メディアが支える韓国の社会運動

 韓国で#MeToo運動が始まったのは2018年、テレビの報道番組『ニュースルーム』で、現職の検事が幹部から受けた性暴力を告発したのがきっかけでした。その番組のニュースアンカーが、本書の著者である孫石熙(ソン・ソッキ)です。
 孫石熙は、この件を知ってすぐさま彼女にコンタクトをとり、スタジオに招いて生放送でインタビューしたのです。彼女の「性暴力の被害者の方々に、『決してあなたに非があるのではない』と言いたくて出演しました。私はそれに気づくのに8年かかりました」という発言は視聴者の大きな反響を呼び、#MeToo運動の起爆剤となります。『ニュースルーム』はその後も、大統領候補者による性暴力などさまざまな告発を取り上げ続け、多くの激励と非難を浴びました。告発する女性たちの緊張した様子や息づかい、インタビューする孫石熙のためらいなど、まるでスタジオにいるかのようなやりとりが本書で感じられます。
 
 本書は、#MeToo運動のほか、セウォル号沈没事件や朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾訴追、大統領選挙など、韓国社会を揺るがしたさまざまな「場面」を、報道現場の視点で語ったエッセイです。韓国では李明博(イ・ミョンバク)と朴槿恵の保守政権下で厳しい言論統制があり、政府に批判的な文化人やメディア関係者のブラックリストが作成され、あらゆる手段で圧力が加えられました。大勢の記者が解雇されたり嫌がらせを受けるなか、孫石熙らスタッフが真実を伝えようと奮闘するさまは深い感動を呼びます。

 孫石熙は、2005年以来約20年にわたって、韓国で「最も影響力があり信頼度の高いジャーナリスト」第1位に選ばれ続けている人です。彼は本書で一貫して「アジェンダ・キーピング」の重要性を訴えます。メディアはふつう次々と新しい事件に飛びついて、じっくり一つの問題を追い続けることは稀です。視聴率をかせぐためですが、孫石熙は悩みながらも、大事なアジェンダをずっと追うことを自分に課します。他社がセウォル号関連の報道から手を引くなか200日にわたって報じ続けたのも、#MeTooの訴えを紹介し続けたのも、アジェンダ・キーピングを意識していたからです。

 日本でも検事トップによる性暴力の告発がありましたが、あまり大きな運動につながっていないのは、メディア側の応援が韓国ほどみられないのも一因ではないでしょうか。本書を読むと、孫石熙だけでなく、多くの記者たちが「ジャーナリズムとは何か」と自問し、取材に駆け回り、権力側に執拗に問い続ける姿勢に圧倒されます。それはただ記者たちの資質によるのではなく、がんばっているメディアを励まし、時に叱咤する視聴者の存在も大きいと感じます。現在の日本の報道に疑問を持っている方、そしてメディア関係者にもぜひ読んでいただき、これからの報道を考える参考にしていただければと願っています。

 翻訳にあたっては、原書の孫石熙氏のわかりやすい語り口をだいじにしたうえ、日本の読者のために各章の冒頭に事件について訳者が簡単な解説を付し、登場人物や機関名にも訳注を付けました。巻末には詳しめの訳者解説と年表も加えました。

◆書誌情報◆
書名:場面──報道の現場から見つめた韓国社会
著者:孫石熙(ソン・ソッキ)
訳者:権学俊(クオン・ハクジュン)
頁数:400頁
刊行日:2025年12月1日
出版社:法政大学出版局
定価:3300円(税込)

場面: 報道の現場から見つめた韓国社会 (サピエンティア 80)

著者:孫石熙

法政大学出版局( 2025/11/27 )