私は、この1月14日にアメリカはボストンから成田に着き、直ちに6日間の施設待機、4日の自宅待機に入った者である。本日1月23日、まだ待機日が1日残った自宅においてこれを書いている。
まず、JAL便は、ほぼ半数の搭乗者のようで(チェックイン・カウンタ―で)、機中、横、縦誰とも話すこともなく(従って誰が同乗者かも知らず)、食事以外はマスクの着用が義務付けられ、成田に着いた。
それからが長い待機説明やら唾液のコロナ検査に、必要な追跡アプリのインストールなど、広い成田空港を引き回されることになる。そのいちいちの説明がない。どのようしてかは不明だが、グループに分けられ、そのうち到着便が増えて、グループの数は増えていく。
ではこちらにと言われて1mぐらい歩くとまた待つ。それから歩いては待つ、を3度ほど繰り返して、やっとバスが来た。どこに行くのかを聞く元気もないのか、みんな黙って乗り込む。しばらく行って気が付けば、中央自動車道。運転手さんに聞いたら、府中市の警察大学校だと。私の住居と目の鼻のさきではないか。
ここでまた一人ひとり質問のあと番号部屋と弁当の配布。16:10の成田到着が、最終的に落ち着いたのがもう22:00に近かった。警察大学校は、もちろん個室のトイレ・シャワー付きだが、弁当を受け取る時と検査サンプルを出す時以外にドアすら開けられない。「これから食事を配りますが、再度放送があるまでドアを開けず、放送後はマスクをして、ドアノブに気を付けて食事をお取りください」、のアナウンスがあるとドアを開けて置かれた食事を取る。
TVなどない。狭い部屋で「拘禁反応」も起きるのではないかと心配。なんとかその6日をやり過ごし、そして2度目の唾液検査をして成田に逆戻り。公共交通機関は使えず、友人が予約してくれたハイヤ-で、今来た道を逆走である。成田→自宅まで44,000円なり。以上は客観的な状況説明で、ここからは疑問と批判。
●海外からの入国者には、それぞれの異なった事情があるはず。それは何も考慮なしに、みんな一緒に扱われてしまう。私は、たとえば通っていた大学で毎週コロナ検査を受けてきて(大学は対面授業に切り替えてから毎週の検査を全員に義務付けた)、搭乗前のPCR検査、到着後の検査、待機所での2度の検査。全部陰性であり、またCDC(アメリカ疾病対策予防センター)の3回目のワクチンも受けている。検査やワクチン接種が完全でないと言えばその通り。しかしそれを言うなら、何をしても無駄ということになろう。もう少しこのばらつきを考えてグループわけをするべき。
●検疫所での待ち時間の長さ。また列やその間の距離などおかまいなし。列のそばに居る職員はほぼ外国人で(ネパール人が多い?)、待つ間に、若い子たちが、騒ごうと密になろうと何も言わない。待機所でのまるで細菌扱いとの差。
●強制的にインストールした、アプリに、私にはなぜか英語で通信がくる。たまたま英語がわかるので対応してきたが、日本語にしてほしいとかは、どこにどうやって言えばいいのかわからない。またアプリそのものが間違ったことを言ってくる。「居場所の確認に時間が余りにも空き過ぎたので、違反になっている。次回は気を付けて」とか。そんなはずはない。
●成田と待機所の往来。運転手は、待機施設がなくて水戸までいった、とか。来た道をそのまますぐに引き返すという無駄。この税金の無駄使いは何とかならないものか。このように解放したのだから、公共交通機関はなぜ使えないのか。
●待機所と私の住む有料老人ホームでの細菌扱い。大いに尊厳を傷つけられた。「アメリカ帰り」とはいっても、地域社会の誰よりも、これだけの必要な処置をしての帰国である。「アメリカ帰り」という風評ではなく、帰宅したのはこの私という実態をみようとはしない。これが風評被害を生むという理由がよく分かった。実態より風評のほうが大事なのである。なんという逆転の発想。
2022.01.24 Mon
カテゴリー:連続エッセイ / 河野貴代美のボストン留学便り