不思議な本を読んだ。第73回毎日出版文化賞(企画部門)を受賞したシリーズ「ケアをひらく」の一冊、英文学者・小川公代著『ゆっくり歩く』(医学書院、2025年10月)を、ゆっくり読む。

 何気ない言葉で綴られる、82歳になるパーキンソン病を患った母上へのケア。それを支えるようにヴァージニア・ウルフ、キャロル・ギリガン、芥川龍之介、ハン・ガン、ボルヘス、日蓮、カフカなど文学作品の一節を母に語り伝えることで母と娘の心は溶け合い、共に生きる力へと結びついてゆく。ケアをめぐる言葉の数々が、こんなにもわかりやすく心に響くのかと思うほど。小川公代さんの半自伝的名エッセイだ。

 「母親にパーキンソン病の診断がくだされた。信じられない。だってそうなる数年前の母は、わたしと四国の巡礼の旅をしてタッタッタッと風を切って歩いていたではないか」。

 小川さんの母上は私と同い年の82歳、私の娘も小川さんより3歳年上で、なんだかひとごとでなく読み終えたけど、小川さんの祖母も父も母も、みんな桁外れに大胆な生き方をされてきたことを思えば、私と娘とは大違い。

 祖父の収入だけでは生活できないため保険の外交員をしていた祖母が、誰かの保証人になったために多額の借金を負う。その返済に一から不動産屋を始めて地域のネットワークをつくりあげ、見事に商売を成功させる。その間、母はヤングケアラーとして、きょうだいたちの面倒をみたという。

 父は「アメリカはなんでも特大サイズや」と言い、1ドル360円の時代、学生の頃アルバイトで稼いだわずかの金で和歌山からアメリカへ出発。1年間の放浪の旅を経て異文化を広く知る。帰国後、和歌山にアメリカやカナダからネイティヴ講師を招き、自宅に住まわせて子どものための英語学院を開く。そして海外留学へ向かう生徒たちに協力を惜しまなかったという。

 さらに父は「イマージョン教育」(immersion programme=外国語を教科としてではなく、手段としてその他の教科を学習させる教育)を実践しようと、全く英語を話せない母に6歳と7歳の娘2人を託して、1年半、カリフォルニアのサンラファエルの町に娘たちを留学させ、現地校で学ばせたという。自分は英語学院を経営しないといけないので1人、日本に残って。

 小川さんは、この冒険をきっかけに12歳でケンタッキーへ単身渡米、高校2年でイギリス留学とホームステイを果たし、ケンブリッジ大学で学位を、グラスゴー大学で博士課程を修了して現在、上智大学外国語学部教授。

 そんな自立的に生きてきた「直立人」であった母が、病を得て「横臥者」となる。小川さんも大学の仕事に追われて効率主義を貫いてきたが、今は母と同じ時間が流れるように、ゆっくり歩く方法を学んでゆく。和歌山の姉とともに京大病院に通う母に付き添い、やがて東京に呼び寄せ、お試しの施設を経て、ようやく母は今、近くのサービス付高齢者向け住宅に「自分ひとりの部屋」を得て、ケアワーカーの援助を受けながら穏やかに暮らしている。

 ケアとは何か。「ケア・アバウト(Care about)」と「ケア・フォー(Care for)」との違いは何か。

 アメリカの政治思想家ジョアン・トロントは「ケア・アバウト(Care about)」は「気にかけること」であり、他方、家族や近親者を直接的、具体的な行為で世話をすることを「ケア・フォー(Care for)」と呼ぶ。「家事や育児の「ケア・フォー」は手を使う仕事がほとんど。「ケア・アバウト」は労働によって得た対価(お金)を使って誰かをケアすることだ」と小川さんは、その違いを実感する。

 「ケア・フォー」の実践は「母と手をつないで歩くこと。母が不安に駆られたときは、思いつく限りの物語を語って母との時間を共有する。互いの身体は刻々と変化していくが、その変化に合わせて経験を共有しあうケアを実践していこう」と小川さんは思う。

 たとえば病気の悪化で精神的に不安定になった母に小川さんは、ハン・ガンの『少年が来る』の主人公トンホの生と死について語る。光州事件で軍の犠牲になった人たちの納棺や身元不明の遺体を遺族と引き合わせる作業に走り回るトンホ。彼自身も最後は軍に殺されてしまうのだが。その話を聴いた母は、幼くして亡くなった自らの兄にトンホを重ねて生と死のありようを自分なりに受け止め、静かに気持ちを収めていったという。

 また「お父さん、早くお迎えにきてくれへんかなあ」という母の口癖に小川さんは、「日蓮であればなんと言っただろうか」と考える。『日蓮の手紙』を読み、「死者の世界と生者の世界は地続きであること。霊山浄土とは極楽浄土のように死後の別世界ではなく、生きている今、娑婆世界で体現できる世界である」という日蓮の考えを母に伝えて、「浄土でお父さんと再会できるとしても、それは生きているわたしたちが、「よく生きる」を、とことんやらな、あかんのとちゃうかな」と言う小川さんに、母は、こっくりと頷いて納得する。この二人の和歌山弁のやりとりが、なかなかにいい。

 「霊山浄土」の言葉は「不確かさや、神秘的なこと、疑惑ある状態の中に人が留まることができるときに現れる」という意味で、19世紀の詩人ジョン・キーツの言う「ネガティヴ・ケイパビリティ(Negative Capability)」(答えの出ない状況に直面しても、その曖昧さや不安な状態を受容する能力)、つまり「どちらかを選ばなくてもいい」という二元論につながるのではないかと小川さんは考える。

 本書には大切な言葉の数々が散りばめられている。「あわい(間)」(二つのものの関係)の中には、時としてケアする側もケアされる側も、「家族ほど力関係が渦巻き、支配をめぐる暗闘が繰り広げられる世界はない」という信田さよ子著『家族と国家は共謀する――サバイバルからレジスタンスへ』からの引用に小川さんは何度も救われる思いをしたという。

 あるいは病院関係者や介護職に従事する人々の「待つ力」には感服させられるばかりだと語る。

 「母のつらさを「分かる」ことはできないけれども、「分有する」(フランス語でpartager)ことはできるかもしれない」。それを小川さんはフランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩「ナルシス断章」(中井久夫訳)で、生身の身体をもつナルシスと水面に映る虚像のナルシスは別の存在として「分かたれて」いながら、同じ水鏡を見つめることで「分有する」。異なる身体をもつ2人は経験を共有することはできなくとも、同じものを見ることで繋がり、結びついていくと知り、「ああ、文学の言葉は他者の苦しみへの回路をひらいてくれるものなのか」と納得したという。

 そして誰しも「人に迷惑をかけない」で生きることなんてできない。
 「そよ風のように街へ出よう」「迷惑をかけていけばいいのだ」というエッセイを私は14年前に書いた。1970年代末の重度障害者解放運動「グループゴリラ」にかかわる京都の医学生たちとともに小学生の娘をつれて障害者の自立解放運動に参加した頃、世間のあまりの無理解に腹を立てて喧嘩する日々の中で味わった言葉だ。

 「思いやるというのは健全者に遠慮することではない。思いやった上で、それでもなおCPとしての主張を通さねばならない。時と場合によれば健全者がぶっ倒れるのを承知の上で、健全者を使いきらねばならないのだ」と横塚晃一(青い芝の会初代会長)は、著書『母よ!殺すな』(すずさわ書店)の中で語っていた。 「迷惑をかけていけばいいのだ 新・出生前診断実施反対」(旅は道草・35)やぎ みね

 アメリカの心理学者キャロル・ギリガンは、1982年、キャロル・ギリガン著『もうひとつの声で 心理学の原理とケアの倫理』を書いて、男たちによって置き去りにされた女たちがケアを担い、苦悩が生じている事実、沈黙を強いられている事実が社会に不可視化されていることに向き合ってきた。初版刊行後、本書は多くの翻訳を経て世界的ベストセラーとなる。日本でも2022年10月、川本隆史・山辺恵理子・米典子の増補完訳本として風行社から出版されている。

 ギリガンは「女性的」な声として聞こえていた「もうひとつの声」(すなわちケアの倫理の声)は、まさに「人間の声」のひとつであり、家父長制の声とは異なるものであること。「家父長制が押し付けられたもとでは、この「人間の声」は「抵抗の声」となり、「ケアの倫理」は「解放の倫理」となる」と書く。そして「ケアとは関心を払うこと、それはできるだけ踏み込んで自分と相手に関心を払い、耳を傾け、自分で今何をしているのかを理解しようとする積極的な行為である」と強調する。
『もうひとつの声で』(In a Different Voice)が描くケアの倫理(旅は道草・182)やぎ みね

 そのギリガンが「従来の心理学理論のゆがみと限界を指摘し、ケアの倫理の新たな地平を開拓した」として、昨年11月、科学や思想・芸術の発展に寄与した人を顕彰する京都賞(稲盛財団)を受賞した。

 受賞後の新聞インタビューで「家父長制においては力を無理やり使うことで声をねじふせようとする。トランプ政権は暴力で相手を黙らせる家父長制。それに向かって「ケアの倫理」で抵抗を」と語っている(毎日新聞2025年12月28日付。清水有香・記)。現在、89歳のギリガン。こんな威勢のいい、胸のすく啖呵に、ああ、スッキリ。

 また精神科医・斎藤環は『ゆっくり歩く』の書評で「他者とつながる力 ケアを「自律」に」と書く。著者とその母が参加したオープン・ダイアローグ(フィンランドのケロプダス病院で1980年代に開発された統合失調症やうつ病などに対する画期的な精神科の対話的アプローチ)での「ネガティヴ・ケイパビリティ」(答えの出ない事態に耐える力、どちらかを選ばなくてもいい)の実践を斎藤環は高く評価し、自らも対話実践者として「我が意を得たり」と思ったという。そして「対話と相互依存のネットワークこそが自律を可能にする」「祖母から始まる物語が著者のケア論に帰結した。円環が閉じられたわけではない。ケアの円環はなお成長するのだ」と評している(毎日新聞、2025年12月6日付)。

 本書の「あとがき」で小川さんは「先の見通しがつかない生き方を肯定する。母とゆっくりと歩きながら考え、迷いながら選択する」「ケアされるべき人の人間の尊厳が守られる方法はきっとある。絶妙なバランスの上になりたっている他者の尊厳は、見えそうで見えない。たぶん自分たちの想像力を猛烈に働かせることでしか、見えてこない」と結んでいた。

 振り返って、4年前に97歳で亡くなった私の母へのケアはどうだったのかと今になって思う。30代で義母を看取った時の私はまだ若かった。母をケアした70代の私とは全然違う。でも気っ風のいい母は「もう生きてるのが面倒臭くなったわ」と言わんばかりに、元気にあの世へ旅立っていった。その母の最期を、きちんとケアできたのだろうかと、ちょっと悔いも残る。

 もう一人、99歳(白寿)を迎えた叔母(母の妹)は元気でいてくれる。先日、京都・亀岡の温泉に連れていった時も自家製の野菜中心の冬の里山料理をしっかりと食べ、温泉も気持ちよく入ってくれた。日々、元気に過ごしてくれているのが何よりもありがたい。これから迎える叔母のケアは何とか悔いなくやってみようと思う。

 だが私も老いる。いつか私もケアを必要として周りに迷惑をかけることになるのかな。そのときはそのとき、あとはお任せね。

 たとえケアされる身になっても、他者も私も含めて、互いに「ケアし、ケアされる関係」を丁寧に紡いでいきたいと思うから、さあもう一度、この本を、ゆっくりと読もう、何度でも。