エッセイ

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ヘルタ・ミュラーのノーベル文学賞受賞を記念して  田丸理砂

2010.03.04 Thu

--「ルーマニア・ドイツ語文学」* への誘い:監視社会の恐怖を生きる 『狙われたキツネ』ヘルタ・ミュラー (山本浩司訳)--

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2009年10月、ベルリン在住の「ルーマニア・ドイツ語文学」の作家、ヘルタ・ミュラーがノーベル文学賞を受賞した。選考委員会はミュラーについて「濃縮した詩的言語と事実に即した散文により、故郷喪失の風景を描いてきた」と評している。ルーマニアのバナート地方のドイツ系マイノリティ出身のミュラーは、ドイツ語を母語とし、1992年にはルーマニアのドイツ語話者の村を舞台とした短編集『澱み』をブカレストで発表し注目を集め、ドイツでも高い評価を受けるものの、1984年には職業従事と作品の公表を禁じられ、1987年、チャウシェスク政権下のルーマニアから当時の西ドイツに移住している。代表作としては以下で紹介するミュラーの長編第一作『狙われたキツネ』(1992年)、前作同様ルーマニアの独裁政権下での生活を描いた『心獣』(1994年)などが挙げられ、昨年には、第二次世界大戦後にソ連に強制連行により労働奉仕を強いられたルーマニアのドイツ系マイノリティの体験を扱った作品『息のぶらんこ』(2009年)を発表している。

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 さてミュラー作品の唯一の邦訳である『狙われたキツネ』(山本浩司訳、三修社)では、ルーマニア革命の直前から直後までのバナート地方の町ティミショアラの小学校教師アディーナ、その友人で金網工場に勤めるクララを取り巻く人々や、彼らが独裁政権下で二六時中あじわう恐怖が描かれている。監視体制の敷かれた警察国家を生きる人々は、日常的に得体の知れない不安や恐怖にさらされ、ある事物をそのものとして見ることができず、背後に何かしらの影をとらえ、そこに多くの意味を読み込まずにはいられない(そしてそれは必ずしも過剰とは言えないところが恐ろしい)。(右図ドイツ語版)

 たとえばアディーナは勤労奉仕としてトマトの収穫に借り出された生徒たちに向かって、「できるだけたくさんのトマトを食べてしまいなさい、どうせ家には持って帰ってはいけないだから」、あるいは「未成年者の搾取」と言ったことが原因で、当局に睨まれる。

 あるときアディーナはタンスを開け冬物のスカートを探し、見つけ出したスカートを穿こうとして、タンスの前のキツネ皮の敷物に足をすべらせそうになる。知らぬ間に尻尾がちぎれていたのだ。一瞬、カビが生えて腐食したからだとアディーナは思ったものの、しかしそれにしてはおかしい。毛皮は湿っておらず、乾ききっている。それ以降、キツネの毛皮は少しずつ刻まれていく。前肢、後肢、頭という具合に順々に。侵入者はその痕跡を残していくことで部屋の住人に恐怖を与える。その気になれば毒殺することも可能なはずなのに、時には部屋の椅子の位置を変え、タバコの吸殻をトイレに捨てていくことで、アディーナが彼らの監視の網の目からは逃れられないことを悟らせるのである。

 また果物や植物の擬人化したイメージは時として、非常にグロテスクである。いくつかの場面で登場するふたり連れの釣り人の一方は、もう片方からひまわりの種をすすめられると、ひまわりの種からスイカの種を連想し、かつて前線の兵士だった彼は、スイカは戦死者の血を思い出させるから怖くてしかたないと断る。女たちは自らの経血を「スイカの血」と言い、男たちを縛りつけるためと称して、内緒で彼らの食事やコーヒーに「スイカの血」を混ぜて飲ませる。空に突き出すポプラはいつも鋭い監視のまなざしを送る「緑のナイフ」であり、夏にはポプラ並木から縞模様の影ができ、その縞模様(たくさんの監視の目)も人々に恐怖を呼び起こす。

 それとは反対に人物を表すためには、しばしば身体の一部や身に着けているものなどがその人物を表す換喩として用いられている。小説の読者は独裁者の名(チャウシェスク)を知っているが、彼の名が名指しされることはなく、独裁者はその写真が毎日新聞にでかでかと掲載されるときの「カールした前髪」として何度も言及される。クララを愛人にする秘密情報機関に勤務するパヴェルは「赤と青の水玉模様のネクタイをした男」、あるいはもうひとつの特徴「首筋のあざ」として登場する。むしろこの視覚イメージの繰り返しが、常にそれに取り囲まれ、監視されている異様な圧迫感を感じさせる。そしてこの小説が一貫して現在時制で語られていくことも、読み手を不安な気持ちにさせずにはいない。

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(左よりデビュー作『澱み』『心獣』『息のぶらんこ』のドイツ語版)

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 ところでキツネの毛皮のエピソードは、雑誌『すばる』(2010年2月号、集英社)に掲載されたヘルタ・ミュラーへのインタヴュー(浅井晶子訳)によれば、実際に彼女が経験したことのようである。ぞっとするが、またそうでなければこれだけの臨場感を生み出すこともできなかったかもとも思う。しかしそれよりもこの記事が衝撃的なのは、ミュラーはドイツに移住後もルーマニアの秘密情報機関「セクリターテ」の追跡に苦しめられていたことだ。セクリターテは移住先のドイツにミュラーは西側にルーマニアが送ったスパイと思い込ませようと働きかけていた。またルーマニア革命から20年近く経った2008年春にニュー・ヨーロッパ・カレッジからの招待を受けて、彼女がルーマニアのブカレストに滞在した際にも、ミュラーは尾行や電話の盗聴など監視の恐怖をあじわったということだ。そして現在セクリターテはルーマニア情報局と名前を変え、公式発表によればかつてのセクリターテ職員の40%が情報局で働いているということだが、ミュラーは実際の元セクリターテ職員の割合は高く、仮に40%だとしても、その残り60%は年金受給者か新しい市場経済の黒幕になっていると指摘する。東西冷戦構造の崩壊から20年の2009年にミュラーがノーベル文学賞を受賞したことには、おそらく何かしらの意図が込められているのだろうが、ミュラー自身の実感としてはかならずしも当時の体制から解放されているわけではないと言えそうだ。このインタヴューの原題は「セクリターテはいまなお活動している」といい、ミュラーがノーベル文学賞を授与される約2ヶ月半前にドイツの週刊紙「ツァイト」(2009年7月23日付)に掲載された。

 最後に多くの人に読んで欲しいと思うので、事前に覚悟を促がすために言い添えておくが、『狙われたキツネ』はあまり読みやすい作品とはいえない。ただしこれはけして訳者のせいではないことも強調しておきたい。それどころか本書の訳はミュラーの文体の特徴をよく捉えていると思う。ミュラーの作品はドイツ語で読んだとしても読みやすくはない。使用している言葉も構文もそれほど難しくないのに、すっと頭の中に入っていかないのだ。それは次々と語られていくイメージの用い方、連なり方とも関係している。先のように事物や身体の一部が不気味な姿を呈する、ときにグロテスクな描写はシュールレアリズムを思い起こさせるかもしれないが、ミュラー自身はエッセイ「よそ者のまなざし」のなかで、事物のこのような捉え方は文学的な手法でもなんでもなく、自らこのような現実を生きていたのだと述べている。文学の大きな可能性のひとつが現実の無限の書き換えだとするならば、すっと流れていかない言葉やイメージの連なりを体験することこそ、ミュラーが描いた世界に近づくことなのではないだろうか。

主要作品
・澱み(Niederungen 1982年、未検閲版1984年)
・抑圧のタンゴ(Druckender Tango 1984年)
・裸足の二月(Barfusiger Februar 1987年)
・狙われたキツネ(Der Fuchs war damals schon der Jager 1992年)
・飢えとシルク(Hunger und Seide 1995年)
・心獣(Herztier 1996年)
・息のぶらんこ(Atemschaukel 2009年)

*この表記は藤田恭子氏による「〈ルーマニア・ドイツ語文学〉とは、第一次世界大戦後に版図を広げたルーマニア内部でマイノリティとして暮らす、あるいは暮らしていた、ドイツ系およびユダヤ系のドイツ語話者によりドイツ語で行われた文学営為とその作品」に従った。藤田恭子「ヘルタ・ミュラーとルーマニア・ドイツ語文学―ノーベル文学賞受賞によせて―」 Brunnen 461号(2010年1月、郁文堂)








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