エッセイ

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住めば都? ありのままを認める困難@1人家族 久津輪麻美

2010.04.10 Sat

春うらら。こちらに来て1年が経ちました。
いわゆる「キャリアウーマン」でもなく、実家暮らしの若い女性でもなく、妻でも母でもない、1人家族の久津輪さんは自分の自由奔放っぷりにようやく気づいてきました。いつだって自信満々とは程遠く、常にどこか不安を抱えて悩み進んできた日々ですが、ふと振り返ればぼんやり浮かび上がる自分の輪郭を評するならば、それは確かに自由で好き放題やってきたという結論を得るのでした。

ここに住むと決めたとき、住み始めたときは不安よりわくわくして楽しい気持ちでいっぱいでした。しかし、住み慣れてきたとき、我が家を都と感じるどころか都落ちした気分になってしまったのは何ゆえでしょう。

単に私がネガティブ思考なだけなのでしょうか。

ふすまを開け畳の香を感じた瞬間、なんとも落ち着いた気持ちになるし、生活用品を初めとしたこの空間全てが私の為だけに存在していると唐突に自覚した瞬間、思わず何かに感謝せずにはいられないような気持ちにもなる。もちろん、不満もあれば不安もあるけれど、私はこの「我が家」を愛しく思っているのに・・・。

「学歴」に見合った収入も社会的ステータスも得ていないことへの敗北感なのか。
私の「成功」を期待していた人たちへの後ろめたさなのか。

私自身は自分の今の状態を敗北だとも失敗だとも思っていないにも関わらず、そんなことを感じてしまうのはどうしてだろう?

どれだけ平凡であっても、特別な目標を掲げていなくても、今の生活を変わらずに営み続けることは立派だと思うのですが・・・。
だって、自動的に平穏な日常が繰り広げられるわけではないのですから。
だって、全くの偶然で平穏な日常を獲得できるわけではないのですから。

どうして、私のこの「都」を理解してくれないのだろう。
どうして、周りから「都」だと承認してもらえないと不安になってしまうのだろう。

私の都は完璧ではないし、ちっぽけなものでしょう。だけど、私はこの不安も不満もある今のありのままの状況を認め受け止めたいです。それは開き直りや諦めではありません。

私は自分の軌跡を何一つ否定したくないです。それは自分の行為を反省しないことではありません。

私はただ平穏な日々を生きてゆきたいです。それは自分の怠け心のままに生きたいということではありませんし、困難を避けたり挑戦することをしない日々を生きたいということでもありません。

カテゴリー:@1人家族

タグ:家族 / 久津輪麻美