手術の翌朝、主治医のバレンシア先生が私の病室に診察に来て言った。
「今日の夕方、腫瘍内科医のパトドゥ先生が来ますから、今後の治療についてはパトドゥ先生に相談してくださいね。」

日本では手術の執刀医(外科医)がその後の治療も担当するのが一般的なようだが、
フィリピンではがん手術は外科医、手術後のがん治療は腫瘍内科医が担う。
腫瘍内科とは、薬物療法などのがんの診療・治療に特化した内科である。
外科医バレンシア先生を信頼していたが、手術が終了した時点で、私の主治医は腫瘍内科医パトドゥ先生に交代した。

入院していた病院

余談になるが、その診察後、バレンシア先生は私の手術中の写真と動画を見せてくれた。
左胸が切り取られ、死んだように横たわっている自分の姿と、切り取られた左胸の写真。
大根をスライスするように、スススーッと自分の皮膚の一部が切りとられている動画。
全身麻酔中で全く記憶にない自分の姿を見るのは、幽体離脱をして、自分を見ているような不思議な感覚だった。
それは正直、グロテスクだったが、バレンシア先生は「ほら、上手くできたでしょ?」と言わんばかりに、いつもの笑顔で、動画を何度も再生して見せてくれるのだった。


その日、病室に現れた腫瘍内科医のパトドゥ先生は意志の強そうな顔立ちの、いかにもベテランのドクターという雰囲気だった。
「今後の治療の方向性は、手術で採取したがん細胞の分析結果が出てからになるけど、何か不安を感じることがあったら、なんでも聞いてくださいね。」と 言ってくれた。
私が「抗がん剤は強い吐き気がしそうで、怖いです。」と伝えたら、あはははっと一笑されて、
「それはねえ、ずっと昔の話!今は吐き気を抑える薬が発達してるから、吐き気のことは全く心配しなくて大丈夫。
それだけは安心して!」と断言された。

パトドゥ先生は私の検査結果に目を通していて、動きは素早かった。
手術前のCTスキャンで骨の転移の傾向が見られたため、それを詳しく調べるために、翌朝にBone Scan(骨シンチグラフィー検査)を受けるように手配し、そこでもやはり骨転移の傾向が見られたので、検査翌日には、骨がもろくなるのを抑える点滴が手配されていた。

術後3日目の午前、手術に立ち会った形成外科医と乳腺外科医による診察後、退院許可が出た。入院から5日目のことだ。
そこから、入院費用の会計を済ませれば、病院を出られるのだが、会計処理は何時間もかかり、本当にその日に退院できるのか、ハラハラした。
時間がかかった理由は、ようやく終了した会計処理のレシートを見て、分かった。
病室の枕、医療用パッド、アルコールなど、細々したものも含め、入院、手術のありとあらゆる経費が数ページにわたる請求書に記載されていたのだ。
ナースに「これはあなたがもう支払ったものだから、持って帰ってね。」と
枕や段ボール類を渡されたので、入院した時より、退院する時はずっと荷物が多かった。

でも、私は一つとしてその荷物を運ぶことはできず、全て夫や病院のスタッフに運んでもらった。
退院の時、まだ左胸にドレーンがついたままだったし、左脇のリンパ節を切除した影響で、この時はまだ左腕を上げられなかった。
また、手術で左太ももの皮膚を左胸に移植したため、左太ももの痛みがあり、左足を引きずりながら、ヨレヨレ歩いていた。
この状態なら、日本だったら、もう少し入院させるのだろうが、フィリピンでは長く入院させないものらしい。

退院から2週間ほど経ち、久々に近所を歩いた時の写真

上げ膳据え膳の入院生活と違い、家に戻れば、家事は自分でやらねばならない。
手術前は当たり前にできていたこと全てが、退院直後は一苦労だった。左腕が上がらず、重いものが持てないので、料理するのも洗濯物を干すのも、今までよりずっと時間がかかった。体力も相当落ちていて、何をしてもすぐ疲れた。
人生で大きな怪我も病気もしたことのなかった私は、この時初めて、身体が思い通りにならない苦痛を知った。

今は、この経験がエネルギー・ヒーリングのヒーラーとして活動する上で、必要なものだったと思う。
手術前、ヨガ講師をしていた私は「足が痛くて、このポーズができない」と言うお客さんに「定期的な練習を怠っている」からだろうと、どこかで思っていた。努力が足りないから、と。
日本の学校教育で内面化された「努力信仰(努力すれば報われる、という思想)」は、日本を出ても、ヨガを学んでも、なかなか消えなかったのだ。

身体が思い通りにならない生活を経験したおかげで、今は「足が痛い」「疲れやすい」という方のつらさにも共感できる。
ほとんどの場合、それは本人の努力だけでどうにもならないことも、今なら分かる。
自分だけでどうにもならないから、誰かの助けが必要なのだ。

生きていれば、誰しも必ず、そういう状況を経験する。
だから、一人で努力することより、助けが必要な時に助けを求められることがサバイバルスキルであり、真の強さなのだと思う。

苦しい体験ほど、その後の人生にとって、役に立つ学びを与えてくれる。

筆者紹介:星屋智(ほしやちえ)
ブログ:Heal your energy 心と体を整えるエネルギーヒーリング・エクササイズ・瞑想
2013年から、フィリピン・マニラ在住。現地でヨガインストラクター、オンライン日本語教師として活動。
2021年 乳がんと診断され、手術、治療。治療の過程でエネルギー・ヒーリングと出会う。
2022年 World institute for incurable diseases (WIID)認定エネルギー・ヒーリング アソシエートスペシャリストの資格を取得。
オンラインでエネルギー・ヒーリングのセッションを行っている。