エッセイ

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【ライブ中継への反響・その3】これが男の生きる道 ? - 上野千鶴子vs澁谷知美、‥‥‥そして橋本治  大野左紀子 

2010.02.06 Sat

 お知らせには「新春爆笑トーク」と銘打たれていたが、中継を見て全然「爆笑」できなかっただけでなく、両人の「男の子もラクになればいいのよ」的余裕のうちに見られる変な母親臭さが気になった。どちらにもモヤモヤする。

 「東大の先生と生徒」の馴れ合いみたいな雰囲気にちょっと引き、上野千鶴子の(たぶんいつもの)マッチョな発言にドン引きし、全然面白くない場面で生暖かい笑いが起こるのに「大学フェミニストの集まりってこういう感じなの?(行ったことないので知らない) それともファンの集いだからこうなのか?」としらけ、正直なところ、最後まで見通すのはややしんどいものがあったが、少しまとめてみる。

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ちなみに私は、上野千鶴子の『男おひとりさま道』も、澁谷知美の『平成オトコ塾 – 悩める男子のための全6章』も未読。以下は対談の録画を見て感じたことです。 『平成オトコ塾』は澁谷氏本人によれば、「何者かになれ」との男ジェンダー規範+「男」の土俵に上がれない状況というダブルでつらい立場にある20~30代の男子に、もっと楽になりませんか?と提案するものである。男子版「しがみつかない生き方」だ。たとえば、恋人や結婚相手がいなくても、同性同士で住居をシェアしたりして相互扶助していくことはできるし、やっている人はいると。女性がしているんだから、男性だってできるんですよと。
 
 それに対し上野氏は、「男のコミュニティは結局パワーゲームになるのでは?」と疑問を投じ、(弱者男性を慰撫し現状を肯定するものだから)「体制にとっては非常に都合のいい本ですね」という先輩フェミらしいプチ批判をしていた。「男は楽になりたがっている」vs「男は権力闘争をしたがる生きもの」‥‥‥この男性観は、なんとなく世代の違いも感じさせる。
ターゲットである若い男性読者からの評判は大変いいようだ。amazonの小谷野敦のレビューも好意的で、フェミ嫌いのコンサバおやじの取り込みにまで成功している!という感じである。澁谷氏の言う「もう一つの執筆動機であるフェミ言説のリニューアル」が評価されたということだろうか。

 一方、上野氏の『男おひとりさま道』の方も、かなり評判はいいらしい。どんなに強者でも、年をとれば「男をはる能力・知力・体力」を失い落ちぶれるという事実があるから、説得力があるのだと著者は言う。男性同士の相互扶助(上野氏曰く「蓋然性が低い」)ではなく、女性との相互扶助を勧めているようだ。

 つまり、地位も金も文化資本もある強者の女が、金も女もない若い男には「弱くてもいいのよ」「女なんかなしでも生きていけるって」と、年老いて弱気になった男には「誰でも弱いものよ」「変なプライド捨てて女と助け合いなさい」と呼びかけているわけだ。

 いやフェミニズムにもそんな余裕が出てきたのかと言えばいいのか、男を手なずけねばならないほどジェンダー論も市場開拓に窮していると言えばいいのか、そんなことは当の男に任せておけよと言えばいいのか、迷う。

 とは言え、私はちょうど澁谷氏と上野氏の間の世代で、どちらの言い分も半分はわかり、半分は違和感を覚えるという中途半端な立場にいる。

 たとえば、澁谷氏が男子学生を前に行うジェンダーの講義の難しさは、身に覚えがある。「おかん」にも「ものわかりのいいおばさん」にもならず、一方にいる女子を軽んじることなく、男子の興味を引くにはかなりのテクニックがいる。まず「女の窮状」とは別に存在する「男の窮状」について述べねば、彼らは耳を傾けようとしない。例えば以下のような話だ。

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「「男らしさ」の価値は凋落して久しいと言われる。にも関わらず一方で、男は依然として、頼りがいがあり女を守りリードする役割を求められている。(中略)欲望せよ。しかしそれが暴力となることも自覚せよ。このジレンマを彼らは生きねばならない。これを「男であることのストレス」として受け止める男性から見ると、時と場合によって能動性(男前な女)も受動性(女らしい女)も自在に使い分けることの可能な女性の方が、ずっと生きやすいように見えたとしても不思議ではない。」

「一方、男性の負け犬はどうか。いくら仕事ができても女一人獲得できない情けない奴、家族を扶養することから逃げる甲斐性無し、いい歳していつまでも大人になれない半端者。そういうネガティブなイメージが先行しているように見える。女性が「結婚するメリットを感じない」と言っても「おひとりさまの方が気楽だよね」と言われるが、男性は「どうせ結婚できないんでしょ」という目で見られやすい。」

「男性中心の仕組みは変わりつつあっても、いまだホモソーシャルの結束の強いこの社会では、「男は男に評価されてナンボ」という価値観は残っている。「男たち(=社会)に承認されない」ことは、多くの男にとって文字通りの「負け」、敗北なのである。そこで「情けない」「甲斐性無し」「半端者」の烙印を押されることは、落伍者、不能者と看做されるに近い。」
(『「女」が邪魔をする』(光文社、2009、大野左紀子)「男の窮状と女嫌い」より抜粋)

 そこで私が彼らに向かって、「もっと楽になったらどう?」「競争なんかやめたら。というか、もう「男」の土俵は君たちにはないから」「結婚できなくたっていいじゃない。男同士で助け合って暮らせば?」と言えるかいうと、なかなか言えない。「男」を降りて、つまり仕事で頑張らず、「何者かになりたい」という夢も持たず、恋愛も結婚もせず、それでいてルサンチマンを抱かずに楽に生きるための、具体的かつ有効な処方箋は提示できないのである(やれている人はいるのだろうが、汎用性があるかどうか疑問だ)。

 女がこうしたら楽だったから、男も同じようにしたら楽なはず、なのだろうか。ジェンダーの土俵から降りたところがユートピアとは限らないし、降りるにはそれなりの勇気がいる。「降りたら楽だよ」なんて、そんな一見優しそうだけれども無責任なことは言えない気がする。

 それに替わる言葉になるかどうかわからないが、授業の最後では、女であろうと男であろうと、若いうちに三つの自立を目指してくださいと言っている。

一つ目は生活の自立で、自分で自分の身の周りのことはだいたいできるようにする(衣食住に関わる家事全般)こと。
二つ目は経済の自立で、自分で自分の食い扶持は(少なくてもいいから)稼ぐこと。
三つ目は精神の自立で、自分の生き方は自分で決め、一人でも楽しく生きられるようになること。

 もちろん、これが三つとも楽々できる人は「強者」である。一番目はともかくも(ただし健康体に限る)、二番目はがんばってもギリギリか状況によってまったくできない人はいるし、三番目は言うは易しするは難しである。だから最低限、生活の自立だけは成し遂げ、経済面と精神面は時と場合によって他人と支え合っていくのがいいと思うよ、と提案する。

 男子に求められてきたのは、第一に経済の自立であった。精神の自立とは往々にして「俺は男だ」的メンタリティの育成だったりした。生活の自立はおろそかにされてきた。そうして「家事というものは女がするものだ」との観念に縛られた男ができあがる。だから男子には「楽になろうよ」と言う前に、「まず生活の自立が必要だよ」と、もう耳タコだろうが「そんなの今や常識」だろうが、しつこく言っておきたいとは思う。

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「男の自立」については、橋本治著『これも男の生きる道』(2000、ちくま文庫)で述べられている。実に名言が散りばめられており、橋本治がゲイで上野千鶴子と同い年で同じく東大卒ということを知らなくても大変面白く読める。

 橋本治によれば、「人に嫌われて、それでも平気で自分の生き方をつらぬく」のが「自立」である。かつて「自立」を目指した女達は、「仕事に生きる女」が男に嫌われるものだということを知りつつも、「いやな男の言いなりにならないために」自分の仕事をもとうとした。それと同様に、「働いて家事をしないのが当然だ」と思われていた男の「自立」の方向も、「いやな女の言いなりにはならないために家事能力をつける」になるのだ、と。

 「男の自立」は、もちろん家事だけでは終わらない。
たとえば、「組織の中に”卑怯”がある。そのことを指摘しても、なんだかんだ言われて無視されてしまう」という状況がある。その中で「戦いに勝つ」には、「なれあいの群れから離れて、自分の信念に従って生きる」しかない。このことこそが「自立」なのだと、橋本治は言う。

「「自立」とは、「戦い」が成り立たなくなった現代に唯一残された「戦い」なんです。(中略)現代では、「生き方」に関するシビアさがなくなっている。でも、人生はいつだってシビアなもんです。別に「自立」はめずらしいことじゃない。そんなこと、ずーっと長い間、男にとっては当たり前だった。「男の自立」が言われるということは、「人生はシビアだ」という事実が復活しようとしているだけのことなんですね。」

 最後に文庫の裏表紙の言葉を引いておこう。

「男にとって大切なのは、一人前になることです。それは、自分のするべきことはなんでもできること、自分のするべきことはなんでもすると覚悟して、なんでもすることです。もちろん、できないこと、わからないこと、知らないことを、素直に認めることでもあります。かんたんなようで、なかなか困難な、これが男の生きる道。男も女も、この本を読んで、一人前になってください。」

 「男は楽になりたがっている」と「男は権力闘争をしたがる生きもの」の双方が取りこぼすものが、たぶんここにはあると思う。

 私は女で既に51歳だが、男に特化して書かれているところも結構あるこの本を時々開く。「一人前」だと胸を張れるのか、この歳でもまだ全然自信がない時があるからだ。

※以上は、下記のブログ記事を若干縮めたものです。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100117/1263733408








カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:フェミニズム / 上野千鶴子 / 澁谷知美