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台湾の高雄市で開かれた国際シンポに参加してきました。出発した東京の朝の気温は1度、到着した高雄は19度、空港からの大通りには、沖縄で見たよりずっと大きいブーゲンビリアのピンクと朱色があざやかでした。
去年の韓国の学会で20年ぶりに会ったLさんに連絡してみたら、台北から高雄まで会いに来てくれるということで、初めての高雄空港も不安にかられることなく安心して降り立ちました。午後5時近く着陸、手続きをすませて出口に向かうと、すぐ目の前にLさんが迎えに来てくれていました。隣に若い女性も手を振ってくれています。2人で迎えに? わざわざ2人で来てくれるとは申しわけないと思いながら近づくと、Lさんがこれは私の教え子Y・Pさんです、日本語も英語も話せるので先生の案内をしてくれます、とのこと。
Lさんは2000年の初めころ、名古屋の大学の博士課程に留学していて、私たちが80年代にはじめた現代日本語研究会に入会してきました。3年間一緒に研究して、彼女は学位を取って帰国、台北の大学の日本語学部に就職しました。その大学の教え子ですから、日本語が出来るわけです。
2人の後について外に出て7~80m歩いたところに、黒い大きな車が停まっていました。どうぞこれにとドアが開けられ、そのすごい迎車にまず圧倒されました。ドイツ車の新車です。中にもう1人、髪の長い大柄の女性が運転席にいました。「え?どういうこと?」と戸惑っていると、こちらはYさんのお姉さんY・Mさん、ロンドンに留学中ですが、ちょうど冬休みで帰国しているので、先生を一緒にご案内しますとのこと。3人ものお出迎えを受けて、予想外の事ばかりでますます混乱してきました。
Y・Mさんも日本語が上手です。聞けばなるほどです。まず東京・大久保の日本語学校で1年半日本語の勉強をして、次に明治大学の経営学部に入学、学部の卒業後は青学の修士課程に入って修士を取って帰国、現在はロンドンの大学の博士課程で勉強中、経営人間学のような研究をしているそうです。Yさん姉妹は食べることが大好きなので、お客さんを食事に招待するのが大好きなのだと、Lさんが補足してくれました。
夕日が沈むちょうどいいタイミングで高雄の港に案内してくれて、夕方の散策を楽しむ人々の間に混じって、最近できたという斬新なデザインの大きな音楽会のホールの周りを歩きました。音楽会では最近演奏に来た日本のアイドルのこと、ゆるキャラのことなどにぎやかに話してくれます。日本のアイドルや音楽に弱い私はついていけません。
そして、昔ながらの台湾料理だけれども、室内の造りはモダンなレストランでの夕食会。有名なタピオカも大きな紙のコップで出てきます。料理はすべてどれもこれもマイルドな味つけで、辛いエスニック料理の苦手な私にはありがたいおいしさです。
「先生の高雄での日程は?」と聞かれて、あすは1日シンポジウム、あさっては午後の飛行機で帰ると言うと、じゃあ、あさっての午前の観光をお任せくださいと、また嬉しい申し出。でも、Lさんは午前中シンポジウムに出て午後台北に戻ると聞いているし、Y・MさんもY・Pさんも仕事があるでしょうから、私1人でなんとか動きますからご心配なくと、はじめは断りました。大丈夫、お姉さんは仕事で動けないけど、妹のPさんはやりくりできる仕事だから、まかせておいてくださいと言っていますと、Lさん。
とても申し訳ないと思いながらも、ありがたい申し出なので、ついお願いしますと言ってしまいました。
さて、シンポジウムのことは省略して、3日目です。
Y・Pさんが9時にホテルの玄関に迎えに来てくれるというので、荷物を纏めてチェックアウトして玄関に向かいました。おとといのYさん、おはようございますと近づいてきました。もう1人、少し年配の女性も一緒です。「母です、先生と一緒に観光したいと言ってついてきました」と。これまたサプライズです。
会うなり大きな紙の袋をこれお土産ですと渡されて、またまた当惑。こちらは何も準備してきていないのにどうしよう、好意に甘えるばかりでいいのか、食事代を出すと言っても取ってくれないだろうし、どうしよう。おとといも払うと言いましたが、Lさんがここは台湾です、日本へ行ったらご馳走してください、と頑として聞いてくれませんでした。今日もまた、案内からお土産までおんぶにだっこのおもてなし、「麻煩您(すみません)」を繰り返すばかりです。
車の所に行くと、運転席にはお姉さんのY・Mさん。あれ、おとといの話では仕事があると言っていたのに。いや、都合をつけてきましたとのこと。Y・Pさんに半日つきあってもらうだけでも御の字なのに、お母さんにまで迷惑をかけ、お姉さんまで狩り出すことになるとは全く想定外です。一家そろっての案内と空港見送り、もうVIPになってしまって落ち着きません。
「でも、お母さんも仕事があるでしょう? 大丈夫ですか」と、聞いてみます。
「『来る前にちょっと会社に寄って来ました。もう大丈夫です』と母は言っています」
「え? そんな自由な会社? 毎日朝から働かなくてもいいんですか」
「そう、会議のあるときとか、週に2,3日会社に行けばいいんです」
「え? じゃあ社長さん? 董事長さん?」
「そう」と、Y・Pさん肯きます。謙虚な娘さんが言わなかった「社長」ということばを、わたしが引きずり出したというわけ。
「何の会社の社長さん? どういう仕事の会社ですか?」
がぜん興味が出てきました。娘さんの通訳でお母さん社長にインタビュー開始です。
「鉄鋼関係の仕事です」
「従業員は何人ぐらい?」
「100人余りです」
「男性と女性の比率は?」
「男性が6割、女性が4割」
「給料は女性も男性も同じ?」
社長さん苦笑いしながら
「男性の方が少し高い、鉄を扱う仕事なので、どうしても男性の仕事の方が多いし給料も高くなる…」
「そういう会社の社長になるのは大変だったでしょう? 力がおありなんですね」
「いや、運がよかっただけ」
「最初からその会社で働いていたんですか」
「最初は台湾ソニーで働いていた、日本にも出張でよく行った。20年ほどソニーで働いた後で、夫と今の会社を立ち会上げた」
「そうですか、若い時からずっと働いてきて、お嬢さんたちが小さい時、どうやって育てたんですか」
「夫が料理が上手だったから、食事は夫がやってくれた」
「お母さんが出張なんかの時、お子さんはどうしていましたか」
「近所に母がいたから、母に子供の面倒を見てもらった」
「それで、今はお連れ合いは?」
「夫は5年前に亡くなった」
「そうですか、それはそれは。お母さんひとりでお嬢さんたちを育て上げ、学費の高いイギリスに留学させるなんて、すごいです。お母さんはすごい実力がおありですね」
「娘たちは2人とも勉強が好きだから、好きな勉強をさせたい」
ほんとうに立派なたくましいお母さん社長です。
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車中でインタビューしているうちに、高雄の有名な観光地、蓮池潭に到着。大きな口をあいた虎と竜が並んでいます。竜の口から入って虎の口から出る、その間に人は悪い部分がそぎ落とされ、立派な人間になるという故事があるのだそうです。見ている間に、お母さんは池の周りに出ている屋台から、パプリカそっくりの野菜だか果物だかを買ってきました。「蓮霧」という素敵な名前の果物でした。赤い皮の中の真っ白な果肉は、ほのかな甘みがあって、リンゴをずっとずっと柔らかくしたような爽やかな歯触りでした。
11時半、予約をしておいてくださった、やはり台湾料理のレストランでまた豪華な昼食。ほとんど半分も食べられませんが、さすがに食べることが大好きという姉妹は豪快に箸と口を動かしています。日本の食事はおいしいけど少なくて…、と留学中や旅行した時の食事を思い出して、笑いながら話してくれます。「東京へ行ったとき、たいてい新宿のホテルに泊まりますが、いちばん食べたいのはお寿司です。でもお寿司だけでは足りないので、その前にラーメンを食べに行きます。お寿司はたいてい20個注文します。お寿司を食べたら、今度は伊勢丹の地下でスイーツを買ってホテルに戻ります」
若い学生たちが、体形を気にして食べたいものも食べないというのを東京でいつも見ていますので、この姉妹は私には嬉しいショックです。食べたいものは食べたいだけ食べ、それに見合うように働いたり運動したりする、まさに健康な生き方です。たいへんおおらかで、若さがいっぱい外にあふれ出ていて、見ていてとても気持ちがいいです。
お母さん社長は何か電話をかけています。会社の仕事を遠隔操作しているのでしょうか。食べ切れなくて残った料理は4つも5つもの容器にいれてお持ち帰りです。スープも全部ビニール袋に収まっています。さあ空港へ行きましょうと、最後のドライブです。
空港の入り口を入ったところで、お姉さん運転手さん、車を止めました。お母さんがさっとおりました。「何があったの? どうしてこんなところで?」と、思う間もなくお母さんは大きな布袋を持って車に戻って、後部座席のY・Pさんとわたしに手渡しました。
「え? これどういうこと?」
朝、わたしがいただいたお土産が、わたしの小さいスーツケースには入らないとわかって、機内に持ち込むのに丈夫な袋が必要と思われたらしい。それにしても、どうやってこの袋を一瞬の間に手に入れてこられたのか。Y・Pさんが、笑いながら説明してくれました。
「ママは空港の入口でママの弟から袋を受け取ったんです」と。
「え? 弟さん? どこから袋を持ってきたの?」
「ママが電話して、家のどこどこに袋がある、それを持って来てっておじさんに頼んだ」
「だって、おじさんはどこにいたの? どこからきたの?」
「うちは空港の近くだし、おじさんもそばに住んでいるから大丈夫。おじさんが私の家に行って、ママに言われた袋を探して、うちから持って来たんです」
その見事な早業に呆気に取られているうちに、車は空港ロビーについていました。
社長さんがたびたび電話をかけていた訳がわかりました。電話で家のどこかにある袋を届けるように弟さんに指示した、それを弟さんが見つけて指示通りの時間と場所に持ってきた、その絶妙なタイミングでお母さんが空港入り口でキャッチした……。やっと事情が呑み込めました。改めて、その社長さんの機転の利いた指示と家族の連携プレー、そして皆さんの機動力には敬服しました。ほんとにほんとに驚きと感動でした。
台湾の人々の人間関係の濃密さと温かさ。これまで全く縁のなかった私を2日間、十分すぎるまでにもてなしてくれた3人の女性のあり余るホスピタリティに、サプライズと感動の連続でした。日本人がだいぶ前に捨て去ってしまった、温かく濃密な人間関係と率直な感情表出が、ここには豊かに存在していました。羨ましいばかりのカルチャーショックでした。
Yさん姉妹とそのお母さん、その弟さん、高雄の充実した2日間を本当にありがとうございました。
蛇足ですが、Yさん姉妹と母親H・Mさんは姓が違います。日本の夫婦別姓制度が実現しないことをこぼしていたら、姓が違うと家族がバラバラなんて、誰がそんな馬鹿なこと言うの?と笑われてしまいました。