーマにしつつ、06年からは貧困・格差問題にも取り組む。著書に『一億総貧困時代』『「女子」という呪い』、上野千鶴子氏との対談『世代の痛み 団塊ジュニアから団塊への質問状』など多数。反貧困ネットワーク世話人。

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  • 私にとっての「女性学」という場 ――水田宗子の女性学と草創期の議論を再考して――

    2019/09/09

    • カルチャー

    著者名:石島亜由美

    コメンテーター:上野千鶴子(うえの ちづこ)

    日本における女性学・ジェンダー研究のパイオニア中のパイオニア、大学における日本初の女性学専攻を創立した水田宗子さん。その教えを受けた石島亜由美さんが、城西大学女性学専攻の制度的解体の危機を目の前にして、創設期をふりかえった、いわば私的研究史というべきもの。そのなかでも、女性学の発展にあたって、既存のディシプリンへの統合をめざした「統合型」と、分離をめざした「分離型」という上野の分類を用いて、日本では希有だった「分離型」女性学を経験した当事者としての、内部からの証言は貴重である。対象とする時代は1970年代後半の女性学草創期。そのため80年代以降の展開に触れられていないのがうらみだが、草創期に女性学をめぐっていかなる論点や対立があったかが、鮮明に立ち上がる。担い手の性別、運動と研究の関係など、女性学の初心に還る思いをさせられる。また、コンシャスネス・レイジングと切っても切り離せないフェミニスト・ペダゴジー(教育論)の原点に立ち返ることも思い起こさせる。水田女性学は著者の人生を変えた。実存と切り結ばないような女性学などなんの価値もない、と著者は誇りを持って宣言する。  それにしても、危機と解体の時期に回顧が登場するのは皮肉だが、女性学・ジェンダー研究の世代交代期にあたって、創業期を回顧し、批判的に位置づける研究史は、これから先も書かれるであろう。いずれわたし自身も歴史の一部になっていく女性学研究史の、重要な一角を占める論考。そして、女性学が「私から」発する学問としての性格を失わないかぎり、その研究史は、本論のように「私的」なものとなるだろう。  WAN女性学ジャーナルが採用するに、もっともふさわしい論文である。

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  • 石内都の「横須賀ストーリー」 境界の傷跡

    2019/07/13

    • カルチャー

    著者名:但馬みほ

    コメンテーター:池川 玲子(いけがわ れいこ)

    コメントを頼まれてひるんだ。なぜならコメンタリーボードに、他ならぬ伊藤比呂美さんがいらっしゃるから。『岩波女性学事典』のモノクロ表紙、あのニュアンスあふれる手と背中は、どちらも石内都撮影になる伊藤比呂美の身体パーツである。ここは是非、伊藤さんのコメントが読みたいところ…と思いつつも、編集部に差し戻ししなかったのは、いくつかのワタクシゴトのゆえである。  2005年の春、東京都写真美術館の笠原美智子さんに、研究報告を聞いてもらえる機会があった。テーマは「満洲映画協会女性監督」で、その時、笠原さんから、石内都さんのお母さんが「満洲」で運転手をしていたという話が出た。「前向きの女だからこそ『満洲』にいってしまう」という感想を交わしたように記憶している。笠原さんが、石内作品<Mother’s>をひっさげて、ヴェネチア・ビエンナーレに殴り込みをかけたのは、それから間もなくのこと。以来、二人の「石内都」のことが気にかかっている。周知のように、「石内都」とは、その母の、結婚前の名前である。  さて、但馬論文の狙いは、『絶唱、横須賀ストーリー』(1979年)と『YOKOSUKA AGAIN 1980-1990』(1998年)、『CLUB & COURTS YOKOSUKA YOKOHAMA』(2007年)の三冊を足場にして、石内作品の、特に身体表象の展開をジェンダー分析すること。その鍵として設定されているのが、母娘の関係である。簡単そうにみえて、この試み、相当な蛮勇である。石内の少女時代、母は横須賀の米軍基地で働きながら一家を支えた。その母との葛藤が、ヴェネチアで一気に世界的評価を獲得したこの作家の創作の源泉であることは、すでに多くの識者が指摘している。にもかかわらず、それを納得のいく論理で証明し得た文章はない。そもそも出発点において母親の名前を選んだ明確な理由を、石内自身が語っていない。しかも石内が提示してきたのは、自己主張のない、寡黙な、およそ「前向きの女」とはほど遠い母親像なのだ。 困難な証明に向けて、但馬は、トリン・T・ミンハの「境界的出来事」という概念を援用しながら奮迅する。濃密な死の空気、通過儀礼の場としてのドブ板通り、外洋に開けた海岸に見出せるわずかな希望等々、横須賀出身者ならではの感覚と経験を活かした読みの詳細については、本文をご一読いただきたい。特に、「『横須賀』と『母』を結ぶ一本の線上にアメリカの存在を見出」し、さらにその補助線上に、帝国海軍と自衛隊を置いて読み解こうとする但馬の構えにはうなずける部分が多かった。 ひとつだけ補足めいたことを。二番目の写真集から採録されている「Yokosuka Agein#35」は、ドブ板通りの古びた建物を写した一枚だが、実は、最初の『絶唱、横須賀ストーリー』にも、アングル違いの同じ光景が収められている(注1) 。壁のペンキ文字はスナックの宣伝で、「歓迎 海上自衛隊」と“WELCOME U.S.NAVY”とある(注2) 。「カタキを取るような気持ちで」横須賀に乗り込んだ石内のカメラは、歴代の軍隊に身体を沿わせながらようやく生き延びてきた軍都の姿に――本論の言葉を借りるならば「厚化粧の女」ぶりに――最初からピントを合わせていたのだ(注3) 。 (注) 1)その他、複数の展覧会や『アサヒグラフ』(1990年8月号)にも、それぞれ別の方向から撮影したものが出されている。 2) 今も横須賀のあちこちで同様の文言を見かける。これもワタクシゴトだが、昨年、ネットカフェの前で、「自衛隊歓迎」の幟旗と「USO(全世界で展開する米軍サポート組織。United Service Organizations)」マークの両方に遭遇した時には、さすがに既視感にくらくらした。どちらの訴求対象にも女性隊員が含まれていることが、石内の撮影した時代の横須賀との根本的な違いと言えば言えよう。 3) あまり知られていないが、石内は、「米軍キャンプ周辺」を「母の運転する車で走りながらも撮った」(『桐生タイムス』2015年11月12日第一面)という。母娘の共同作業で、撮影が行われたという事実は、もっと重視されるべきだろう。

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  • 若い女性のフェミニズム離れをどう読み解くか

    2019/05/09

    • リサーチ

    著者名:高橋 幸

    コメンテーター:斎藤 美奈子(さいとうみなこ)

    フェミ嫌いと新自由主義  フェミニズムとの距離をどう取るかは、なかなか微妙な問題だ。男女平等社会の到来は歓迎するけど、フェミニストのレッテルを貼られたら損しそうだし、フェミニストを名乗る人たちも魅力的には見えないし……。  「フェミニズムから距離を取る若い女性」を「ポスト・フェミニスト」と呼び、彼女たちの本音をSNS上の言説から探る。「若い女性のフェミニズム離れ」を分析した本稿は、世間にあまねく蔓延する以上のような心情を知る上で、きわめて興味深い論考である。  読んだ人はみな叫ぶだろう。うわっ、日本とおんなじじゃん!  分析対象は英語圏の、それも2013年〜2014年の発言だけ。にもかかわらず「私はフェミニズムを必要としない、なぜなら…」ではじまる「ポスト・フェミニスト」たちの言い分は、どこかで聞いたような台詞ばかりだ。いわく「私は夫のためにクッキングするのが好き」(性別役割重視)。「私は女らしいファッションが好きで、女らしくありたいと思っている」(恋愛重視)。ことに「自分はフェミニズムが言うような『女性』ではなく『個人』である」(「個人」主義)は、いるよいるよ、そういう人!(特にキャリアウーマンに)と思わせる。ポスト・フェミニストの半数(47.8%)がこの種の「『個人』主義者」である、という事実はじつに今日的である。  主な投稿者は10代後半〜30代の若い層。「#WomenAgainstFeminism」というハッシュタグが立つこと自体、「そこまで熱心になる必要がどこにある?」だけれども、本稿が優れているのは、こうした「『個人』主義者」について「ジェンダーの問題を個人化し、個人の責任で対処すべき問題と見なす傾向は、新自由主義政権が進める『個人化』と共振する」と分析している点だろう。な、なるほど。「女性が輝く社会」とかホザいている安倍晋三政権の思惑も、それで説明がつくじゃないの!  ただし、読む上で多少の注意も必要だ。主としてそれは「2013年7月から2014年12月まで」という期間の問題に由来する。著者自身が指摘する「2015年以降の投稿は極端に減っている」、また「2017年10月以降は更新が止まっている」という事実は意外に重要なんじゃないか。  ハリウッドのセクハラ事件に端を発する「#MeToo運動」がやはりSNSから広がったのは2017年。日本でも話題になったチママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(くぼたのぞみ訳・河出書房新社・2017)や、ロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』(野中モモ訳・亜紀書房・2017)の原書が米国で出版されたのは、いずれも2014年である。フェミニズムの巻き返しともいえるこうした現象は、若い女性たちが「ポスト・フェミニズム」の段階を卒業し、「ポスト・ポスト・フェミニズム」の時代に入ったことを示していない?  もっとも、そのくらいは著者も織り込みずみだろう。「個人」を尊重するふりをして社会運動を排斥する動きは、これからも繰り返し出てくるはずだ。そのときには「ああ、あれか」と思えばいい。それだけでも必見。肩で風を切って歩いている日本の「『個人』主義者」たちにもドキッとしてもらいたいわ。

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  • 女たちの声(日本編)

    2019/04/08

    • リサーチ

    著者名:井上 輝子 ・ 上野 千鶴子

    コメンテーター:治部 れんげ(じぶ れんげ)

    タイトル:フェミニズムは人生に効く薬    少なからぬ女性が社会に対して違和感を覚える時期がある。例えば数年を主婦として過ごした後、学歴や能力に見合わない低賃金労働しか提示されない時。あるいは愛して結婚したはずなのに、出産後は家事育児などケア労働を妻に任せて知らん顔をしている夫に気づいた時。または残業できない人を二級労働者扱いする職場文化に接した時。多くの女性が「日本には女性差別がある」と気づく。  たとえフェミニストの自覚がなくても、ここに記されたアンソロジーを読むと「私の問題が書かれている」と思うだろう。明治維新から現代まで、日本の150年におけるフェミニストの思考と主張、分析、そして怒りの歴史だ。取り上げられた論文や寄稿のテーマを出版年と合わせて見ると、女性を取り巻く根本課題が1世紀を経て「変わっていない」ことに驚く。  例えば伊藤雅子「子どもからの自立」は1975年の出版である。母親に対する過剰な期待と自らそれを内面化して生きてきた女性に、個としての生き方を問う言説は、今も雑誌「婦人公論」でよくみられる。そして、その「婦人公論」には、今から60年以上も前の1955年に石垣綾子「主婦という第二職業論」が掲載され、他媒体、男女識者を巻き込んで「主婦論争」が起きた。議論の核となるのは、無償で社会的には評価されない一方、過重に愛と献身を求められる「主婦という仕事」の矛盾するありようである。    多少はフェミニズムの知識がある人も、第二波フェミニズムや主婦問題の火付け役はベティ・フリーダンの「フェミニン・ミスティーク」(1962年)だと思っていることが多い。先行して日本で質の高い議論があった事実は、もっと広く海外に知られるべきだ。    近年、母親がひとりで育児を担う「ワンオペ育児」が社会問題として認知されるようになってきた。問題の本質を上野千鶴子「家父長制と資本制」は次のように看破する。「家事労働という不払い労働が「層としての女性」に課せられている事態こそ、女性抑圧の物質的基盤であり、この物質的基盤の変革こそが、フェミニズム革命の目的である」。    この事実は本質を突いているがゆえに、当事者の強い心理的抵抗を呼び起こす。夫婦は愛で結ばれた共同体であるというロマンチック・ラブ・イデオロギーを、女性も強く内面化しているためだ。私はこれを「可愛い妻問題」と呼んでいる。諸条件に恵まれれば、女性にも仕事と育児の両立は可能だ。しかし、仕事と育児と可愛い妻の3つを同時にやることはできない。「どれか1つをやめて下さい」と言うと、多くの女性が反発する。    この文書はもともとスペイン語圏で出版するため作られた。日本語で先行する類似文献がないことを踏まえ、特別に日本語でも公開したものである。本アンソロジーには、他にもリプロダクティブヘルス/ライツ、性暴力、家制度など、女性を取り巻く諸課題を150年前に遡って記している。早いうちに読むほど、自分を縛っているものに気づきやすい。フェミニズムが人生に効く薬であることを、若い世代に知って欲しい。

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