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料理は友達とともに    マダム・ルーズ

2010.05.30 Sun

 マダム・ルーズ、食べることは大好き。
 作ることは、「まあやる」程度。他者に作ってあげることにそんなには喜びも見出さないし、料理そのものにあんまり愛情はないみたいな気がする。
 でも、料理しながら友達を思い出すのはすごく好き。

 たとえば、我が家のコロッケは、大学の先輩からの直伝。実は私はコロッケというものが家庭料理でできるものだと知らずに、大学生になっていた。ところが、遊びに行った先輩の下宿(!)で、夕食時になって「よし、じゃあ、コロッケを作ろう」という話になって、あれよあれよと言う間に作ってしまったのを見て、「こんなに簡単に作れるんだー」と感心してしまった。 それ以来、20ン年間、うちのコロッケはその先輩の作ったとおりのコロッケになっている。その先輩がそのとき俵型に作ってくれたので、10ン年間はコロッケは俵型と決まっていたのだが、10ン年たって別の友達の家でコロッケを食べたときに、ハンバーグ型のコロッケが出てきて、それにも感心したので(なぜなら、俵型よりハンバーグ型の方が大きくできるので、コタパンの作業が少なくって済むことを発見したわけです。マダム・ルーズは、コストパフォーマンス第一主義なの)、以来、コロッケはハンバーグ型になっているが、しかしレシピは先輩のもの。下宿生だった時よりは少々リッチになっているから香辛料だって買えるようになったんだけれど、塩コショウだけで下味をつけ、市販のとんかつソース(おそらくそのとき先輩の下宿にはウスターソースが切れていたんだと思うんだけれど)で食べるのが、我が家流。
 
 蕗を厚揚げと一緒に炊くのも、お友達に習ったとおり。実家の母の作っていたものより、みりんを多く使って少し甘めに作るようになった。机の上に新聞紙を敷いて、座って恋愛談議などおしゃべりしながら蕗の筋をとった楽しい記憶がよみがえるから、今でも、蕗の筋をとるときは台所じゃなくて、食卓に広げた新聞紙の上で行う。

 ポテトサラダは、おんなじ下宿に暮らしたお友達のレシピ。ジャガイモと人参・きゅうり・ハムにゆでたまごが材料で、「マヨネーズをたっぷり入れるのがコツよ」と言われたとおり、今でも大量のマヨネーズを入れて作っている。実は、マダム・ルーズ、玉ねぎが入って黒コショウの効いた大人のポテトサラダも大好きなのですが、自分が作るときには、そのお友達に習ったとおり作ることにこだわり続けている。

 ひじきを炊くのも、実家のレシピからお友達のレシピに変わっていった。「お揚げと人参と三度豆と一緒に炊くと、きれいじゃない?」って言っていたっけ。「そうかあ。やっぱりごはんもキレイでないといけないのか」と、妙に感心したことを覚えている。

 栗ごはんも友達に習った。とても器用とも料理上手とも思えなかったその友達のところに、実家から送られてきた栗。「どうやって食べる?」「栗ごはん食べたい!」との協議の結果、4畳半の下宿でだべりながら、いっしょにシックハックしながら栗をむいたのが、とっても楽しかったなあ・・・。が、すでに10ン年作っていない。一人で鬼皮をむくのがめんどくさい、手も痛くなるし。が、むいて売っている栗で作ったのでは美味しくない・・・。このジレンマに陥り、もっぱら和食料理屋さんで年に1・2回くらい食べるだけになってしまった。その結果、娘に「ママって栗ごはん作れるのん?」と聞かれてしまう事態に。「作ってたよ。昔、私があなたくらいの年の時には」と答える。

 餃子の包み方は年下の友達(男子)に習った。「えー。マダム・ルーズ、包めないんですか? じゃ、教えてあげる」と、子供が使っていた粘土を使って特訓の結果、中国からの留学生にも褒められるほど上手になった(ちょっと自慢)。そのとき、横に座って一緒に粘土を使って習った息子も娘も、餃子包みはきわめてうまい。

 餃子の中身は別のお友達に習ったもの。シンプルに、白菜とキャベツとニラとミンチとだけのもの。しかし、なぜかオイスターソースが入る。なぜオイスターソース??と思いつつ、習ったとおり作り続ける私。ちなみに息子は友達の家でもっと気に入ったレシピを見つけたみたいで、下宿で友達と作るときにはそっちのレシピを尊重しているみたい。

 友達に習った料理をすると、レシピを教えてくれたその友達を思い出す。もう何十年も会っていない友達の、いろんなしぐさや言葉がよみがえる。一緒に過ごした楽しい時の思い出が、料理のにおいとともにたちあがる。私の人生の中で触れ合った大事な人を思い出すことをやめたくないから、いつまでも何度でも、同じレシピが繰り返される。

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