9月11日にオンライン配信で行われた「中西豊子さん『女の本屋の物語』復刊記念トークセッション〜バトンをつなぐということ」は、進行を含め10人以上がリレートーク式に発言し、90人が視聴して実りの多いトークセッションとなった。会員の四方天茉莉花さんが内容に触発されて描いてくれたイラストの一部をご紹介しながら報告する。(大田季子)
前半は、このイベントの発案者で、「新版 女の本屋の物語」の本の帯に「この人がいなかったら…今の私はなかった」と言葉を寄せた上野千鶴子さんが、中西さんの間近で同時代を生きた立場で話し始めた。
女の本屋っていったい何?
1982年京都市に日本で初めてのウィメンズ・ブックストア「松香堂書店」が誕生した。中西さんが出版社に「女性におすすめの本を送ってほしい」と連絡すると、届いたのはファッション、料理、ガーデニング…のような本ばかり。女たちが本当に読みたい本がなかった。当時の勤務先が近かった上野さんは3日と空けず通い詰め、自ら書き手になっていった。江原由美子さん、小倉千加子さんも1980年代に育った書き手だ。

「松香堂書店」の2階は関西の女たちのネットワークの拠点になった。「その頃のフェミニズムは気圧配置と同じで西高東低でした」と上野さん。
訪れる客がいろいろな悩みを抱えていると知ると、中西さんはカウンセラーの資格を取り、さらに企画会社も立ち上げた。今年3月に復活した「京都 女のフェスティバル」も彼女がいたからこそできた企画だった。
当時の従業員で中西さんを「店長さん」と呼ぶ中村美智枝さんは「大変働き者の店長さんでしたので、振り回されながらエッコラエッコラ手伝っていました」と振り返った。
出版業も始め、ボストン女の健康の本集団が出版した「Our Bodies Ourselves」の全訳本「からだ・私たち自身」(1988年)、「資料 日本ウーマン・リブ史」(全3巻、1994~95年、WANミニコミ図書館に収録)なども手掛けた。
上野さんは20年前に中西さんから送られた初版本に添えられていた挨拶状の一部を読み上げた。
「このたび拙著『女の本屋の物語』を上梓いたしました。私が女の本屋を始めて80年代フェミズム関係の出版が急増しました。ウィメンズブックスは、それらの本からたくさん力をもらいながら、またフェミズムの本を応援しながら伴走してきたように思います。この活動をぜひ書き残しておくようにと強く勧めてくれたのは、現在の『ウィメンズ・ブックストアゆう』代表の森屋裕子さんです」

20年前の本がいかにして復刊されたのか
2025年6月にWANアクティブボランティアの一人、渡辺知子さんが京都のシスターフッド書店Kaninを訪ねた時、ずっと購入したいと思っていた中西さんの「女の本屋の物語」(ドメス出版)を見つけて、じっくり見入っていた。店主の井元綾さんから「それはお店に1冊だけ残っている非売品です。すでに絶版となっているので復刊したいけれど、どうしたらいいでしょう?」と話しかけられた。渡辺さんは早速、上野さんにメールで相談、すぐに返事が来た。
「著作権者は中西さんご本人。出版社の契約期間は過ぎていますから、文庫にする手はあります。版元に相談してみます」。それから1年、渡辺さんはWANサイトに出た「中西豊子さんの名著が復刊!」の記事https://wan.or.jp/article/show/12497に驚いた。
渡辺さんへの返信の後、上野さんはいくつかの出版社に声を掛けた。しかし今は出版不況。なかなか芳しい返事はもらえなかった。しかし、中西さんの旧著を読んで「編集の仕事は、こんなにも大きな可能性を秘めていると改めて気づかされた。これを届けたい。絶対あきらめたくない」と思った幻冬舎の編集者・竹村優子さんは、社内では通らなかった企画を晶文社の吉川浩満さんにつないだ。竹村さんから借りて中西さんの本を読んだ吉川さんは「これは出したい」と強く思い、折よくスタートしていた「晶文社ライブラリー」という復刊ものシリーズの1冊としてラインアップされることになった。「このシリーズに入れさせていただけたら長く売れると思った」と吉川さん。
上野さんは「最初お二人は中西豊子さんをご存じなかった。でも全国に女性運動の草の根ネットワークを築いた女性たちがいるんです。関西の中西さんを関東の方はご存じない、若い世代がご存じないのも当然ですが、記録を残してつなぎたいと思います。新刊の装丁が出てきたときに、あっと思いました。フェミニストアーティストの有名な作品でした」
昨年東京国立近代美術館でアジア初の大回顧展が開かれたスウェーデン出身の画家ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)の作品がしっくり馴染んでいる。

リアル店舗からバーチャル空間へ WANの誕生
「原著が出たのが2006年。そして新刊が出たのが2026年。この20年間に何があったのか? 2009年にWANが発足しました。WANの創始者は実は中西豊子さんでした。中西さんは書店をしながら早い時期にブログを始めたり、ハイテクに詳しい人で、突然『これからはネットや』と言い出したんです」と上野さん。
2008年に大阪に誕生した橋下徹大阪府知事が、大阪府立男女共同参画センター「ドーンセンター」を売却する方針を出した。センターの1階にあったのが、中西さんが京都で始めた女の本屋を受け継いだ「ウィメンズ・ブックストアゆう」。店長の森屋裕子さんはじめ、大阪の女性たちは「好っきやねんドーンセンターの会」という団体を立ち上げて抵抗した。
しかし2000年代前半はフェミニズムへのバックラッシュが起こり、行政改革で様々な予算が削減された。店頭販売だけでは経営が厳しい女の本屋の売上は、各地の男女共同参画センターへのフェミニズム本の販売がかなりのウエイトを占めていたが、出版不況も重なり、限界が来た。
「採算がとれる店にしたい」と頑張ってきた森屋さんも厳しい事態に直面した。「大阪府議会で『ドーンセンター1階にフェミニズムの本屋があるが、どうしてできたんだ?』と質問されたり、議員がやって来て店頭に置いたジェンダーフリーの本を写真に撮って『有害図書だ』と問題にしたりしていた。全国的に女性センターそのものの開設がなくなって、最後の大きなセンターの設立は、埼玉県男女共同参画推進センターでした」
中西さんの時代から出してきた、女性問題に関する新刊本を紹介するニューズレター「ウィメンズブックス」も森屋さんが引き継いで発行してきた。ドーンセンターを訪れた女性センターの人から「ここに載っている本だったら、どの本でも図書館に置いて大丈夫と思っている。役に立っています」と声を掛けてもらった。しかし、その本の購入先は「ウィメンズ・ブックストアゆう」とは限らない。「紹介しても本は地元の本屋に発注するんですよね」
上野さんは「森屋さん、本当に一番きつい時代を支えていただき、ありがとうございます」とねぎらった。

ウィメンズブックストアゆう
求められている「女性のための本」の情報
リアル書店はなくなったが、WANのサイトには「女の本屋」がある。中西さんや森屋さんが作ってきたニューズレターを継ぐ企画として新刊の書評を載せている。
シスターフッド書店Kaninと上野さんをつないだ渡辺さんは「復刊された本を読んで、松香堂の2階の畳敷きの部屋へ行き、いろんな人たちとわいわい話をしてみたかったと思いました。
WANには上野さんを塾長とするフェミニズム入門塾があり、岩波書店の『新編 日本のフェミニズム』を教材として2021年から開講されています。先日第4期が始まったところですが、入門塾は前期の受講生たちが『学びの機会を分かち合いたい』と自発的に次期を立ち上げて運営するという形で続いています。その理念は、松香堂の2階の分かち合いの場につながっているのでは」と紹介した。
上野さんは「私が書いた文章の引用ですが」と断りつつ、原著にも新版にも掲載されている解説を読み上げた。「女から女たちへ。フェミニズムの標語はこれに尽きる。先を駆け抜けた女から後から来る若い女たちへ。思いは手渡されるために、ある。本書は、豊子さんからわたしたちへの最高の贈り物だ。」
安心してオープンに話せるリアルな場、再び
伊田久美子さんは、中西さんの松香堂と復刊のきっかけを作ったKaninブックス、どちらもリアルで知っている。1970年代後半、留学していたイタリアには女の本屋はいろいろあった。こんな本屋が日本にもあるといいなと思いながら82年秋に帰国したら、京都に女の本屋ができていた。これはすごいと何回か足を運んだら、自己紹介をしたわけでもないのに、丸椅子に座って大声で話しかけてくる豊子さんと十年来の知り合いのようになっていた。
「いつの間にか受け入れられているような。私だけではなく、いろんな人たちに開かれた懐の深い場所で、広がりを持つ寛容なネットワークが作られていった稀有な場所だったと思います。大阪で就職してドーンセンターにもよく行きましたが、そこにウィメンズ・ブックストアゆうがあったことも私にとってはとても大きなことでした。今、ドーンセンターの1階に行くと、あるべきものがないという欠落を感じます。ウェブ上のネットワークには非常に大きな力も可能性もありますが、リアルな場で、それも本屋という開かれた場所でのネットワークが、いかに重要なものであるかということを改めて考え直す時期に来ているのかなと思います」
「白川通を自転車で移動していたら、シスターフッド書店を偶然見つけました。おお、これはすごい、とわくわくして。あとで恐る恐る行ってみたら、そこには、椅子どころかテーブルもあって、お茶もお酒も飲めるようなことが書いてあった。何よりその入り口に中西豊子さんの『女の本屋の物語』が飾ってあった。新しい世代の人達が、かつてのネットワークとはまた全然違うところから、同じ志を持った同じ試みを始めてるんだなということが本当に印象的でした。先日、Kaninさんの3周年の集まりに行きましたが、アットホームで開かれた空間でゆるくつながって話せた。騒がないでそっと見守りたい。そんな気持ちで、これからも時々お邪魔しようかなと思います。
30年前まで10年間、中西さんたちがやってきた女のフェスティバルを今年3月8日に、女+フェスティバルという形でやったところ、思った以上に大勢の人達が来てくれた。リアルに集まれる場、安心してオープンに話せる場。そういうものがすごく求められてるんだなということを実感しました」

京都に生まれたシスターフッド書店 Kanin
シスターフッド書店 Kanin https://kanin.base.shop/ は火曜定休だが、その他の日は毎日12時から開店している(月・木・金は17時まで。水は16時30分まで。土・日は18時まで)。店主の井元綾さんと京極さちえさんは大分県生まれの幼馴染。開店までの経緯は「シスターフッド書店 Kaninができるまで」(1,100円)というZINEにまとめている=写真。
ともに女性として生きる中でフェミニズムの本に勇気づけられた経験があり、中西さんの「女の本屋の物語」に背中を押されたと話す。客層は外見からは女性と思われる女性表象の人がほとんどだが、年齢層は幅広い。「ある時、中西さん本人も娘さんと仲間の人と来てくださって、コーヒーを飲み、本を買っていただいた。推しが来てくれた、みたいな感覚でした」
飾っていた中西さんの本を自分たちも売りたくて、ダメ元で旧版の発行元ドメス出版に連絡すると「まだある」と。オンラインショップで、店頭で50冊ほど売った後、注文すると「あと3冊で終わりです。再販の予定はありません」。その後は渡辺知子さんの話につながる。
「女の本屋は店頭販売だけでは持たない」と上野さんが言った通り、Kaninの経営も厳しい。「儲けはゼロ。私たちはフリーランスでフルタイムの仕事をして、交代で店番をしています。店を開いている日は毎日、本を紹介しているのですが、『紹介されたものをアマゾンで買いました』とか『紹介された本を図書館で読んで借りて読んだらすごく面白かったです』と連絡くださる方もあり、ありがたい半面、うちは全然儲かりません。毎日、デモに行くような気持ちで店に立っています」と京極さん。
井元さんも「家賃で儲けのすべてが消えていく感じです。小さな本屋は取次の口座もないので、本は買い取り。例えば2000円本を売ったら儲けは400円。でも『こういう場所があって勇気づけられる』『ここに来たら買いたいと思ってた本がありました』と声をかけてくださる方や、何も言わずに本を買ってくださる方、すごくありがたいなって思っています」。
女の本を通じたつながりは尊く欠かせないもの
参加者からは「ネットは借り物の空間。ブログなどアップしたものも空間を所有する会社が削除する権利を持っている。一方、1冊の本が手元にあればお互いに交換したりできる。KaninさんのZINEも読んで面白く共感できる部分もありますので、ぜひ読んでほしい」という発言があった。
企画タイトルの「バトンをつなぐということ」。バトンの色が変わっても、違う形になっても、いろんな形でつながっていけばいい。「デモに行くような気持ちで店頭に立つ」ことは、「フェミニスト、ここにあり」を声高ではないけれど、表明すること。そこを訪れることは、同じデモの隊列に並ぶこと。女の本を通じたつながりは、水や空気のように私たちに欠かせないもので、尊い。
WANでは、広島市のハチドリ舎と共催して、全国に20ある「女の本屋」と結んで行うオンラインの連続トークイベント「女の本屋をつなぐ物語~本でひらく、社会を見つめる」を継続していく予定だ。第1回は9月30日(水)19時~21時。詳しくは下記から。
https://wan.or.jp/article/show/12609









