性と生殖・再生産の課題を新たな視座から問い直す

リプロダクティブ・ヘルス/ライツが求めてきたのは、一部の女性たちの権利だけだったのではないか——そのような問題意識から提唱されたのが「リプロダクティブ・ジャスティス(性と生殖・再生産をめぐる社会正義、以下RJ)」である。本書はアメリカの社会や歴史を中心にした入門書であるが、RJは日本社会に生きるあらゆる人の、性と生殖、再生産の課題に深く関わっている。

RJは、リプロダクティブ・ヘルス/ライツが重視してきた中絶権、つまり「産まない権利」に加えて、「産む権利」と「安全で健康な環境で子どもを育てる権利」を人権として主張する。この主張は強制不妊手術などで「産む権利」が侵害され、安全な子育て環境が保障されてこなかった、アメリカの黒人女性や先住民女性の歴史に基づく。

彼女たちの固有の経験は、交差性の視点から明らかにされる。性と生殖、再生産に関わる課題も、人種・民族、国籍、階級、ジェンダー、セクシュアリティ、障害などの複数の抑圧の交差からなる社会的不正義、つまり差別や格差、社会的不平等と無関係ではない。本書でも言及されたように、たとえばアメリカでは、黒人であるというだけで子どもでも潜在的に犯罪者とみなされがちなので、子どもが逮捕されたりせず無事に帰ってくるか、黒人の親は毎日心配しなくてはならない。特定の属性の人びとにとって子育ての環境が安全でないことは、性と生殖、再生産をめぐる社会的不平等が存在するということである。

このような課題は日本社会にも見出すことができる。日本でも、人種・民族的マイノリティの子育て環境は危機にさらされてきた。たとえば朝鮮学校はその設立当初からあらゆる弾圧を受けてきたし、生徒たちは制服(民族服)の切り裂き被害にあったり登下校時にヘイトスピーチにさらされたりしてきた。2010年に導入された高校無償化制度は、他の外国人学校やインターナショナルスクールが対象になった一方で朝鮮学校は除外され続け、政府がヘイトスピーチを牽引する構造になっている。こういった環境の中で、在日朝鮮人の親たちは安心して子育てできるだろうか。

「私は日本人だから関係ない」と感じる人もいるかもしれない。人種・民族的マジョリティである「日本人」にとってみれば交差性の枠組みは実感しにくいかもしれない。しかし「自分には関係ない」というフェミニズムは様々な局面で限界を迎えているのではないだろうか。そこに新しい視座で性と生殖、再生産の課題を問い直していく方法の一つとして、本書がお役に立てたら嬉しい。

[出版社ウェブページ]
https://www.jimbunshoin.co.jp/book/b10140301.html

[著者プロフィール]

ロレッタ・ロス (Loretta J. Ross)
活動家であり、マサチューセッツ州所在のスミス・カレッジ准教授。 SisterSong の共同創設 者として、リプロダクティブ・ジャスティス、白人至上主義、アフリカ系アメリカ人女性の 歴史などについて、執筆、講演などの幅広い活動に取り組んでいる。 Calling In How to Start Making Change with Those You'd Rather Cancel(Simon & Schuster、2025)、 Radical Reproductive Justice: Foundations, Theory, Practice, Critique (共編著、 Feminist Press、2017)など。

リッキー・ソリンジャー(Rickie Solinger)
歴史学者。リプロダクティブ・ポリティクス、福祉政策、投獄のポリティクス、母性、人 種などをテーマに多くの本を執筆。 The Abortionist: A Woman Against the Law(University of California Press、1994) 、 Pregnancy and Power: A Short History of Reproductive Politics in America(NYU Press、2007) 、 Reproductive Politics: What Everyone Needs to Know(Oxford University Press、2013)など。

[監訳者]

申 琪榮(しん・きよん)
お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科・ジェンダー研究所教授。政治学博士。専門は 東アジアにおけるジェンダーと政治。 近著に『フェミニズムを学ぶ人のために』(共編、 世界思想社、 2026) 、『「生保レディ」の現代史——保険大国の形成とジェンダー』、『Substantive Representation of Women in Asian Parliaments』 (分担執筆、 Routledge、2022) 『# MeToo の政治学』(監修、大月書店、 2021)ほか、 研究論文多数。

高橋 麻美 (たかはし・まみ)
お茶の水女子大学大学院博士後期課程在籍(ジェンダー学際研究専攻)。国立社会保障・ 人口問題研究所研究員。政策分析における交差性概念の活用を研究。「カテゴリーの交差 に現れる居住支援の課題:住宅確保困難事例の分析から」(『大原社会問題研究所雑誌』 800(6 月)号、 2025 年)など。

[訳者](担当順)

林 美子 (はやし・よしこ)
お茶の水女子大学大学院博士後期課程在籍(ジェンダー学際研究専攻)。ジャーナリスト、 元朝日新聞記者。メディアにおけるセクシュアルハラスメントを研究。「セクシュアルハラスメントの構造的側面の分析:「第三者」を含む権力関係に着目して」(『社会政策』16 巻 1 号、 2024 年)など。

新山 惟乃(にいやま・ゆいの)
お茶の水女子大学大学院博士後期課程在籍(ジェンダー学際研究専攻)。母体保護法にお ける人工妊娠中絶の配偶者同意要件を中心に、人工妊娠中絶法制における男性の関与のあ り方を研究。「人工妊娠中絶における配偶者同意要件の解釈・運用と諸問題」(『人間文化 創成科学論叢』26 巻、 2024 年)など。

大室 恵美(おおむろ・えみ)
お茶の水女子大学大学院博士後期課程在籍(ジェンダー学際研究専攻)。リプロダクティ ブ・ジャスティスの植民地主義批判に注目し、植民地朝鮮における日本人産婦人科医の活 動を研究。近刊論文「身体で交差する帝国の知とジェンダー——京城帝国大学産婦人科教授・高楠榮による「体質研究」を事例に——」『女性学年報』第46号。

花岡 奈央 (はなおか・なお)
お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了(ジェンダー社会科学専攻)。オンラインフェ ミニズム運動と反トランスジェンダーの動きについて研究。『トビタテ! LGBTQ + 6 人 のハイスクール・ストーリー』(サウザンブックス社、 2022 年)制作協力。

ミーシャ・ケード(Misha Cade)
東京大学大学院総合文化研究科地域文化専攻博士後期課程在籍。 大学で性的同意の啓発 活動を行う活動家。日本の学生の性的同意の意思表示や性被害経験を研究。『The Politics of Speaking Up: Sexual Consent and Student Activism in Japanese Universities』(Asian Journal of Womenʼs Studies, 2025 年 , in press)


◆書誌データ
書名 :リプロダクティブ・ジャスティス——交差性から読み解く性と生殖・再生産の歴史
著者 :ロレッタ・ロス&リッキー・ソリンジャー
監訳者:申琪榮&高橋麻美
翻訳者:林美子・新山惟乃・大室恵美・花岡奈央・ミーシャ・ケード
頁数 :324頁
刊行日:2025/09/25
出版社:人文書院
定価 :3,960円(税込)

リプロダクティブ・ジャスティス: 交差性から読み解く性と生殖・再生産の歴史

著者:ロレッタ・ロス

人文書院( 2025/09/17 )