
徹底した取材と確かな目で歴史を再構築
江刺昭子さんの著書が2冊、相次いで刊行された。いずれもサブタイトルで「人物で読むジェンダー史」と銘打っている。
共同通信社と加盟新聞社のニュースサイト「47(よんなな)ニュース」に寄稿した時事エッセイを、前者は33本、後者は43本、テーマ別に分類して採録、別の媒体に書いた論考や書き下ろしの追悼文も収めている。
私は「47ニュース」で江刺さんの編集を担当したので、ほぼすべての原稿の最初の読者である。江刺さんの書くものはいつもおもしろいと思い、楽しく仕事をさせてもらってきた。そして、おもしろさの理由は、女性史を長く研究し、女性たちの評伝を書き続けてきた人の、視点の確かさによるものだと感じてきたのだが、このたび2冊を通読して、それだけではないのだということに、今さらながら気づかされた。それは私自身に抜け落ちているものに、気づくことでもあった。
便宜上、『歴史をひらいた女たち』を上巻、『共生社会をめざして』を下巻として書き進める。
■樺美智子が引き合わせてくれた
上巻は何人かの女性に焦点を絞り込み、下巻は時事的な問題を論じるという色彩が濃い。上巻の章タイトルをあげれば「弾圧されても、信じる道を行く」から始まって「原爆被害を告発し、記録する」「60年安保と樺美智子」と続き、終章は「重信房子と遠山美枝子」である。
「弾圧」の章の中心は社会主義フェミニストで評論家の山川菊栄、「原爆」は被爆のむごさを克明に記録した作家、大田洋子であって、これに樺美智子、連合赤軍事件で亡くなった遠山美枝子と続ければ、江刺さんがこれまでに研究・叙述に力を注いできた人たちがメインの対象となっていることが分かる。
このうち江刺さんと私を引き合わせてくれたのは、60年安保闘争のさなか、国会構内で命を落とした樺美智子だった。
江刺さんは2010年に『樺美智子 聖少女伝説』(文芸春秋)を刊行した。その本をテーマにした学習会に講師として招かれることを知り、私は事前にその本を読んで一驚した。タイトル通り、樺を聖化、美化する「聖少女伝説」を信じていた自分が覆されたのだ。
圧死説と扼殺説についても深く知らなかった。広く信じられている圧死説に新聞報道が深く関わっていること、そこに情報操作の疑いがあることは、メディアにいる自分の問題でもあった。
講演を聴き、ぜひ紹介したいと考えたが、勤務先の共同通信からは既に保阪正康氏の書評が出稿されていて、改めて取り上げることは難しい。迷っているうちに、東日本大震災が起き、そのままになってしまった。
■偶像化も無視もあってはならない
別の企画で江刺さん自身の生き方を書こうと思い立って再会を果たしたのは、13年10月だった。何度かインタビューをして書き上げた原稿のタイトルは「樺美智子と女性史 聖少女の偶像を越えて―掘り起こす実像」とした。
評伝と並ぶ江刺さんの仕事の柱は地域の女性史である。その二つを重ね合わせ、江刺さんの仕事を貫くものとして「女性を偶像化して利用することも、逆に存在を無視することも、あってはならない」「その思いを胸に、江刺は等身大の女たちの生を刻み続ける」と書いた。
例えば、江刺さんが専門委員となってまとめた神奈川県の女性史に先行する「神奈川県史」は、いわば神奈川の正史という位置づけになるが、登場する人物のうち女性は約3%にすぎない。これを無視と呼ばずして、どう評すれば良いのか。
このたびの下巻は、このようにほとんど無視されてきたような女性たちに光を当てる。
序章「メディアに生きる」の冒頭に登場する大澤豊子は、草分けの女性新聞記者の一人である。彼女が直面した困難から説き起こし、執筆当時、財務事務次官が複数の女性記者にセクシャルハラスメントをしていた事件につなげ「主に男から女に対して行われるセクハラの背景には根深い女性蔑視がある。人権侵害であるとともに性差別であることを知ってほしい」と訴える。
■制約の中でも豊かに生きる
この章では他に、中平文子、竹中繁、三枝佐枝子らが取り上げられるが、メディアに詳しい人でも名前を知っている人は少ないのではないか。もちろん私も知らなかった。だが、読んでみれば、厳しい制約の中で、それぞれがいかに豊かに生き抜いたかを知ることができる。
私のお気に入りは中平文子。本書では「自由奔放に非日常を生きた女性記者」というメインタイトルで紹介される。中見出しを拾っていくと「醜聞を暴き暴かれても屈せず」「事業家として、作家として、マルチな活動」と続く。
戦前は政友会系の機関誌「中央新聞」の記者として、家政婦などと偽って著名人の家に潜り込み、内情を暴露する「化け込み」記事で人気を博した。
著書の書名もすごい。『女のくせに』『スカラベツタンカアモンの宝庫』『ゲシュタポ 世紀の野獣と闘った猶太人秘話』『刺青と割礼と食人種の国』…。このうち、記者時代のエピソードや探偵稼業に入門したいきさつなどを記した『女のくせに』が最近、珍しい形で復刊されたことまで、江刺さんは紹介している。
詳しくは下巻を読んでほしいが、中平の生き方が現代の学生の心をつかんだのだ。
下巻の続く章のタイトルも記しておく。「表現者の自由を拓く」「政治に挑む」「家族の形を問う」「性差別、性被害を告発する」「悼詞」。悼詞の最後は折井美耶子で、47ニュースには掲載されていない。
■強靱なヒューマニズムに支えられた書
折井は子育てが一段落した段階で学び直しをして、女性史研究者になり、地域女性史研究会とオーラルヒストリー総合研究会を立ち上げ、両方の代表を務めた。
地域女性史の編纂指導や執筆をしてきた折井の歩みは、江刺さんのそれと重なる。23年11月死去。江刺さんは同志を失ったような思いだったと想像する。結びの一文を引用する。文字通り、祈りのような言葉だ。
「地域の生活者研究者たちが手さぐり、体あたりで進めてきた地域女性史研究の流れは、確実に地域の女たちの力を底上げし、今は目に見えにくいが、地底の水脈となって社会を変える力になると思いたい」
ここまで書けば、もう十分かもしれない。江刺さんの原稿がおもしろいのは、歴史性に根ざしているからというだけでは足りない。わたしのように正史さえも十分に知らない人間にとっては、多くの知的発見に満ちているのだ。
そのために江刺さんは、徹底した文献資料の収集に加え、可能な限りの直接取材を試みてきた。そのようにして集めたデータによって、正史が置き去りにした史実を再構築する。その作業を支えるのは、資料を検証する確かな目だ。明確な根拠が示されるから、安心して読み進めることができる。
そうした仕事の根底に、少数者、弱者の立場に発するまなざしと、決してぶれず、妥協しない姿勢があることは、強調しても強調しすぎることはないだろう。強靱なヒューマニズムと呼び換えてもいいかもしれない。
ヒューマニズムの書の誕生を喜びたい。多くの人に、手に取ってほしい。
◆書誌データ
書名 :歴史をひらいた女たち 人物で読むジェンダー史
著者 :江刺昭子
頁数 :230頁
刊行日 :2025.1.25
出版社 :インパクト出版会
定価 :2420円(税込)
書名 :共生社会をめざして 人物で読むジェンダー史
著者 :江刺昭子
頁数 :259頁
刊行日 :2025.2.25
出版社 :インパクト出版会
定価 :2420円(税込)
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