
圧倒的なハン・ガンの文章力と、原文を見事に訳す斎藤真理子の翻訳の力と。1970年生まれのハン・ガンが、まだ20代後半の1990年代後半に書いた8本の短編集『私の女の実』(2026年7月5日、斎藤真理子・訳、白水社)を読む。
映画のストーリーのように画面があちこちへ飛び、途中の伏線も文末で回収されることなく、複雑な話の展開に翻弄されながらも、なぜか読むのをやめられず、グイグイと言葉の力に圧倒される思いで読み進んでいく。
この作品の後、1980年5月の「光州事件」を描いた『少年が来る』(2014年、井手俊作・訳、CUON)や、済州島四・三事件をテーマにした『別れを告げない』(2021年、斎藤真理子・訳、白水社)などを書き、2024年10月、ハン・ガンは、アジアで初の韓国人女性としてノーベル文学賞を受賞する。「歴史的なトラウマと向き合い、人間の生の壊れやすさを露わにする、力強く詩的な散文」が高く評価されて。
「妻の体に痣があるのを初めて見たのは、五月も終わりのある日のことだった」と夫の言葉から始まる『私の女の実』。都会の高層マンションで夫と暮らす妻は、世界のどこか遠くへ旅立とうと貯めていたお金を、夫となる男性の言われるままに、マンションの頭金に使ってしまう。自由を切望していた彼女は、やがて心を削られ、自分の体が次第に植物に変容していくのを知る。この作品は後に書かれた『菜食主義者』(2007年、きむふな・訳、CUON)や、それを映画化した「花を宿す女」(2010年、監督・イム・ウソン)にもつながるという。
最後は「春が来たら、妻はまた生えてくるだろうか。妻の花は赤々と咲き出るだろうか。それを知るすべは、私にはなかった」という夫の台詞で終わっている。
『日暮れどきに犬たちはどんな気持ちだろう』は、元ヤクザの父親が果樹園の娘だった母と出会い、「あいつのおかげで堅気になった」とヤクザから足を洗い、屋台の店を開くが、それでもなお酒に溺れ、暴力に頼る夫に、妻は「もう、うんざりだわ、ほんとに」と言って家を出ていく。この父親もまた自分を表現する言葉をもたないのだ。テレフォンカードで何度も妻の実家に電話をかけるが、妻にはつながらない。遂に、父は残された娘・テリョンと心中しようと毒を入れたサンドウィッチを食べさせるが、ハッと我に返って娘の口からそれを奪いとり、「吐け、吐け、吐くんだ、この間抜け」と叫んで「俺が悪かった! テリョン」と嗚咽しながら娘に詫びる。
いつか母に娘が「どうしてお父さんを好きなのか」と聞いた時、「ある日、お父さんがすごく泣いたの。あんなに悲しそうに泣くなんてね。それで、お父さんのことを好きになったのよ」と答えた時の母の思いに重ねて、両親の心の風景を、子どもの目と心を通して鮮やかに描いていく。
珍しく藤原辰史(京都大学教授・現代史)さんが、この本の書評を「今週の本棚」に書いていた(毎日新聞2026年10月3日付)。
「この作家の源泉が知りたくて、本書を手に取った」「ハン・ガンはいつも、だれかの痛みや苦しみを観念として受けとるのではなく、身体の各部位に引き受けてしまう」のだと。「その彼女の叙述がもっとも冴えるのは、光州事件時の軍による市民の虐殺を描いた『少年が来る』がそうだったように、子どもを描くときだろう」と指摘する。
そして「子どもの心の世界は、大人のそれよりもずっと広く深かったことを忘れないできた作家であることをあらためて感じた」と書く。
ハン・ガンも本書の「あとがき」に、「二十三歳の秋夕(チュソク)の夜だった。月を見ようと思って一人で門の外に出た。願いごとをしなくちゃと思い、かすんだ月を見上げながら、何を願ったらいいか考えた。
どうぞ今の気持ちを失わないでいられますように。そしてそれ以上、願うことはなかった」と。
「私はときに傷ついた。執着し、欲望し、自分を憎んだこともあった。そうやって恥じることを知り、少しずつ低くなり、小さくなり、そんな貧しい心で人生をもう少し理解できるようになったのだと思う。長く、深く見つめるために努力してきたのだと思う。
その間、書くことは私にとって存在する方法だった。息をするための通気口だった。それはときには奇跡のように、ときには何気なく歩み寄ってきて私の耳を引っ張った。木々や日差しや空気、闇や灯りの灯った窓、死んでいったものたちや生きてうごめくものたちの中で、すべては生きていた。それ以上ありえないほどに生気に満ちていた」と結んでいる。
子どもの心の感受性を失わずに書いていきたい、書かずにはいられないというハン・ガンの願いが、この文面からも伝わってくる。
解説「声なき人の代わりに」で、桜庭一樹は「傘をさしていないハン・ガンは今日もまた誰かの傍で共に雨に濡れている」と書く。
「訳者あとがき」で、斎藤真理子は「ときには傷が傷のままに放置されているように見えるかもしれない。また、ここで生きる人物たちはときに、光から顔を背けているように見えるかもしれない。だが、まずは傷を傷として、闇を闇として見つめることなくして回復の段階は始まらない。ハン・ガンはこうして個人の抱える闇、個人を取り巻く闇をとことん見つめたからこそ、後年の『少年が来る』や『別れを告げない』を書けたのだという思いを抱いた」と書いている。
心の傷や闇の向こうに必ずや光があると信じる作家ハン・ガンがいることを斎藤真理子はすでに予見していたのではないか。
さて、ハン・ガンだけでなく、世の小説家たちは、一人の作家として登場人物たちと、どのように向き合おうとしているのかなと、ふと考えてみた。書き手は「分けられないたった一人の私」として登場人物たちに向き合うのだろうか。いや、そんなことはない。「たった一人の本物の私」なんて、ありえないのではないか。登場人物との会話や繰り返される関係性の中で作者自身もまた、変わりうるはずだから。作家という「絶対的な私」なんて存在しないと思うのだが。

そうしたら高1の孫娘の本棚に並んでいた高校読書感想文課題図書の一冊、平野啓一郎著『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(2012年、講談社現代新書)が、ふと目に止まった。その表紙には大きく、「<本当の自分>はひとつじゃない!」と書いてあるじゃないの。
平野啓一郎は、「日本語の「個人」とは、英語のindividualの翻訳で、一般に広まったのは明治になってからである。individualはin+dividualという構成で、divide(分ける)という動詞に由来するdividualに、否定の接続辞inがついた単語である。individualの語源は「不可分」「もうこれ以上分けられない」という意味であり、それが今日の「個人」となるのは、ようやく近代に入ってからのことだった」と「まえがき」に書いている。
これは一神教のキリスト教信仰、「誰も、二人の主人に仕えることはできない」というイエスの教え。ただ一つの「本当の自分」、一なる神を信仰しなければならないことから来ているという。だからこそ分けられないindividualに「個人」という意味が生じるのだ。
明治時代に輸入された「個人」という言葉は、当時の文人たちにとって、なかなか馴染めなかったらしい。だって日本には古来から八百万の神がずっと存在していたのだから。
そして平野啓一郎は、inを切り離してdividual(分人)主義を唱える。「分人」はすべて、「本当の自分」であるとし、一人の人間は「分けられないindividual」存在ではなく、複数に「分けられるdividual」存在であるという。それによって「複数の人格のそれぞれで本音を語り合い、相手の言動に心を動かされ、考え込んだり、人生を変える決断を下したりしている」と。
私という存在は、つねに他者との相互作用の中にしかない。他者を必要としない「本当の自分」は「人間を隔離する檻である」とさえ、平野啓一郎は言い切るのだ。
さらに「私たちが「分人」について考え始めたのは、individualという概念に最初に違和感を覚えてから、実に百五十年後のことである」とも断言する。
そうなんだ。それならもう一度、その観点からハン・ガンの本を読んでみるのも面白いかもしれない。誰もがもつ傷や闇。登場人物たちが傷つき、互いに傷つけあい、身体にも傷を受けていく。だが、それを彼らは自らの言葉で表現する術をもたない。だからハン・ガンが代わりにそれを書いていく。絶対的な立場からではなく、ハン・ガンが一人ひとりと向き合い、互いに関係性を結んでいくことによって生まれてくる言葉を紡いで。ただし彼らと向き合う時は必ずや、彼らと真摯な関係性をもって対応する、一人の書き手として。
そういう人間関係が、あちこちで生まれてきたら世界はきっと大きく晴れていくだろうな。
傘をささないハン・ガンは、今日もまた傷ついた誰かの傍らで共に雨に濡れている。自らもまた傷をもつ一人であることを自覚して。
そんな互いに優しく揺れ動くような関係性が、私の周りにもたくさん生まれてきたら、うれしいなと夢を見つつ、もう一度、この本を読んでみようかなと思ってみた秋のひととき。









