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やまんばの在り方に学ぶこと

2013.07.16 Tue

このところの酷暑に、すっかり参ってしまいます。
気力も体力も失せ、それでも何とか、エアコンとスポーツドリンクの助けを借りて、普段の生活ペースを死守する毎日です。

しかし、暑くても辛くても、勤め人なら仕事、学生なら勉強、スポーツ選手ならスポーツを、無理にでもやらなければならない現代社会の忙しない回転速度に、疑問がわいてきます。

暑い国の人々は、一般に、もっとのんびりゆったり暮らしているものです。
それが、その土地で生きていく上で最適なペースだからです。

日本でも、たとえば学生には長い夏休みがありますが、、、
のんびり涼んでなんていられません。
夏休みには、普段以上の宿題があり、休み明けには試験があり、部活の練習も試合もあり、
いったいどこまでの頑張りを、この暑さの元で強いられるのでしょうか。
頑張らなければ、競争に負け、将来の選択肢が無くなっていくのでしょうか。
私たちは、どこまでスパルタ式な生き方を、誰のために目指さなければならないのでしょうか。

もっとちがう生き方、生活のスタイルがある気がします。
空の声、地の声、波の声を聞いて、それに順応する暮らし方を、私たちの祖先はしてきた筈です。
それがいつの間に、経済効率が最優先されるようになり、電力や移動、通信手段やさまざまな技術に大いに依存する形で、自然がもたらす変化と私たちを『隔絶しようとする』ライフスタイルが主流になっています。

まるで自然VS人間の力くらべのようですが、この勝負に勝ち目が無いことを、福島の原発事故が語っています。
人間が自然に抗い、より強大な力を振りかざす度に、自然界はそれを軽々と、私たちに投げ返してきます。

無理をして、力任せに現実を歪めるのではなく、現実を受け入れ、現実と共存するための距離感を、私たち一人ひとりが考えながら選んでいく姿勢を持ちたいものです。

やまんばは、自然の中で独立して暮らし、異形な存在ながら、時に人間との関わりを持つこともありました。自然の豊かさを享受し、周りに依存せずにひっそりと暮らしたやまんばのような慎ましさを、私たちは、今こそ見習うべきなのかもしれません。

(文: 間谷  純)

タグ:映画「やまんば」制作日誌