「主婦労働は無償で当然」とみなされてきた歴史の一端を読み解く

 私が「女性に対する差別」というものがあるのではないかという視点でものごとを見始めたのは、生涯「主婦」であった母の影響が大きいと思います。本人も周囲も、母のことを「外で働く夫と家を守る妻」という性別役割分業をしている「主婦」だとみなしていましたが、彼女は家事育児を一手に引き受けるとともに、さらには内職やパートで働いていました。子どもだった私はそうした母の労働を毎日目にしていましたが、それが父の労働に比べると決定的に低い評価しか得てないことに疑問をもった時のことが忘れられません。かなり長期間従事していたミシン縫いの内職は、最低賃金制度の枠組み外にあるがゆえに、熱心に働いても出来高払いの報酬はびっくりするくらい低いものでした。
 一方、家計を握っていた父は、「誰が養っていると思っているんだ」という態度で母に接していたと記憶します。勤勉で「よき父」でもありましたが、そういう点は「亭主関白」な「昭和のお父さん」の典型でした。母は家計の補助として内職をした上に、3人の子どもと父のために長時間の家事労働をしていたわけですが、それらは父にとっても、社会的にみても評価されない、いわば「勘定にはいっていない」ものだったわけです。母が家庭で担う家事労働が無償であることと、女性が従事することが多い内職やパートの低賃金が関係がある、つまり女性の労働は価値がひくいのだと子どもごころに認識しました。
 母は私に「お母さんみたいな生き方はするな、主婦は無賃金で無権利だから、おまえは働きなさい」とよく言っていました。
 なぜ主婦の労働は無償なのか。「そりゃあ当然だろう」という「常識」がある一方、主婦が長時間働いているのに経済的な対価が支払われないことへの疑問は百年前から存在していました。
 今回執筆した『<主婦>という職業』は、40年近く戦前の婦人雑誌を対象としてきた研究の中から、主婦の労働が不払いの状態にあることに焦点を当てて一冊にしました。2010年の『<主婦>の誕生:婦人雑誌と女性たちの近代』(吉川弘文館)の続編のようなものです。
 本書では、1926年の『婦人公論』誌上での清沢冽による「主婦への賃金/給料」についての問題提起を取り上げました。清沢の記事は、ニューヨークやロンドンでの討論会をふまえているのですが、私はその頃の英字文献などから、前年の1925年にアメリカで公開された映画”Wages for Wives (妻への賃金)”というタイトルのコメディ映画が女性の「ストライキ」を描いていることを発見しました。清沢はこの映画に言及していないのですが、英米での討論会が企画される社会風潮、つまり女性の家事・育児労働をいかに評価するかについて社会的な疑問が生じていた同時代現象のひとつだろうと推測されます。
 ご覧になった方も多いと思いますが、昨年秋に日本でも公開された『女性の休日』という映画は、国連が「国際女性年」とさだめた1975年にアイスランド全土で約90%の女性が参加したといわれる「ストライキ」を、50年後の2024年に描いたものです。当時、女性が担う労働(家事・育児を含む)への低い評価、政治における女性の周辺化などを問題視する声が隆盛し、10月24日の丸一日、職場での仕事と家庭での家事・育児の放棄が女性たちに呼びかけられました。普通の女性たちが手を携えて行動するさまに、思わず胸が熱くなります。この映画を観た人の多くは、50年前のできごとだけれど、現代にもつながる問題だと共感されたのではないでしょうか。
 本書では戦前の婦人雑誌などを材料として、約100年前に主婦の労働が無償であることに関する議論がいかに展開されたのか、その頃家事労働に経済的評価はなじまないという論理が、女性にしかできない「愛の労働」だといった賞賛のディスコースによって正当化される様子を、歴史の一端として描き出そうとしました。
 編集者の方のご尽力もあり、図版も多く具体例をふんだんに盛り込んだので、気軽に読める本にできたのではないかと思います。気軽に手に取りつつ、「怒り」を共有していただければということが筆者のひそかな願いです。ぜひご一読の上、ご批判や感想などいただけると幸いです。

<目次>
はじめに 主婦もモダンガール
 主婦という仕事の不思議
 主婦とはだれのことか
 主婦の起源
 職業婦人としての主婦

第一章 ようこそ! 主婦の世界へ―新しい職業としての主婦
 主婦へのいざない
 国家/社会による「主婦」への〈リクルート〉
 良妻賢母主義を補完する女性向けマスメディア
 晴れの結婚式から蜜月へ
 誰もがめざせるあこがれの主婦生活
 サラリーマン家庭から農家・商家まで

第二章 主婦はスペシャリストかつジェネラリスト
 主婦の一日、主婦の一週間
 読むことで獲得できる専門知識と技能
 多種多様な技能の習熟とアップデート
 家政・家事の商品化と学問化
 家事労働および主婦の地位のモダナイズ
 子育てという人材育成
 家庭という「事業体」の総務担当
 財布のひもをにぎる―財政担当という重い仕事

第三章 主婦になるための「就活」
 二つのルート―見合いか恋愛か
 このましい雇用主としての「理想の良人」
 優良な雇用主に選ばれるために
 失業しないための規範と実践
 職業婦人か結婚か
 主婦と職業婦人の間の移動

第四章 「主婦の給料」の提唱
 婦人雑誌におけるフェミニズム的議論の勃興―『青鞜』から『婦人公論』へ
 モダンボーイ・清沢洌による「妻君業」
 資本主義の世の中で「間尺に合わない商売」
 女性車掌を叱る老婦人のエピソード
 べーベルの結婚制度批判―女性は無賃で働く家庭内「奴隷」なのか
 女性の経済的独立をいかに可能にするか

第五章 海の向こうの〈女と男の討論会〉
 ロンドンでの討論会―女性の働きをいかに評価するか
 ニューヨークでの討論会―主婦への給料の可否をめぐって
 ヘイスからの「主婦の給料」の反対論
 主婦の給料の計算方法
 スティーブンスによる「家庭は合資株式会社」論
 話題を呼ぶ五番街での食事つき討論会
 妻君業は立派な職業
 
第六章 「主婦の給料」賛成か反対か
 「『妻君の俸給』問題是非」についての識者五五人の回答
 主婦の地位は低すぎる―妻は「みじめ」
 妻に給料を払える夫は少ない―夫もまた「みじめ」
 家事労働の経済的評価は可能
 主婦の経済保障にむけた制度設計
 家事労働の社会化
 夫婦は雇用関係ではない
 資本主義が社会を覆うことへの反発

第七章 「無償であるから尊い/尊いから無償」言説
 「主婦」は職業であって職業ではない
 相馬黒光と山田わか
 愛の労働―良人への愛と子どもへの愛
 それは本能だ!
 主婦労働は尊いとの熱弁
 家庭の「私」領域化と神聖化
 無償であるから尊い/尊いから無償

おわりに 主婦にも賃金を!
 女性の労働―不払いか低賃金か
 戦後、主婦の大衆化と「主婦論争」
 「命の値段」の性差
 家事労働の経済的評価の時代


◆書誌データ
署名:「<主婦>という職業:「愛の労働」の近現代」
著者:木村涼子
頁数:204頁
刊行日:2026/03/02
出版社:吉川弘文館
定価:2420円