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映画評:『やわらかい手』 上野千鶴子
2009.10.05 Mon
イギリス中を“ヌク”オバサマの気品と威厳。
ニッポンは世界に冠たる性風俗大国。とりわけ次から次へと登場するセックス産業の技術革新(?)でも有名である。そんな日本産のもっともチープなセックス商品、“ヌキ穴”(と言うべきか?)がロンドンの下町に登場する。コインを入れて、壁に開いた穴に一物をつっこむ。壁の向こうで待ち受けた手が男をイカセてくれる。息があがってから3分とかからない。一丁あがり。
この仕事に、もう若くない、美しくない、どこにも雇ってもらえない女がつく。カネのためだ。大事な孫息子が難病で、どうしても大金が必要になったからだ。彼女はもと郊外中産階級の主婦。夫のペニス1本しか知らなかった女性が、毎日何十本ものペニスを抜く。
考えてみれば、ハダカになることもなく、性病の危険もなく、顔を合わせることもない仕事なら、ワタシにもやれそうだ。ただし、手を酷使しすぎて、テニス肘ならぬペニス肘という腱鞘炎になる。
このオバサンの「やわらかい手」は、絶品だった。評判が立ち、彼女は「イリーナの掌」という源氏名をもらう。いかにも没落した東欧からの出稼ぎ女みたいで、そそる。彼女にこの名前を与えるスラブ系移民らしいウラ社会の経営者、ミキの、冷酷さとナイーヴさのバランスが絶妙。
演じるのはマリアンヌ・フェイスフル。え、なんですって?『あの胸にもう一度』でアラン・ドロンと共演したスレンダーな美女のこと??つなぎのライダージャケットの下は全裸で、ドロンが抱き上げてジッパーを咥えて下ろした鮮烈なシーンがあったっけ。
その彼女が3倍くらい太り、肌のはりを失い、若くも、美しくもなくなっても、それでも年齢(とし)をとることはすてきなことだと思わせる。年輪を重ねた彼女は、セックス・ワークに従事しても、誠実さと威厳を失わない。家族に仕事がばれても、後悔しない。郊外の主婦たちの偽善をあばいて、胸のすくしっぺがえしをする。最後には思いがけない・・・いや、これ以上書くのは、映画評のルール違反だからやめておこう。
キワもの仕立てながら、後味のよいヒューマンな映画である。見終わってから、自分の年齢のために、ひとりで乾杯したくなる。
監督:サム・ガルバルスキ
制作年:2006年
制作国:イギリス・フランス・ベルギー・ドイツ・ルクセンブルク合作
出演:マリアンヌ・フェイスフル、ミキ・マイノロヴィッチ、ケヴィン・ビショップ、シボーン・ヒューレット、ドルカ・グリルシュ、ジェニー・アガター
(クロワッサンPremium 2008年1月号 初出)
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