通常国会が、まるで参院選に追い立てられるように閉会された。私が深く関わってきた選択的夫婦別姓は、法案ができてから30年以上ほったらかされて、ぎりぎりでようやく形だけの審議入りを果たしたが、今年2月に与野党4党が合同で参院に提出した「特定生殖補助医療法案」は瞬く間に採決に持ち込まれそうな勢いだったがお蔵入りとなった。
何の話?と思う人も多いかもしれない。今日では日本でも広く行われている不妊治療、その中でも、第三者提供の配偶子(精子・卵子・胚)を用いた治療(AID)に初めてルールを定めようというものだ。日本では、1940年代から慶応医大で始まり、産婦人科医師会のガイドラインで運用されたが、法律はなかったのだ。
少子化が猛スピードで進む中、広く法的保護を与えるなら、歓迎されてしかるべき。だが、法案を読んで、当事者たちは仰天した。「当事者」とは、精子や卵子の提供を受けて子どもを持とうとする人、提供された配偶子で生まれた・生まれる子供、精子や卵子を提供しようという人々、そしてそれを助ける産婦人科医や医療機関など。こうした方法で生まれた子どもは日本でも1~2万人いると推定される。
問題だらけ法案に唖然
数日中にも参院でスピード可決となるらしいとの情報が入った4月初め、当事者たちは速攻で作戦会議を開き、4月9日、法案の修正を求めて緊急オンラインイベントを開催。前日の呼びかけにもかかわらず、580人もが集まった。5月13日にも会見して、この無理筋法案を通そうとする議連宛てに公開質問状を送ったことを伝えた。

5月13日、「生殖補助医療のあり方を考える議員連盟宛て」で送りつけた公開質問状。 回答期限5月27日までに真摯な回答があるだろうか。 By 特定生殖補助医療法案の修正を求める会

法案のスピード可決を恐れた当事者たちが4月9日、速攻で開いたオンライン集会には580人を超える人々が結集し、ことの重大さがわかり始めた。 By 特定生殖補助医療法案の修正を求める会
悲痛な当事者の声や法案の酷さについては、事の重大さに気づいて取り上げ始めた日本のメディアや当事者たちのNote情報に譲る。ここでは、ヨーロッパの先例から得た知見をちょっとだけ深堀りしてみたい。その前に、法案の問題点を2点あげておく。
まずは、対象者を「既婚カップル」のみに限定したこと。事実婚やLGBTカップルは排除され、このような治療を行った医師や医療機関も含めて、刑罰まで科そうとしている点。
私が所属する選択的夫婦別姓を求める団体「あすには」の調査によれば、「別姓待ち」、つまり、夫婦別姓が可能になるまでと事実婚で待つと答えた人は58万7000人もいることがわかった。一方、諸調査によるとLGBT人口はどんな社会でも1割前後と推定されるから、相当数のLGBTカップルが存在することになる。さらに、この法案には、「国外犯規定」まであって、外国でこうした治療を受けてそこでは適法な対価を払っても、拘禁刑などの厳罰がありうるという。
2点目は、提供配偶子で生まれてくる子供たちの「出自を知る権利」の保護があまりにお粗末なことだ。国立成育医療研究センターに100年保管されることになっている提供者情報のうち、子どもが成人を待った上でリクエストして与えられるのは、身長、血液型、年齢のみ。日本も批准している国連子どもの権利条約にも沿っていない。
詳細は5年以内に見直すとの附則がよいだろうと突っ走ろうとしているが、当事者が黙って待つはずはない。女性が妊娠できる期間も、少子化も、待ったなしだからだ。
欧州の先例から学べること
さて、世界、とりわけ私の住む欧州での状況と取り組みを見てみよう。日本と同じように、欧州主要国でも、90年代初頭から、出生率が低下し、社会の高齢化が懸念されるようになると、EUや各国政府が資金を付けて、どのような政策が出生率上昇につながるかの研究が盛んに行われた。当時、最も効果をあげていたフランスの学者がこう語ってくれたのが今も忘れられない。
「女性は一過性の金品をもらったからといって、子どもを持とうなんて考えない。未既婚に関わらず、職を持とうが失業しようが、子どもを持っても、充実した生涯が過ごせると見通しが持てた時、子どもを持とうとするのです」と。
こうして、欧州では、(もちろん、移民政策に負うところも大きいが)未既婚に関わらず、性的志向に関わらず、子どもを持って育てていくことに、幅広い支援を始めた。第三者提供の配偶子を利用した不妊治療も含めて。
ところで、世界で最初に同性婚を可能にしたのは、オランダ(2001年)で、私の住むベルギーも2003年これに続いた。ベルギーはそればかりか、安楽死も、積極的臓器提供(推定同意)も、かなり早い時点で成立させている。ベルギーが伝統的なカトリック国でありながら、いやにリベラルなのは、ベルギー独特のプラグマティズムからだとされている。車で1時間も走れば、国境すらなしにオランダに入れ、そこで同性結婚でも安楽死でもできてしまう。昨今では、右傾化するハンガリーやルーマニア、それにイタリアでも、LGBTへのバックラッシュが起きているが、ベルギーに居住していれば、パートナーの国籍を問わず同性婚も安楽死も合法だ。
ここで「結婚」以外の合法的なカップル登録についても言及しよう。日本ではフランスの「パックス婚」がよく知られているが、これはフランスに限ったことではない。ベルギーのそれは「合法的同居」と呼ばれ、ボーイフレンドと同棲する日本の女性は「フィアンセ・ビザ」と勝手に呼んでいる。欧州の多くの国で、「結婚」以外のこうした枠組みがあるのは、「結婚=マリッジ」がキリスト教における神との約束で、一度結婚したら離婚が許されないことを面倒がる人々が、無宗教的な枠組みを求めたからだと私は分析している。「結婚」と「合法的同居」は、法的な配偶者保護にほとんど差はない。
こうしてLGBTカップルにはこの「合法的同居=無宗教な正式配偶者登録」がまず認められ、次の段階として「結婚」もOKとなった。ある二人が世帯を共にしている時、その二人が「結婚」しているか、「合法的同居」か、さらにいえば、「単に同棲しているだけか」なんて、究極のプライバシーであって、誰も尋ねないし、親すら知らない。日本以外の世界では、結婚しても別姓でいることも可能だから。
長々と説明してしまったが、既婚カップルか、合法的同居か単なる同棲中の人でも、第三者の配偶子を使っても使わなくても不妊治療の対象から外されるなどということがありえないわけだ。(唯一の条件は年齢で、不妊治療の成功率やダウン症などの遺伝子異常発生率などを考慮して、保険適用年齢には上限が設けられている。)
露呈するスキャンダル
昨今、欧州では、生殖医療法制度や運用面の不備から、いくつかの問題が露呈して、スキャンダルとなっている。
たとえば、オランダのガイドラインでは提供は12人程度までとされているが、ある男性はそれを無視して500人以上の子どものバイオロジカルな父親となっていたことが発覚した。男性はテレビ取材にも答えて、「人助けのために今後も精子提供を続けたい」と語った。だが、短期間の間に、一定地域内で、同じバイオロジカルな父を持つ子どもが500人以上もいることは、将来的に近親婚のリスクも高まる。リベラルなお国柄のオランダだが、裁判所は、「違法ではないものの、今後新しい女性に精子提供してはならない」との判断を下した。同様なケースは、ドイツでもドキュメンタリー番組で取り挙げられている。フランスでは、70歳になろうとする高齢男性が自らホームページを作って国中に精子提供を進め、老後の楽しみにしているという。
フランスの人気番組「特派員スペシャル」では、精子を求める女性と提供したい男性とのマッチングがSNS上で横行していることから、記者が精子を求めるシングル女性になりすまし、募集メッセージを発してみた。すると、数分以内に何人もからの返答が来たという。普通、女性が排卵日近くに募集をかけ、良さそうな男性とアポをとって女性の自宅に来てもらい、専用容器を渡して精子を入れてもらう。だが、自宅が知られることによる後々の不安や高額報酬を吹っ掛けられる金銭トラブルも多く、また「実際の性交の方が着床率が高い」などと口説く新種の性犯罪も多いという。
イタリアは、カトリック教徒が多く、そもそも生殖医療には保守的だが、右派が政権政党となったことで、ますます厳しくなる傾向にある。独身女性や同性カップルは、生殖医療難民となって近隣欧州国に渡っているという。
旧東欧諸国やキプロスでは、貧困女性を搾取虐待して卵子売買する組織犯罪が発覚している。精子と異なり、採卵は女性の身体への侵襲が大きい。連日のホルモン注射で無理に多くの卵子を熟させ、麻酔を用いて外科的に採取する。善意で見知らぬ誰かに自発的に提供する人を探すのは難しい。これに目を付けて高報酬を約束して毎月のように卵子誘発・採卵を強制する業者がいるというのだ。脆弱な立場にある女性搾取が横行する。
さらに、配偶子は凍結できるのだから、技術的には世界中どこへでも輸送可能だ。ヒト配偶子の輸出入は厳しく制限されているとはいうが、どんなに輸出入要件が厳しくとも、需要と供給のバランス次第では、潜在市場に目を付ける事業者が出てくるのは間違えない。
アングラ化も、医療ツーリズムも、医療の質は保証できない。生まれてくる親権者は誰なのか、ドナーが外国人なら国籍はどうなるのか、出自を知る権利はどこまでどう担保するのか。かつての非摘出子差別と同じような差別もあるというから、先行する諸外国から学べる点は多いはずだ。

卵の細胞質内に極細ガラス針で精子を注入する顕微授精(ICSI:Intracytoplasmic Sperm Injection)。92年、世界に先駆けてベルギーで成功させた。 By Dr Kontogianni IVF
適正な生殖医療の要件
今日欧州で、生殖医療補助制度がそこそこうまく機能している筆頭は、デンマーク、それに私が住むベルギーやスペインと言われている。何がそのポイントとなっているのだろうか。
まず背景にあるのは、生殖医療の歴史や実績が豊富で、不妊治療で子どもを持つ人々が社会的にごく当たり前になり、出生した子どもが全出生数の約1割にも達していることだ。
そんな中で、第三者提供の配偶子による生殖医療が機能するための要件としてあげられるのが、①厳しすぎない法制度(インクルーシブでデモクラティック)と、②それを受ける人々や生まれてくる子供たちの人権への配慮と精神面も含めたケアだとされている。
フランスでは、つい最近まで、独身女性や同性カップルには門戸が閉ざされ、ドナーは「匿名」のみで、遺伝的要件や年齢制限も厳しかったが22年に大きく改正されたばかりだ。それでも、1人のドナーは最大5人までとされ、交通費にも満たないねぎらい手当では、ドナーは不足がちで、待ち時間が長い。対象が既婚女性に限定されているイタリアとともに、デンマークやベルギーなどへの生殖医療難民は後を絶たない。
オランダではドナーは「非匿名」、1人のドナーは12人までとガイドラインで定められていたが、運用は甘く、前述のようなスキャンダル発覚後、今ではドナー不足に転じている。
うまく機能している国々から成功要因を列記してみると表のようになる。
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① 生殖補助医療は、全ての人に開かれている。
② 公的健康保険でカバーされ、この医療を受ける人々の経済的負担を軽減する
③ ドナーは匿名・非匿名から選択でき、どちらにしても、遺伝や病気などに関するデータがしっかりと記録・管理し、必要な時に必要な人に開示できるようにする。
④ ドナーに対し、交通費や時間拘束、経済負担を補てんするリーズナブルなねぎらい手当を提供し、献血同様に善意のドナーを社会で奨励することで、適正なドナー・プールを随時確保する。
⑤ 全国的なコーディネーションを提供して、第三者配偶子で子どもを持つ親や子ども、ドナーに対しても、医療的・精神的ケアを提供する
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私自身もかつて、渡航したばかりのベルギーで不妊治療を受けた。90年代初め、飛行機でやってきてホテルに泊まりながら、不妊治療を受ける外国人を見て驚いたものだ。私自身は、ドナー配偶子を利用する代わりに、養子を迎える決断をしたわけだが、不妊に対する治療の一環として、ドナー配偶子利用や養子縁組が含まれていることに、経済的には日本の足元にも及ばないこの小国の懐の深さを感じたものだった。
最近、癌サバイバーの独身日本人女性の依頼で、デンマークでの事情を垣間見る機会があった。デンマークには、日本人コーディネータまで配した、実にきめ細かな外国人向け不妊専門クリニックが数多あることを知ったし、世界有数の精子バンクを構築していて、最大の精子輸出国でもあるのだと。
同じ轍は踏まずにすむなら、それに越したことはない。「人のふり見てわが振り直せ」は日本が誇る行動指標ではなかったのか、とため息をつきたくなる。しっかりした特定生殖補助医療を規定する法制度がない状態は健全とは言えないが、当事者の声をベースにし、他国の事情を分析して、意味あるものにしてほしい。ヘイトむき出しの候補者が乱立する参院選後を思うと、不安は尽きない。
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栗田路子
ブリュッセル在住ライター・ジャーナリスト
ベルギー・ブリュッセルより、欧州(EU)の政治・社会事情などを発信。共著に「夫婦別姓―家族と多様性の各国事情」(ちくま新書)など。同人メディアSpeakUp Oversea’s主宰。国際ジャーナリスト連盟フリーランスユニオン事務局長
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NPO現代の理論・社会フォーラム:https://gendainoriron.org/
「季刊『言論空間』2025夏号」(同時代社 2025/7/9発売)掲載記事のアップデート版を執筆者ご本人のご厚意により転載させていただいています。
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