齋藤絢子さんが拠点を置くのは千葉県長生郡一宮町。海が近く、移住者も多い町だ。サーファーの聖地とも言われている町でもある。彼女はここで農薬・化学肥料不使用で野菜を育て、定期宅配と直売所、レストランへの出荷を組み合わせて生計を立てる。売り上げは年によって波はあるが、概ね一千万円規模まで育ってきたという。だが今、彼女の視線は「野菜を作る」その先へ向いている。

農業をしたいと千葉県で新規就農

 齋藤絢子さんとお会いしたのは、2023年1月14日(土) に東京国際フォーラムホールで行われた「新・農業人フェア」。この催しは株式会社農協観光が農林水産省より「令和5年度担い手育成・確保等対策事業費補助金等(新規就農者育成総合対策のうち農業人材確保推進事業のうち就農相談会実施事業)」を受託し、運営されたもの。

収穫した葉ニンニクをもつ齋藤絢子さん。人気商品だ

 フェアは就農希望者と農業関係者をつなぐ国内最大級のイベントで、東京と大阪を中心に年に5回ほど実施されている。農業団体や、農業法人などのブースが並び、農業に興味がある人たちが参加する。数百名から千名以上の人が集まる。
 新規就農のコーナーで「とても頑張っている女性がいる」と紹介されたのが齋藤絢子さん。『旬を食べる子供が育つ』というコピーの入った、はがきサイズの素敵なカードには絢子さんと二人のお子さんの写真があり、野菜の宅配と千葉の直売所の案内がある。ただそのときは、「まだ準備期間なので1年待ってほしい」と言われて、そのままになっていた。そして、それから2年。現地に訪ねることとなった。


古民家を改修して農業と地域の繋がりの場に

 場所は、東京駅からだと特急で1時間5分。上総一ノ宮駅に齋藤絢子さんが迎えに来てくださった。案内されたのは広い庭のある古民家。「1年待ってほしい」と言われたのは、家をリノベーションし、そこを拠点に、住まいと同時に、親子を迎えての料理や小物をつくるワークショップの場と農業の拠点を設けるためだったと知った。

近所の人や仲間が集まった古民家再生の棟上げ

リノベーションして蘇った古民家


「住みたかった」古民家が、地域の“居間”になった

 古民家との出会いは、憧れの延長線上にあった。絢子さんは東京都目黒区祐天寺で生まれ育った。1981年(昭和56年)生まれ。幼い頃は門のある敷地に三世帯が集まって暮らすような環境だったという。落ち葉を集めて焼き芋をしたり、庭で餅つきをしたり。 「いま思えば、あの“緑に囲まれていた感じ”が、田舎や土への憧れの原点かもしれません」

 現在の一宮町には2010年に家族で移住した。子育てと仕事に追われながらも、「いつか農業をやりたい」という火は消えなかった。そして “この家どう?”と、数年前から声をかけられていた古民家の改修が、昨年ついに動き出す。大工さんは、もう早くから決めた人がいた。家は10年間空き家になっていたところだ。傾いた家をジャッキアップし、ほぼフルリノベーション。自然素材をできるだけ選び、将来解体することになっても再利用しやすい建材の使い方にもこだわった。車いすでも入れるようバリアフリーの工夫も入れている。

古民家再生には自らも参加した

大きなキッチンを設けたワークショップのスペース

「ここをワークショップや料理教室みたいな“場”にしていきたいんです」
 実際、取材の前日もスパイスカレー教室を行ったという。ほかにも味噌づくり、藁包みの納豆づくり、藁を使った鍋敷きづくりなど、月に多いときは5、6回、10人前後が集まるという。参加費は3,000から6,000円ほど。古民家は、住まいでありながら、地域の“居間”として息をし始めていた。

旅行会社から畑へ「やり直せる」34歳の決断

  齋藤さんの職歴は農業とは少し違う。大学は「なんとなく」入ったが、しっくり来ず2年で中退。最初は、飲食業のワタミ株式会社でアルバイトとして働いた。仕事は多くの仲間もできて楽しかった。
 しかし、高校生時代からの旅行会社に入りたいと思いが強く、派遣の会社を通じて旅行業界に入り、小さな国内旅行会社で12年働いた。会社は中央区の八丁堀にあった。団体客や、会社からのお客を、観光へと案内する仕事。お遍路の企画では四国の旅を企画して案内したこともある。小さい会社だったことから営業だけではなく、企画、現場の段取り、経理まで「全部やらせてくれた」経験が、独立の背中を押したという。その頃、結婚。夫はハーブの栽培・販売をする会社の勤務。田舎暮らしをやりたくて、サーフィンも好きだったことから、一宮町へ移住した。

 移住後すぐに出産。のちに下の子も生まれた頃、子どもたちが1年で大きくなり、変化を繰り返していく姿を目の当たりにして「食べるもので体ができる」を、生活の実感として受け止め直した。子どもが生まれてからも旅行会社勤務を続けていたが、農業への思いが強くなった。
「贅沢はさせられないかもしれない。でも、子どものせいでやりたいことをやらないのはカッコ悪い」。千葉県東金市・千葉県立農業大学校で2か月、農業の基礎を学び、その後、近所の有機農家で週1のボランティアから始め、通いで1年研修。2016年に独立した。その当時は、周りから「女性一人じゃ農業は無理」と言われたこともあった。

たわわに実った野菜と収穫

 農園名の「ミナモト」は、元気の源、命の源、原点の「源」。言葉の通り、彼女が届けたいのは“栄養”以上に、暮らしが立ち上がる感覚そのものだ。

ハウスで苗を育て畑に植える

定期宅配、直売所、そして「おいしさの記憶」

 畑は借地を組み合わせ、稼働しているのは約110a(アール)。畑は飛び地になっている。多品目で、年間50種類以上を作る。スナップエンドウ、オクラ、カボチャ、ネギ、大根など、さまざまだ。

ミナモトファームの豊な農作物

 
 特徴のひとつが「葉ニンニク)」。刻んで醤油に漬けるだけで、チャーハンや唐揚げが驚くほど決まるという。常温で持ちがよく、季節になると“キロ買い”する人もいる。こうした「台所で使い切れるおいしさ」が、ファンを増やしてきた。

畑から採れたばかりの葉ニンニク



 35℃を超える夏!「野菜だけ」では続かない現実

 齋藤さんが繰り返し話したのは、気候の変化への危機感だ。
「去年から35℃オーバーが当たり前みたいになって。露地栽培だと、この先野菜が作れなくなると思って」
規模拡大を続けてきた11年目に、初めて“縮小”を決めた。人と作付けを少し減らし、体験やワークショップなど「畑の外の収入」も増やしていく方向へ舵を切る。

 ただし、それは“農をやめる”という意味ではない。むしろ農を続けるための、土台の作り直しだ。落ち葉、藁、草刈りで出る草、地域の「捨てられていたもの」を資源に変え、堆肥にして畑へ戻す。落ち葉を集める“落ち葉ステーション”を作り、「勝手に捨ててください」の仕組みまで作ってしまう。捨てる側は処分費が減り、畑は宝の山になる。

販路は、定期宅配(毎回30人規模)、近くにある農産部直売所(週2回)、レストランが数軒など。目黒区の学芸大学の近くでの直売も行っていたが、古民家でのイベントが増えたため、こちらは休業。ただし、ここで繋がった人たちへ宅配をだしている。
 営業らしい営業はほぼしていない。農業のスタッフは3人いる。パートで女性2名、男性1名に来てもらっている。
「基本、口コミという感じで」食べた人が誰かに話し、店につながり、また別の人が畑へ来る。農の周りに小さな循環ができている。

葉にんにくたっぷりの鍋

剪定後の枝葉が持ち込まれ畑に還元される

 さらに「水を外へ流さず、しみ込ませる」涵養(かんよう)の庭づくりの考え方を取り入れ、畑にも応用を試す。実験的に始めた区画では、猛暑でも全く水をやらずにナスが元気だったという。
 気候変動は“精神論”では乗り切れない。現場の知恵と設計が、次の農をつくる。

「百姓」を目指す。生きる力を、取り戻す

  齋藤さんがよく口にした言葉がある。
「百姓になりたい」
 昔の農家は、冬は竹を編み、土壁の下地をつくり、道具も直し、暮らしの手入れを全部引き受けていた。彼女はそれを“かっこよさ”として捉える。スマホに溺れがちな現代だからこ そ、別の生き方の手触りを子どもたちに渡したいという。

「目の前の人が代々の農家さん。竹とんぼを創ってもってきてくれたりする。おじいちゃん。スマホなんか持ってない。竹を編んだりもする。100の仕事をこなせるから百姓。一生かけて百姓をしたい。学校では学べない生きる力を身につけたい」

落ち葉が堆肥となりフカフカとなった土

 古民家の場づくりには、もうひとつの意味も重なる。車いすでも参加できるバリアフリーの古民家は珍しい。
「車いすの人も気軽に参加できる農業体験や料理教室ができたら面白い」 さらに、不登校の子どもたちが安心して来られる場にも関心を寄せる。畑で抜いた大根を「自分で抜いたからおいしい」と食べる。その小さな成功体験が、子どもと大人の両方をほどいていくからだ。

夫を亡くしても、場は続く。「つながり」を残したい

 取材の終盤、齋藤さんは静かに語った。昨年末、夫を亡くしたこと。脳内出血で車いす生活となり、再度の出血で亡くなった。52歳だった。家は暮らしの場であり、同時に、別れを受け止める場にもなった。葬儀社に頼らず、約100人が集まるお別れの会を自分たちで開いたという。

家のふすまには、家族の思い出の写真が飾られている

「古民家のお披露目会も、目的は“見せること”じゃなくて人と人が知り合ってつながって、また新しい楽しいことをやってほしい」
 実は、家に入ったとき迎えてくれたのは、小さい可愛いい外国の子ども。オーストラリアからのホームスティ。
「ホームスティの話があり初めて引き受けました。夫が亡くなった後、すぐに彼女が来ました。でも、彼女が来てくれたおかげで、家庭に笑顔が溢れた」

オーストラリアからのホームスティの女性と絢子さん

庭での藁を使ったワークショップ

 現在、絢子さんは、二人の子どもがいる。中学生3年と小学6年の女の子だ。 「農業に夢中で、なかなかかまってあげられないけど、二人とも理解してくれているみたいで、家のことも手伝ってくれます」
 場を開く人は、結果として“編集者”になる。人と人、食と暮らし、地域の資源と未来の必要を、組み合わせ直していく。ミナモトファームの活動は、その編集の力でできている。

これから増築、加工、そして「みんなが楽しくなる場所」へ

 今後の展望は、増築部分の活用、加工(添加物を使わない総菜など)、研修生やボランティアが泊まれる仕組みづくり。
「とりあえず、みんながつながって、みんなが楽しくなる場所」
 畑を軸に、古民家があり、台所があり、学びがあり、出入りする人がいる。農は“生産”だけでなく、暮らしの再設計の仕事になっていく。

 土の話を楽しそうにする絢子さん。古民家で未来の農を話す。
 齋藤絢子さんのやっていることは、いま追い風だと言われる。というのは、国も有機農業と若い農家、農業女性の支援を政策にあげているからだ。けれど、追い風をただ待つのではなく、風向きを読んで自分の帆を張り替える人なのだと思った。とにかく明るい。前向き。身の回りの出来事すべて労を惜しまず楽しんでいる。

 この後、彼女の畑に向かった。そこには、学校帰りの子どもたちが、ボランティア仲間の女性に案内されて、10名近くがやってきた。そのなかには絢子さんの次女の姿もあった。葉ニンニクの収穫体験。抜いて束ねて新聞紙にくるんで持ち帰るのだが、これが実に楽しそう。しっかり地域に繋がる絢子さんの農業が、そこにあった。

ミナモトファーム http://www.minamotofarm.com