WANでは、性差別の撤廃・ジェンダーバイアス解消の課題認識を含む、または反差 別の立場からセクシュアリティに関する新しい知見を生み出している博士学位論文の情報を収集し、「女性学・ジェンダー研究博士論文データベース」に登録・公開し、広く利用に供しています。2025年3月20日現在、同データベースには1,729論文が登録されています。これら登録論文または博士論文に基づく著書を、多様なバックグラウンドをもつWANのコメンテイターが読み、コメントし、意見を交わす機会を設け、執筆者に、大学や学会とは異なる研究発展の契機を提供することを目的に「WAN博士論文報告会」を開催しています。その第9回を、以下の通り開催しました。
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日 時:2025年3月2日(日)9:00~12:30
開 催:オンライン
参加者:40名
内 容:
第1部
報 告  久保田茉莉(日本体育大学助教):博士論文に基づく図書『軍隊への男女共同参画 女性の権利の実現と軍事化の諸相』日本評論社、2024年
コメント 清末愛砂(憲法学/室蘭工業大学大学院教授)
第2部
報 告 井上 瞳(日本学術振興会特別研究員PD):性暴力被害を経験した女性たちの沈黙に関する現象学的研究
コメント 上野千鶴子(女性学、ジェンダー研究、社会学/東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長)
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第1部ではまず、著者久保田茉莉さんが、立命館大学に提出した博士論文『軍隊への男女共同参画に対する批判的検討 : 女性の権利の実現と軍事化の諸相』をもとにし発刊した書籍『軍隊への男女共同参画 女性の権利の実現と軍事化の諸相』(日本評論社)の内容を紹介されました。本書は、近年世界的な潮流となっている軍隊への男女共同参画に対して、憲法学の立場から批判的考察を試み、この問題の根底に存在する平和主義と女性の権利との関係についても、その解明の端緒を探るものです。分析の結果、軍隊においては、自己決定権及び平等に依拠した男女共同参画推進論は成り立たないことが示されました。また、平和主義とフェミニズムに通底するものとしては非暴力が導出されるが、このことによっても、国家公認の暴力装置である軍隊への女性の参入の推進が、女性の権利の実現に逆行するものであるということが示されました。
報告に対して、コメンテイター清末愛砂さんは、本研究から得られる示唆をいくつか指摘したのち、著者と議論を交わされました。続く会場討論では、参加者の方も所感を述べられました。
第2部では、井上 瞳さんが大阪大学に提出した博士論文『性暴力被害を経験した女性たちの沈黙に関する現象学的研究』の内容を紹介されました。本論文は本論文の目的は、トラウマを専門とする心理士が主催する性暴力被害者支援グループに参加している女性たちを対象として、彼女たちが現代の日本社会においてどのように沈黙を経験しているのかを明らかにしたものです。その際、彼女たちが支援グループを含め、精神医療、心理臨床、カウンセリングなどメンタルヘルスを中心とした支援機関にアクセスしている事実を周囲の人々に言わないまま社会生活を送っている点に注目することで、当事者が経験する沈黙のリアリティおよび沈黙を課す日本の社会的状況を明らかにしました。本論文では、①社会生活において沈黙がどのように経験されているのか、②そうした状況に対して当事者がどのように応答しているのか、③性被害について明らかにすることが難しい社会の中で当事者がどのように支援機関へのアクセスを実現しているのかという三つの問いを主軸に、考察を進めました。
コメンテイター上野千鶴子さんは、本研究から得られる示唆をいくつか指摘したのち、研究上の問題点と課題を指摘しました。続く会場討論では、参加者の方も所感を述べられました。

参加者アンケートでは、回答者の全員が、「参加目的は十分/概ね達成された」と回答し、次のような感想・意見が記されました。また、参加目的(複数回答可)としては「検討対象論文の研究内容に関心があった」「博士論文の討論に参加したかった・関心があった」と回答した者が、それぞれ回答者の過半数を占めました。
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●【久保田様の論文についての感想】 女性のジェンダーロールが要求される、看護業務への就労、名誉男性化については、私が所属する民間企業の組織と類似しており、軍事組織と共通点があることに驚きと、現在の社会的な縮図が、異なる組織で類似していることに妙な納得感がありました(欲しくない納得感ですが)。また、書評や意見交換時間も、励みと勉強になりました。
【井上様の論文についての感想】 分析方法を新しく用いた試みは、大変興味深かったです。是非、トライアンドエラーで確立していってほしいなと思いました。 気になった点として、共通項を抜き出すことで、解と問いが整合するのか?というところです。例えば、数学でいうと、ある数値に対して、最大公約数と最小公約数は解が異なりますよね。また、問いが、公約数を全て答える場合は、共通項全てを答えないと不正解となります。今回の論文で、共通項を抜き出す際に、注意した点や、これを解とした紐付けがあれば、教えてほしいなと思いました。また、研究者からの視点で決めつけない、という考えは非常に共感する一方で、論文への文書化との共存に難しさを感じました。
●研究内容や方法論だけでなく、司会の先生のお話の進め方や、コメントの仕方、言葉の選び方など大変参考になりました。
●大変勉強になりました。参加できて良かったです。ありがとうございました。
●久保田さんの発表で、軍隊内で「女性らしさ追求」や「名誉男性化」についての話が興味深かったです。現在私は博士課程進学のために行政で会計年度任用職員(非正規)として働いているのですが、そこの正規の女性職員さん達を観察していて同じような特徴(女性らしさ、名誉男性化等)をよく散見するので、今回の発表を聞きながら軍隊ほどではなくとも行政組織も極めて男性的な組織なんだろうなと感じました。井上さんへの上野千鶴子さんのコメントは論文の弱点をしっかりと指摘されていたなとも感じましたし、上野千鶴子さんの本気の論文指導を拝見できて大変面白かったです。
●人間が傷つく可能性がある場合、自由の意思決定は認められない。と明確に断言して下さることにより、セックスワーカーやこれまで議論がはっきりしてとても学びになりました。ただし、人間が傷つくの定義があいまいでもっと議論したいです。性労働や戦争だけが傷つく職業だとは限りません。たとえば看護師の夜勤はいかがでしょうか。人体に影響があります.
●久保田茉莉さんの「自己決定の環境」、「自己決定権に対する制約」の話がとても興味深かったです。「自己決定権を放棄する自己決定」という考え方を今回はじめて知り、この視点から物事を分析することができるというあらたな気づきをいただきました。興味深い報告会の開催どうもありがとうございました。
●研究者でもなんでもない一主婦ですがただ学びたい気持ちで聞かせていただきました 発表された内容にも興味がありましたが、加えて清末先生の憲法学が聞けたこともラッキーでした 井上先生の報告は少し性被害を学んできたのでとても興味がありました。理解できたかは自信ありませんがとても刺激的な時間をいただきました。ありがとうございました!
●コメントできるほどの知識を持ち合わせていなかったのですが、博士論文の報告を聞く初めての機会で、まだ明らかになっていないことを発見して一つひとつの研究を積み重ねていくことの魅力を感じました。
●スケジューリングがうまくいかず途中退席をしてしまったことが残念でしたが、それなりに学ばせていただきました。思考を深めることにつながる場として楽しみにしています。 ありがとうございました。
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知見も、論文提供者も、コメンテイターも、参加者もそれぞれが相対化される、濃密な考察と対話のひとときでした。WAN博士論文報告会が、WANらしい/WANならではの事業として鍛え上げられていくことを願ってやみません。

文責:WAN博士論文データベース担当 寺村絵里子・内藤和美・山根純佳