2022年インタビュー時の中西豊子さん。京都のご自宅かつ仕事場で。

50歳で「女の本屋」を立ち上げる

1982年1月16日、中西豊子さんは京都に、日本初の女の本屋「ウィメンズブックストア松香堂」を開いた。まだフェミニズムという言葉を知る人はごくわずかだった時代だ。

 その10年前の1972年。中西さんは、40歳で「専業主婦から足を洗って」、義父が所有する京都の町家を活用した書店の「雇われ店長」となる。本屋の世界に飛び込んで10年。ある日、「女の本屋こそ私がやるべき仕事だ」と閃くと、猛然と動き出し、あっという間にその思いを実現してしまったのが1982年、50歳のときだ。

こうして生まれた「ウィメンズブックストア松香堂」は、WAN(Women’s Action Network)の原点でもある。
そこは本を売るだけの場所ではなかった。
女たちが情報を求めて訪れ、集まり、議論を戦わせ、自分たちが欲しい本をつくり、海の向こうの女たちともつながる場所だった。そこで生まれたネットワークがやがて今のWANとなっていった。

「女の本屋」をめぐる日々を中西さんが自らつづったのが、2006年に発行された『女の本屋の物語』(ウィメンズブックストアゆう発行、ドメス出版発売)だ。そして2026年6月、同書を底本とする『新版 女の本屋の物語』(晶文社)として再び世に出た。

WAN「女の本屋」編集担当の星野智恵子と安原ゆかりは2022年4月、京都に中西豊子さんを訪ねた。2時間半にわたるインタビューから、「女の本屋」と中西さんの歩みを紹介する。

2006年発行の『女の本屋の物語』(中西豊子著/ウィメンズブックストアゆう発行、ドメス出版発売)

2026年6月に出版された『新版 女の本屋の物語』(中西豊子著/晶文社)


女の人が公にものを言うのは「はしたないこと」だった

――そもそも中西さんがフェミニズムに関心を持たれたきっかけは何ですか。嫁ぎ先は老舗の印刷屋さんだったのですよね。

中西豊子さん(以下、中西):ものすごく封建的な家でしたよ(笑)。うちの夫が6代目かな。

――フェミニズムとは距離がありそうです。

中西:遠かったですね。ただ、ありがたいことに夫は次男やったんで、義父母とは別居でした。核家族ね。あれ、一緒に住んでいたらうまいこといかへんかったと思う。

――大恋愛をして結婚された。

中西:実はいとこ同士なんです。子どものころから仲良しで、大人になって初めて「男の人やったんや」と気がついたぐらい(笑)。夫とはようしゃべりましたし、すごく教育しましたね。だから友達に「うちの夫、何もせえへん、できへん」と言われると、「あんたら、ちゃんと教育せえへんからよ」っていつも言っていましたね(笑)。

――中西さんは1933年京都市生まれ。結婚し、2人の子どもを育てて、幸せな専業主婦をしていらした。けれど、どこか居心地が悪い。そんな中西さんを家の外へ連れ出したのが、当時の朝日新聞の家庭面にあった女性たちの投稿欄「ひととき」への投稿でした。

中西:あの頃は、女の人が公にものを言うということが、あんまりなかったんです。自分の意見をバーッと言うとか、新聞に意見を書くなんて、「そんなはしたないこと」って。

――はしたないことだったんですか。

中西:言われましたもん。「はしたないことを言うな」って。そんな世界でしたね。

――最初に「ひととき」に載った投稿は、女性問題についてだったんですか。

中西:そんなしょうもないこと書いていませんよ(笑)。おかずのことやったと思います。毎日のお料理のこと。私、料理大好きなので。

――投稿した女性たちが集まって語り合う「ひととき会」ができ、そこから友人が増えていったそうですね。もやもやしながら本を大量に読み、ベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』と出会って専業主婦の居心地の悪さの正体を知ったのも同じ頃だったとか。

中西:女たちが集まって話すのは、家事や子育てのことだけじゃありませんでした。政治のことも話す。社会のおかしさにも気づく。おかしいと思えば、反対運動にも出かける。「なんでこんなことしはんのやろ。誰も文句言わへんのやろか」って。そんな感じですね。

「本屋やるんやったら、私にやらせて」

――日本初の女の本屋を開店したきっかけを教えてください。

中西:書店を始めたのは1972年。夫の実家の隣にあった舅の持ち家で「本屋をやってはどうか。町家を店舗にするのがはやっているから」と夫たちが話しをしていてね。横で聞いていた私が、「それなら私にやらせて。ほかの人ではできへんことやるから」って。40歳で雇われ店長になりました。業界の人は呆れ返ってはったよ。「素人が本屋やってうまくいくはずがない」「やめたほうがいい」って(笑)。でも3年目くらいからは出資者に配当も出せるようになってね。

――本屋さんが天職だったのでしょうか。始まりは「女の本屋」ではなかった。

中西:普通の町の本屋でした。

――その本屋さんを「女の本屋」にすることになったきっかけが、元京都産業大学教授で、「国際婦人クラブ」を主宰されていた渡辺和子さんとたまたま出会われたこと。

中西:渡辺和子さんに「海外には女性の本を専門に扱う書店がある」と聞いてね。本屋を開業して約10年、1980年代はどんどん書店の大型化が進んでいた頃です。「小さな本屋が同じことをしていては生き残れないな」「専門化が必要だ」とちょうど考えていたのです。
女性の本だけの書店なんて、全然誰もやったらへん。「これこそ私がやるべき仕事だ」と思いついたら、もう夢中でした。でも、周囲は心配してくれはりましたよ。「そんなもの成り立つのか」「そんな本、本屋にするほど出てるのか」って。
それで出版社のカタログを片っ端から調べました。出版社140社くらいに「女性に関する本を仕入れたい」と手紙を出したら、返ってきた目録には、料理やお茶、お花の本…。そういう本ではなくて、女性問題についての本が欲しいって言うたら、「女性に問題があるんですか?」って。

――「女性が問題」なんじゃない(笑)。

中西:女性を取り巻く状態が問題なんですよ、って。

上野千鶴子さんに言われて、その場で棚を替える

――1982年1月に「ウィメンズブックストア松香堂」が開店。本は、全部買い取りだったのですよね。今でこそ、そうしたやり方をする書店もありますが、1980年代としてはすごいですよ。通常、書店は一定期間売れなかった本は出版社に返品できるのですが、それをやらないわけですから。リスクが全然違う。

中西:買い取りじゃないと、欲しい本が手に入らへんのですよ。本の問屋である取次から新刊ですってバーンと一方的に書籍が届いても、うちでは何十冊も売れへん。
それより、自分たちが必要だと思う本を棚において、必要な人に届けたい。そのために、出版社の新刊情報を細かくチェックして、一冊一冊探しましたし、出版社に直接手紙を書きました。特殊なやり方をするって、ものすごい手間がかかるんですよ。資金繰りはいつも大変でしたしね。

開店当時の看板(写真提供:中西さん)


――オープン直後からしょっちゅう店に来ていたのが、上野千鶴子さん。

中西:上野さんがどういう人か最初は知らなくてね。ある日、上野さんが、棚を見て、「性に関する本をこんな上のほうの目立つところに置いたらあかんやろ」って。人目を気にせず手に取りやすいように、下の棚に置いたほうがいいって言われてね。考えてみたらその通りや、理にかなうこと言うてはんなと思ってバーッと替えたんですよ。

――女の本屋なんてやめておけと言われてもやる。でも、棚を替えたほうがいいと言われたら、その場で替える。その二つが両立しているのがすごいですよね。

中西:そんなん、普通せえへん、って言われるけど(笑)。そやけど、いいこと言うてはんねんもん。上野さんとはそこから本当に長いつきあいになりました。

開店当初の頃のウィメンズブックストア松香堂の店内(写真提供:中西さん)


――開店してすぐ、朝日新聞に取り上げられ、メディアの取材が殺到。「女の本屋」として全国的に知られるようになりました。2階には読書用に丸椅子がいくつも置いてあったそうですね。これまた今なら書店に椅子があるのは珍しくありませんが、1980年代に「座り読みOK」にしていたとはすごいです。

中西:必然的にですよ。うちを目がけて来はる人は、長いこと立ち読みしてはるんですよ。1時間、2時間どころと違う。半日とか。ずっと立ちっぱなしはかわいそうやしね。それで丸い椅子をいくつか置いて、「どうぞ座って読みはって」って。

――先進的なサービスを考案したわけではなく、目の前に立ったまま本を読んでいる女の人がいたから椅子を出した。

中西:私ら女の人って、そういうことに気がつくんですよ。今、お茶飲みたいと思ってはんのかなとか、今、話しかけてほしいと思ってはんのかなとか。そういう感じで次々やってたわけ。みんな手作りですわ。
私は結構、人付き合いが好きなんですよ。人さんとしゃべったりするのが。にぎやかなのが好きやし。だから店の2階は、いつも「満タン」でした。

――研究者が来る。主婦が来る。活動家が来る。行政の人も来る。外国から来たフェミニストも立ち寄る。当時、出版社で編集者をしていた私(星野)もたびたびうかがいました。日本女性学研究会も拠点の一つとして使っていました。中西さんの女の本屋という拠点がなかったら、京都の女性運動はずいぶん違うものになっていたかもしれませんね。

中西:わちゃわちゃとしゃべりながら。お互い、けんかもしながら。

――だいたい想像がつきます(笑)。みんな言いたいことを言うから。

中西:みんな、すぐけんかしはるんですよ(笑)。でも、私はけんか、大いに歓迎なんですよ。それって、やっぱり、そこから話が開くんです。

「女の本がこんなにある」と知らせたい

――開店からわずか1か月後には『ウイメンズブック友の会』を発足。有料の会費制で、2か月で200人が集まった。さらに翌月には会員向けに女性問題の本を紹介するミニコミ誌『ウイメンズブックス』を創刊。中西さん、体がいくつあるんだと思います。

中西:早業でしょ(笑)。『ウイメンズブックス』は、最初は店にある本のリストを作ろうというだけやったんです。それ以上に手が回らへんかった。店を開けるので精いっぱいやから。

――それでも出したんですね。

中西:私はいつも、何でも考えたら先にやってしまうんです。本を紹介したいというのが先にあるんです。本を知ってほしい。それだけでしたよ、初めは。でもタイトルだけ並べても、どんな本なのか分からない。それにね、女の本を送ってほしいと言ったら、タイトルと中身が全然違うのが来るんですよ。女性を大事にするんじゃなくて、女性をどうしたら喜ばすかみたいな(笑)。そやから読まなあかん。ほんなら説明せなあかん、解説入れなあかんって。
商業出版物だけではないですよ。女性たちが出している小さなミニコミも集めました。そのために、たくさん手紙を書きました。当時は全部手書きですやん。腱鞘炎になったり、目悪うしたり、いろんなことしてました。

――『ウイメンズブックス』は、女の本をつくる側にとっても重要な媒体でした。私も編集者として、本を作ると、必ずここに送りました。だって会員が、そのまま女の本の読者なんですから。送らない手はない。チラシも安いお金で挟み込んでくれたし。ありがたかったです。

中西:『ウイメンズブックス』は結局、20年間続けました。

「国際フェミニストブックフェア」に参加した頃の中西さん(写真提供:中西さん)

英語ができない。でも「行けば分かるだろう」

――開店から2年後の1984年6月、ロンドンで世界初の「国際フェミニストブックフェア」が開かれました。世界から出版社や書店、著者たちが集まりましたが、日本から参加したのはたったふたり。そのひとりが中西さんでした。

中西:何が何でも参加したかったんです。でも私、英語なんてほとんどできないんですよ。それなのに一人で行ったのですから、大変でした。でも、本当に情報がいっぱい、出会いがいっぱいあった。世界中から来てるから、すごいにぎやかで。何となく言うてることは分かるからね。「OK」とか「Thank you」とか言うて(笑)。

――帰国後、英文で日本のフェミニズムの情報発信を開始。『ウイメンズブックス』の英語版も作られました。そうやって世界が広がっていき、松香堂の2階から生まれた大仕事の一つが、『からだ・私たち自身』の出版です。女性が自分の身体や性、健康について主体的に知るための本で、原著は「ボストン女の健康の本集団」による『Our Bodies, Ourselves』。
自分たちの身体について自分たちで調べ、経験を持ち寄ってつくった本を全訳し、さらに日本の女性たちに必要な情報を加えて、出版します。その内容は今、WANの「ミニコミ図書館」に収蔵されて読むことができます。608ページに及ぶ大著で、すごい本ですよね。

1988年に出版された『からだ・私たち自身』(ボストン女の健康の本集団著。監修/藤枝澪子、校閲/河野美代子・荻野美穂、/『からだ・私たち自身』日本語版翻訳グループ、同編集グループ/松香堂)。WANの「ミニコミ図書館」にアーカイブで入っており、誰でも読むことができる。今も新鮮な内容だ。https://wan.or.jp/dwan/detail/8285



中西:原著の『Our Bodies, Ourselves』には、ほんまに私らの誰も知らんことばっかり書いてあったんですよ。これは絶対、女の人に必要だ。出しとかなあかん、って。

――翻訳・編集にかかわった女性は延べ50人近く。3年にわたり、ほぼ全員がボランティアで作業を続けられた。普通の出版社では、これだけの人が時間をかけて、こんな本をつくるのは難しいですよね。

中西:「道楽や」って言われてました(笑)。医学の専門家が女性に身体について教えるだけの本ではないんです。女性自身が、自分の身体について知り、自分で選ぶための本。

――2022年に『からだ・私たち自身』がWANミニコミ図書館に収蔵された際に記念シンポジウムが開かれました。そのとき、この本を初めて読む若い世代の反応を見て驚いたんです。
今の若い人たちは、この本を知らない。でも読んでみると、すごく関心を持つんです。自分の身体が他人に定義されてしまうことへの違和感が、すごく新鮮だったんじゃないかな。私たちとは3、40歳ぐらい年が違うのに、「あまり変わってないんだ」と思いました。


中西:たいへんな作業でしたけど、大勢の女性たちのシスターフッドが結集した本でした。

紙からネットへ。「女たちが言いたいことを言える場」を作ろう

――1994年、大阪に大阪府立女性総合センター、ドーンセンターが開館します。中西さんは開館前から、情報ライブラリーに置く膨大な本の選書に関わり、ウィメンズブックストア松香堂もドーンセンターの1階へ移転。京都から大阪へ活動の場を移した「女の本屋」ですが、中西さんは、自分が始めた店をいつまでも「自分のもの」として抱え込もうとはしませんでした。

中西: 2002年から、ドーンセンターの書店は森屋裕子さんらによる「ウィメンズブックストアゆう」へと引き継ぎました。その2年前にNYで開かれた「国連女性会議」に「世界女性会議ネットワーク関西」のひとりとして参加したとき、世話係だったのが森屋さん。その働きぶりを見ていて、帰りの飛行機で、「ちょっとあんた、やってくれへんか」って頼んだのよ。本も全部、在庫も全部、丸々「あんたにあげるから」って。ウィメンズブックストアをどうしても私だけの代で終わらせたくなかったから。

――その次に始めたのがWANでした。

中西:上野千鶴子さんに「ネット上に、女性の情報と活動をつなぐ場所が必要じゃない?」と声をかけたんです。そうしたら、上野さんは箸袋の裏に図を描きながら、「こんな風に女のネットが繋がるわけね」と。

――それが2007年。サイトを立ち上げ、日々情報を集め、更新し、全国の女性たちをネット上でつなぐことは、今よりずっとハードルが高かった時代です。

中西:ITの専門家ではないしね。でも、そこはね、ええねん。

――ええねん(笑)。

中西:なんとかなるでしょって。やっぱり、やってみなきゃわからないというやつですよ。
女の情報を、女同士がちゃんと共有できる、みんな言いたいことを言える場をネットにつくりたかったんです。

中西さんのご自宅に飾られていた、上野さんとの2ショット写真。飛び切りの笑顔にがっちり握られた手と手。(写真提供:中西さん)


――2009年5月19日にNPO法人WANが正式に認証され、5月31日には設立のつどいとともにWANのサイトがスタートします。女の本がどれほどあるか分からないまま「女の本屋」を始めたときと同様にまずは場をつくってしまった。

中西: サイトオープンのために、メンバーが我が家に集まってね。みんなでわちゃわちゃと読書会をしたり、議論をしたり。ときにはケンカも。いつの時代も変わらへんね。

――フェミニズムの中にも、さまざまな考え方がありますよね。みんな意志が強いし、それぞれの思いがある。どちらか一方の意見にまとまるなんて、たぶんできない。平行線のままかもしれない。それでも、たもとを分かたずにどう一緒に問題を考え続けるのか。それが大事なのかなと最近思っています。

中西:もうね、古いことグチグチ言うてたらあかん。前に進まへん。「あの人にあんなことされた。一生許さん」なんてことは、ほっといたらよろしい(笑)。こだわってたら、前へ進まへんでしょ。いろいろ苦労しましたよ、ほんまに。でも、いつでもゲラゲラ笑ってんねん。もうね、とにかく笑ってる方が得やな。

骨折して入院。「ここのご飯まずい」と帰ってきた

――中西さんの話を聞いていると、「大変だった」と「面白かった」が、時々ほとんど同じ意味に聞こえてきます。あ、やぎ みねさんがいらっしゃいました! こんにちは。

やぎ みねさん(以下、やぎ):今日、星野さんたちがいらっしゃると聞いていて。でもその時間は用があってお会いできないわと思っていたら、まだいらした(笑)。

――すみません、もう2時間があっという前に過ぎてしまって。

やぎ:この間、中西さん、骨折して入院したのに、一日で「ここのご飯まずい」って帰ってきたんですよ。

中西:家に帰って、自分でご飯つくりました。料理は好きなんですよ。一人暮らしでも冷蔵庫にはいつも材料があって、急に誰かが来ても数人分くらいなら料理できますよ。

長年の友人・やぎさん(左)と中西さん。やぎさんは「女の本屋」の企画会社・フェミネット企画で企画・編集を担当。現在WANにエッセイ「旅は道草」を連載中。女の本屋の様々な活動と中西さんとの思い出をつづった『この人が、いてくださったから私がいる」と、誰もが思う人』は必読の一篇。 https://wan.or.jp/article/show/12545


――「80代からの料理」の本、書きません?

中西:とんでもない(笑)。自己流やしね。好きにやってるから。

やぎ:でも、お野菜を腐らせたことがないって。

中西:お野菜なんて、バーッと全部切って炊いといたらいいわけやから。そんな難しいことないよね。

やぎ:昨日もここで読書会だったんですよ。

――読書会の本はどうやって見つけてこられるんですか。

中西:本屋で立ち読みして見つけます。

――今も?

中西:本屋さんは「また、あのおばあさん来はった」って言ってるでしょうね(笑)。

(インタビュー/星野智恵子、安原ゆかり 文・写真/安原ゆかり)