1975年にハリウッドで、翌76年にはパリで、フランスで活躍する一人の女優が2つの質問を携えて23人の女優たちにインタビューを行った。
7月24日(金)に日本公開が始まるドキュメンタリー映画『美しく、黙りなさい』を、
一足早くオンライン試写で見た。この映画は、伝説的女優デルフィーヌ・セリッグ(1932-1990)が遺した唯一の長編作品だ。上映されるのは、⼥性の歴史についての映像を保全し普及することを⽬的にしたボーヴォワール視聴覚センター(デルフィーヌ本人も創設者の一人)と、フランス国⽴図書館が主導した修復版だ。
2023年2⽉にフランスで再公開された時には、「ル・モンド」「リベラシオン」など多数のメディアに絶賛され、「#MeToo のはるか前に、これほど重要なドキュメンタリーがあったとは!」「映画とジェンダーを語る歴史的な重要作だ」と大きな反響を呼んだという。実際、それぞれに個性的で魅力的な23人の女優たちが、率直に、あるいは言葉を探しながらインタビューに答えるモノクロ映像は、見る者を引き付ける。
監督したデルフィーヌ・セリッグは『去年マリエンバートで』(1961/アラン・レネ監督)、『夜霧の恋⼈たち』(1968/フランソワ・トリュフォー監督)、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972/ルイス・ブニュエル監督)など多数の作品で観客を魅了した。近年では、シャンタル・アケルマン監督の『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975)が、英国映画協会2022年度版ランキングで「映画史上のベストワン」に輝き、ふたたび脚光を浴びている。
国連の国際女性年だった1975年、彼女が同業の女優たちに投げかけた質問は次の2つ。
Q1 もしあなたが男性だったとしても、この職業を選びましたか?
Q2 他の⼥優と友好的な場⾯を演じたことがありますか?
インタビュー撮影を始めた当時43歳だったデルフィーヌ。シンプルに研ぎ澄まされた問いには、自らが歩んだ中で感じてきた疑問が投影されていたに違いない。
最初の問いに対しては、ミリー・パーキンス(代表作『アンネの日記』1959/ジョージ・スティーヴンス監督)の「男性だったら、もっと幅広い選択肢があったと思う」のように、多くの女優たちが否定的な答えを重ねていく。1960年代に「イタリア・ゴシック・ホラー」の絶叫クイーンと呼ばれたバーバラ・スティールは演じてきた役について「自分自身のイメージが矮小化された。ステレオタイプをなぞっているだけ。本当はやりたいことをやるべき。自分を好きでいるために」と言い切る。その潔さ!
そして、ルッキズムやエイジズムが横行する現状への拒絶や怒り、なぜ自分たち女優は制作陣から意見を求められないのか、女性に求められる役柄の多くが母・妻か娼婦に2分され、他の役柄がないこと、男性同士のバディものの流行の裏にはミソジニーがあるのではないか、などが語られる。
そんな中でオスカー女優エレン・バースティンは「近頃はウーマン・リブのお陰で女性に求められる役が変わってきた」と証言した。極めつけは「映画は結局、男の巨大な幻想なのよ」と喝破するデリア・サルヴィの至言。1950年代からテレビドラマや映画に脇役として多数出演した彼女の言葉に重みがある。
2番目の問いに対してはマロリー・ミレット=ジョーンズ(ケイト・ミレットの妹。本⼈も現在はフェミニズム評論家)が「素晴らしい質問ね。他の⼥性と友好的な場⾯を演じたことはなかった…まず ⼥性役が複数あることが稀なの」と応じる。
そしてジェーン・フォンダは、『ジュリア』(1977/フレッド・ジンネマン監督)の撮影現場での体験を興奮気味に語る。「ある⽇、はっきり気付いた。⼥同⼠の前向きな関係を演じるのは初めてだと。こういう⼈物や関係性を演じることは私を⾃由にしてくれると感じた」
ジェーンの気づきはクリエイティブの現場に波及し、歳月を経てシスターフッドというテーマは多彩なインスピレーションの源となった。その後の50年、女優たちだけでなく、映画に関わる女性たち男性たちが、その可能性を追求してきたからこそ、今年の第79回カンヌ国際映画祭で岡本多緒とヴィルジニー・エフィラの2人が最優秀女優賞を受賞した濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』が生まれる素地が整ったのではないか、と思った。
デルフィーヌの問題意識のありか
さて、この映画を作ったデルフィーヌの動機は何だったのだろうか?
彼女の息子ダンカン・ヤンガーマンは、日本公開に当たってのインタビューで、当時の母について次のように述べている。撮影が始まった当時、彼は19歳でアメリカに留学しており、本作の撮影の⼀部の現場にも参加したという。
「当時、⺟と私はとても親しい関係でした。物理的には離れていて、私はアメリカに住み、彼⼥はフランスに住んでいましたが、たくさん⼿紙を書き合い、多くの考えや感情を共有していました。ちょうど1975年から76年ごろ、彼⼥は私に、⾃分の考え̶̶⼥優としての考え、フェミニストとしての考え、⼥性としての考え̶̶をたくさん書いてくれました。素晴らしい⼿紙がたくさんあり、深いやり取りがありました。だから私は、この映画が当時彼⼥の頭の中を占めていたことをいかによく表現しているか、よく知っています。
彼⼥は<⼥優であること>を問い直していました。もはや以前のように⼥優であることに興味を持っていなかったのです。若い頃、20代や30代のときは、⼥優として成功したい、役をもらいたい、舞台に⽴ちたい、映画監督と仕事をしたいという強い欲望と野⼼を持っていました。しかし40歳を過ぎた頃から、フェミニズムの影響もあって、⾃分がなぜ⼥優である必要があるのか、⼥優という職業の意味、与えられる役の意味を問い直すようになりました。そして芸術的な情熱というよりも、⽣きていく⼿段として、⼥優を続けるようになりました」
「1975 年という年は、彼⼥のキャリアにとって重要な年でした。その年、カンヌ映画祭では、彼⼥が主演した映画が4本上映されました。『ジャンヌ・ディエルマン』(前出、シャンタル・アケルマン監督)、『アロイーズ』(リリアーヌ・ド・ケルマデック監督)、『インディア・ソング』(マルグリット・デュラス監督)、『Le Jardin qui bascule(原題)』(ギイ・ジル監督)です。これは前例のないことでした。しかも、そのうち3本は⼥性監督によるもので、それも前例がありません。そのため、デルフィーヌの出演作がパルム・ドールを受賞するのではないかと多くの⼈が予想していました。しかし実際には受賞しませんでした。彼⼥はキャリアの頂点に達しながら、同時に評価されなかった。それは彼⼥にとって象徴的な瞬間でした。その瞬間に、彼⼥は⼥優という仕事に背を向けはじめたのだと思います。そして『美しく、黙りなさい』に取りかかります」
「デルフィーヌは世の中に失望し、冷めた気持ちになり、⾃分⾃⾝の映画に完全に没頭しました。他⼈から役や承認を与えられるのを待つのではなく、⾃分で直接表現することを選んだのです。拒絶されるリスクやブラックリストに載るリスクを承知の上で」
FAXはおろか、携帯電話もメールもない時代、インタビューのアポイントを取ることも事務所経由の電話が頼りの時代。ダンカンは、電話ボックスでの電話の後、意気消沈したデルフィーヌの姿も覚えていた。しかし、彼は「デルフィーヌはこの作品を世に出せたことをとても誇りに思っていた」と証言する。彼のインタビュー全文は劇場販売のパンフレットに掲載されるそうなので、ぜひ公開後に全文を読むことをおすすめしたい。

『美しく、黙りなさい』⽇本版メインビジュアル(提供:ムヴィオラ)
原題は「Sois belle et tais-toi !(英題「Be Pretty and Shut Up!」)。 「美しくしていなさい、そして黙っていなさい」という言葉は、元々はフランスの映画・演劇業界などで⼥性に対して使われていた表現で、ジェンダー差別を象徴する決まり⽂句だという。
⽇本版メインビジュアルでは、ビデオカメラを構える監督、デルフィーヌ・セリッグの姿を前⾯に、その後ろに映画に登場した⼥優ヴィヴァ(60年代のアンディ・ウォーホル作品で知られる)が映り込んでいる写真と、「Sois belle et tais-toi !」という⾔葉を配置。「tais-toi」に⾚いラインを引き、「いいえ、私たちは黙りません」という意志を反映している。
自分の意見を率直に語る女性たちは美しく、そして雄弁だ。
『美しく、黙りなさい』上映情報
関東:7月24日(金)~ Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下 ほか
関西:8月1日(土)~シネ・ヌーヴォ(大阪)、7日(金)~京都シネマ、22日(土)~元町映画館(神戸)
監督・インタビュアー:デルフィーヌ・セリッグ
出演:ジェーン・フォンダ、シャーリー・マクレーン、ジュリエット・ベルト、アンヌ・ヴィアゼムスキー、マリア・シュナイダー他
原題:Sois belle et tais-toi !|英語題:Be Pretty and Shut Up!|1976|フランス|白黒|112分|
日本語字幕:竹内航汰|提供・配給:ムヴィオラ
公式サイト:https://moviola.jp/sbett/









