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写真がつなぐあなたとわたし 松葉志穂
2013.02.08 Fri
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「世界はかんたんに、ひっくり返る、そののりしろを。」
小林あんぬさんのワンフレーズからふっと頭に浮かんだもの、それは徳川慶喜の顔であった。いわずと知れた江戸幕府第15代将軍、彼ほど歴史的評価の分かれる人は、日本史上探してもそういないだろう。新選組&会津藩びいきの私としても決して好ましい印象はもてないが、一方で徳川慶喜という人は「世界はかんたんに、ひっくり返る、そののりしろ」の役目を果たした特別な存在でもある。
小学校5年か6年だったか、姉の日本史資料集を眺めていた時、江戸幕府歴代将軍の肖像画のなかでただひとり写真の徳川慶喜を目にした瞬間、雷にでもうたれたような衝撃を受けた。
「徳川慶喜ってホントにいたんだ!」
別にそれまで彼の実在を疑っていたわけではないが、私にとって歴史とは「昔々あるところに」で始まるおとぎ話の域を出るものではなかったのだ。ところが写真という馴染み深い媒体を通して、おとぎ話の住人であった徳川慶喜は生身の肉体をもった人間として突然私の日常に入り込んできた。いや、私自身が歴史という日常の世界で呼吸していることを初めて実感した、といった方が正しいだろう。
それ以来、古写真は私の「日常」と私が生まれる遥か以前から連綿とつづく「日常」とをつなぐ「のりしろ」となった。特に近代女性史を勉強するようになってからは、幕末から昭和を生きた女性たちの「日常」に対する想像力を養い、自分の研究テーマを深めるためにも古写真はますます欠かせないものとなった。
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『幕末維新・明治・大正美人帖』は皇族や華族、令嬢、芸妓、また「才媛」と呼ばれた女性たちの肖像と、当時の生活風俗を紹介した古写真集である。私のお気に入りは「横浜写真」と呼ばれる外国人向けの土産写真だ。被写体の多くは無名の女性で、外国人好みのエキゾチシズムが濃厚に演出されてはいるが、あるいは演出されているからこそというべきか、そこには著名な女性の着飾った肖像写真にはない「日常」の匂いが感じられる。
古写真がきっかけで興味をもった女性も多い。九条武子・柳原白蓮とともに「大正三美人」と称される林(日向)きむ子もそのひとりだ。雛人形のような瓜実顔の美貌、どちらも華族出身である九条武子・柳原白蓮に対し、林きむ子は異色の魅力を放っている。二重瞼の彫りの深い面立ちで、義太夫語りの両親の間に生まれ、やがて芝の料亭「浜の家」の養女となり花柳界で育った。
森まゆみさんの『大正美人伝――林きむ子の生涯』はほとんど資料のない彼女の生涯を上質な絹織物のように紡ぎ出す。青鞜社の反動とはやされた「新真婦人会」の一員として活躍した林きむ子の背骨には、実母・竹本素行と養母・内田花の気骨が通っていた。「女性の近代は、なにも知識階級の女権論者の中にだけ始まるのではない」という森さんの指摘には目の覚めるような思いがする。
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「古写真」というほど古くはないが、「婦人科カメラマン」の看板を掲げる秋山庄太郎さんの女優の写真集も外せない。私は昭和の映画界にも映画女優にもまったく明るくないが、それでも『麗しの銀幕スタア』にはうっとりと魅入ってしまった。原節子、山田五十鈴、杉村春子、吉永小百合、高峰秀子など総勢57名の「銀幕スタア」を写真とエッセイで紹介する本書は、日本映画全盛期を偲ぶだけでなく、撮影の合間にふっと現れる女優たちの素顔を愛情深く伝えてくれる。秋山さんの写真集に出会っていなかったら、原節子の伝記だって高峰秀子のエッセイだって手に取らなかっただろう。
しかし写真がつなぐ「あなた」たちの評伝に夢中になりすぎ、肝心の研究テーマとやらは最近トンとお留守になっている。これでは本末転倒になりゃしないか?と若干不安をいだきつつある今日この頃だ。
次回「会えない彼女たちと、何度でも出会い直す。」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから
カテゴリー:リレー・エッセイ