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萌え的「世界の名作」(2)おじさまたちのABUNAI駆け引き jackal
2010.12.13 Mon
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おじさんが好きだ。
ちょっとガサツなくらいワイルドで親分肌の「オヤジ」も好きだが、知性と気品に溢れた「おじさま」も大好きだ。年齢は四十代~五十代がベスト。そんなおじさんが二人いて、更に若い頃からずっと付き合ってきた親友で、向かい合ってお酒を傾けながら穏やかに談笑していたりなんかしたら、それだけでもう萌えスイッチON。別に妖しい濡れ場へ暗転しなくたって(してもいいけど)、肉体的な触れ合いの一つすら無くたって(あってもいいけど)、お互い分かりあっているような、それでいて自分を相手にさらけ出しすぎない、和やかだけどどこかに緊張を残した絶妙な空気は、歳と経験を重ね酸いも甘いも知り尽くした「おじさま」同士にしか作れないと思うのだ。
『ジキル博士とハイド氏』は、上記のわたくし的「おじさま」の理想が丸ごと詰まった、素敵すぎる小説である。短編だし、肝心のおじさまたちのやり取りは決して多いとは言えない。が、短い場面と淡々とした文中に、若者がとても太刀打ちできないような彼らの魅力が凝縮されているのである。
まず、主人公ともいえるジキル博士からして大層イイ男だ。知的で品が良く穏やかな、まさに理想的な紳士だが、決してただ優しいだけの善人ではない。自分の魅力を自覚し、学者としての功績に誇りを持っているがゆえに、どことなく高慢な態度が伺える瞬間がある。特に、自分の研究や学説、思想や信念に異議を唱える者は、たとえ長年来の友人であっても「無知な分からず屋」「彼ほど私を失望させた男はいない」と酷評するほどだ。さらに、ここが肝心なのだが、これらいかにも紳士然とした性質とは裏腹に、人一倍快楽に弱いという一面を持っているのだ(性的な意味だけではないだろうが、詳しくは書かれていないので勝手に妄想させてもらっている)。己自身に誇りを抱いているがゆえに、この性癖を人に知られるわけには絶対にいかないので、彼は長年、表向き善良な知識人として振る舞いながら隠れて良からぬ遊楽にふけるという二重生活を送ってきた。言うまでもなく、ハイドという人格を生み出す原因はここにある。
ジキルといえば、二重人格の代名詞である『ジキルとハイド』において善の面を担う人物というイメージを抱いてきたが、実はジキル自身は善意と悪意の両方を併せ持つ”人間”として描かれている。完全な善ではないのに、本人は必死で完璧であろうとする、どこか危うげな男だ。
そんなジキルの親友にして、博士と氏の”奇妙な事情”(strange case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde/原題より)の立会人となる人物がいる。弁護士のアタスン氏だ。彼は一見、ひどく無愛想で寡黙な男である。滅多に笑わないし、素っ気ないし、陰気に見える時さえある。しかし実は誰よりも他人に寛容で優しい。罪を犯して弁護士の世話になる者にとって、最後の救いとなる人物と言っていい。反面自分には厳しいが、その厳しくする方向が「好きなものを我慢すること」だったり、美味しいワインを飲むと滅多に笑わないはずの表情が緩んだり、なんとも可愛げのある人である。
そんな他人を思いやる彼が、友のそばに突如現れたハイドという男を放っておくわけはなかった。アタスンは、ハイド氏がジキル博士の保護を受け資産を欲しいままにしているのを不審に思い、調査を行う中でハイドが残虐な悪漢であることを知り、親友にこの男と手を切るように強く勧める。しかし当の博士は、ハイドに遺産を相続させるという遺言書をアタスンに預けておきながら、「きわめて私的なこと」と言って詳しい話は何も聞かせず、ただハイドの力になってほしいと頼むばかり。それも、「君を誰よりも、自分自身よりも信頼しているよ」なんて殺し文句まで添えて。二重人格へ繋がる伏線としての台詞かもしれないが、それにしたってこんな風に頼まれたら断れないではないか。ずるい。なまじイイ男なだけに、シャ乱Qの『ズルイ女』ならぬ『ズルイ男』である。
かと思えば、ハイドが殺人事件を犯し追われる身となるとジキルの態度は一変する。打ちひしがれ、常の余裕を失って、「彼(ハイド)とのことはもう終わりにしたんだ」と言い出す。まさに手のひらを返したようなジキルの態度を、アタスンはしかし、喜びはしなかった。「友人のあまりに熱っぽく説くようすにますます嫌な気分に」なり、「確かにあの男のことはよくわかっているようだね」なんて、ちょっと皮肉っぽい言い方までする。これをジェラシーと言わずして何と言おうか。きっとジキルがハイドを可愛がること以上に、ハイドに対して心を乱すことが面白くなかったのに違いない。
時にアタスンを心から頼り、時にハイドに並々ならぬ執着を見せる――こんな調子で、ジキルはアタスンを翻弄する。無自覚にも思えるし、もしかしたらこれも自覚した上での振る舞いかもしれない。なんにしても、ジキルはついに最後まで、アタスンに面と向かっては真実を打ち明けはしないのだ。無二の友人として長年親しく付き合い、追い詰められた時には頼りもしたのに。
ジキルにとってアタスンは、己の”strange case”の為に都合よく働く役者の一人に過ぎなかったのか?それとも友を大切に思うゆえに、巻き込まぬよう敢えて深くは踏み込ませなかったのか?その答えは、まだ私には出せていない。読者の方々には、是非自分なりの答えを見つけて欲しい。
さて今回、タイトルとなっている肝心のジキル博士とハイド氏ではなく、ジキル博士とアタスン氏の関係にスポットを当ててしまったが、私的に萌えたのはこの組み合わせなのだから仕方がない。ハイド×ジキル派の方には申し訳ない限りである。しかし、このBLなのかナルシズムなのか微妙な関係も大変においしい素材であることは事実。対抗する形で語ってくれる方を、心よりお待ちしております。
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