2012.06.10 Sun
2010年2月2日に病勢診断のための試験開腹術を受けたあと、18日には早速抗がん剤治療が始まった。当初は私も混乱したのだが、標準治療で言うところの「術前抗がん剤」というのがこれにあたる。え?術後じゃん、とお思いになると思うが、この場合の「術」は前回触れた「根治術」を指す。試験開腹はカウントされないのだ。
抗がん剤の種類は「パクリタキセル+カルボプラチン」、ファーストラインの薬剤である。パクリタキセルは櫟(イチイ)の樹皮から発見された成分を化学合成した薬品で、この薬剤の登場後、進行した卵巣がんの5年生存率が大きく伸びたのだそうだ。そんな説明を薬剤師さんから聞かされ、すっかり嬉しくなって初回の治療に臨んだ私であった。
長く柔かいシリンダーを静脈に差し込む注射を受け、そのルートを使って抗がん剤だけでなく他の薬剤も「静注」することができる。入院中はルートを身体に埋め込んだまま過ごすことになり、一度点滴の終わったルートには、ヘパリンという血液の凝固を防ぐ薬を流し込んでふたをする。便利なものである。
さて、アレルギー防止の薬のあとにいよいよ抗がん剤が身体に入り始める。直後にめまいが始まった。点滴自体は「流し」の生理食塩水も含めて3~4時間もあれば終わるが、1日中身体が揺れているような気がする。追って吐き気がやってきた。そして激しい下痢。吐き気に関しては、最強の制吐剤と言われる新認可の「イメンド」が処方され、ものの本にあるように「1日中便器にしがみついて苦しんだ」というようなことはなかったが、点滴当日を含めて丸5日、ほとんど食事をとることができなかった。
癌研有明病院では、抗がん剤を受けている入院患者のために吐き気対策の特別食が用意されている。スープ「だけ」、アイスクリーム「だけ」など、シンプルで量も少ないメニューが多い中、不思議なことにボリュームたっぷりのカレーがあり、これがめっぽう美味しい。ご飯のにおいを嗅いだだけで吐き気がこみ上げる状態の時にも食せるのである。このカレーには、学生が履修しやすい科目や教授の情報を下級生に申し送るように、先輩入院患者から下げ渡された情報のおかげでありついた。抗がん剤患者向けの特別食は「ベリー食」と呼ばれている。入院中何人もの看護師さんに、なんで「ベリー」なの?と名前の謂れを問うてみたのだが、未だに不明なのだ。
1クール、すなわち3週間が経過した時点で、一旦退院となった。このころにはすでに頭髪は半分以下に減っており、絶え間ない頭皮の痛みに悩まされていた。それでも2ヶ月ぶりの娑婆の空気はおいしく、道中は気持ちも晴れやかだった。
退院の翌々日には卒業判定の教授会、そしてさらに翌々日は卒業式である。学科長として卒業生を送り出す責任があった。卒業証書を一人一人に手渡しながら、慣れないかつらが気になるわ、めまいはするわ、頭皮は痛いわでほとほと参ったが、それでも責任を果たした安堵感に包まれ、例年のとおり卒業生に請われるままに卒業記念のスナップ写真に収まり、疲労困憊とはいえ幸せな気分で帰宅した。
それが、である。翌日、激烈きわまりない身体の痛みが襲ってきた。いきなり関節が腫れだし、やがて激しい筋肉痛に似た痛みが腕に貼り付いて、にっちもさっちもいかなくなった。あらゆる関節がぱんぱんにふくれあがり、皮膚が突っ張る痛みも尋常でない。リウマチの痛みには慣れていたが、明け方には身体を動かすこともできず、ただただ激痛に耐えうる姿勢を保ちながら夫に痛み止めを飲ませてもらうようなことになってしまった。腕の激痛は堪え難く、斧で肘から下を切り落としたいと本気で思うほどである。タキソールの代表的な副作用の一つに関節痛があることは知らされていたが、やはりリウマチ持ちの私には無理があったらしかった。
2クール目は中止になってしまった。まずリウマチをなんとかしないと治療は続けられないという。お先真っ暗とはことのことである。
医師の友人に相談すると、彼女のご亭主が医者になりたてでいわゆるレジデントをしていた時期の同輩が、世界的なリウマチ治療の権威になっているという。紹介状を携えて霞ヶ関にあるクリニックをおとなった。狭い待合室はまさしく立錐の余地もないぎゅうぎゅう詰めである。日本各地の方言が聞こえる。世界的な権威という話は本物らしい。
なかなかダンディーな権威は私の話を聞き終わる前に、「はい、じゃーアクテムラやりましょう。副作用ありません、抗がん剤と併用できます、すぐに効きますよ」と言った。ほんまかいな?と疑う暇もなく、来週までにツベルクリン反応みてきてね、ま、大丈夫だろうから点滴の予定入れときます、値段はこれこれよ、はいさようなら、という感じで、気がついたら私は文科省の前の道路に立っていた。そして、その安請け合いのように思えた権威の話は本当だったのである。
豆知識——–抗がん剤の種類と副作用
私が最初に受けた抗がん剤の種類は、「パクリタキセル(タキソール)+カルボプラチン(パラプラチン)」でした。( )内は商標登録された商品名ですが、薬剤の名称の使用はドクターによって一般名だったり商品名だったりまちまちで、ちょいとわかりづらいのです。
タキソール+パラプラチンは現在の卵巣がん化学療法のファーストラインの薬剤で、3週連続で点滴にて投与します。初回のみ2剤を入れ、2回目3回目はプラチナ製剤を外してタキソールのみを用います。3回でワンセット、これを「ワンクール」と呼び、ワンクールが終わると1週お休み期間があって、翌週次のクールが始まります。毎回厳密な血液検査があり、結果次第ではクールの最中でも休薬になることがあります。私の治療は標準治療通り、術前4クールということになりました。順調に投与できれば、4ヶ月で手術に持ち込める予定だったのですが、持病のリウマチがネックとなってうまく進捗しませんでした。
抗がん剤の最も一般的な副作用は吐き気と脱毛、骨髄抑制、肝機能腎機能の低下、下痢などですが、薬剤の種類によってさまざまな副作用が報告されています。女性患者にとって、頭髪だけでなく眉毛も睫毛も失うのは辛いことですが、脱毛は命に関わりません。恐ろしいのは骨髄抑制による好中球減少症です。白血球、赤血球、血小板が激減することで免疫力が著しく低下し、あらゆる感染症にかかりやすくなってしまうのです。
風邪や肺炎などももちろん命取りになりますが、皮膚病や腎盂炎などにもかかりやすくなり、結果として生命の危機を招き寄せることがあります。また、生ものを食べること、ペットとの接触も厳しく制限されます。サラダも果物も食べられません。人ごみに出かけることはもちろん禁止、血小板の低下のため出血すると大変なことになりますから、料理や庭いじりにも細心の注意が必要になります。
私が感心したのは、ドクターからの説明のあと、看護師さんから「冷蔵庫の上の段の扉を開けたまま野菜室をいじって、そのまま立ち上がらないようにね」との、やたら具体的なアドヴァイスを受けたことでした。主婦なら一度は体験するたんこぶ事件ですよね。体表の出血は止血が可能ですが、体内の出血が止まらないと、それこそ、はい、さようならになりかねないのだとか。おおコワ。
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