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日本軍「慰安婦」被害者 金学順さん証言から20年 シンポジウムに参加して 岡野八代
2011.08.02 Tue
去る7月31日大阪歴史博物館にて開催された、「慰安婦」問題に関するシンポジウムに参加した。「韓国挺身隊問題対策協議会」常任代表である尹美香(ユン・ミヒャン)が韓国で昨年公刊した『20年間の水曜日』が、梁澄子さんの翻訳で、日本でも刊行されることになったことを記念したシンポジウムでもあった。
尹さんが本書の「はじめに」で書いているように、昨年2010年は韓国で日本軍「慰安婦」問題の解決を求めて「挺身隊問題対策協議会」(略して挺対協)が結成されて20年という年であり、そして今年は、日本軍「慰安婦」として世界で初めて金学順(キム・ハクスン)さんが、被害事実について勇気をもって告発されてから、20年を迎える。
学順さんが、胸が張り裂けそうになる、と言いながら、胸の奥にずっと閉じ込めてきた過去を語り始めたのは、それまで日本政府が繰り返してきた、慰安所は民間業者が経営していたことで、軍、ひいては日本政府にはいっさい責任がない、といった発言にいてもたってもいられなかったからだ。45回目の終戦記念日、韓国にとっては、大日本帝国からの解放を祝う光復節の前日に、学順さんは、世界に向かって声を挙げた。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.それから20年。91年わたしは、「慰安婦」問題を留学先で初めて聞き、それ以降、日本社会が抱えるさまざまな問題のなかで、もっとも深刻な問題として自分なりにできることはなにかを考えてきた。しかし現実には、過去20年にわたる様々な活動、とくに10年前の国際女性戦犯法廷に代表される市民の運動にも関わらず、社会全体からみれば、すでに問題は風化し、日本社会は彼女たちから投げかけられた呼びかけに応えることなく、なんら反省することなく、先の見えない未来へと無謀にも足を踏み出してしまったようにもみえる。
そんな思いもあって、シンポジウムに向かう途上は、なんとも暗い気持ちであった。しかも、本シンポジウムには妨害が入ることが予想されていた。事前にネットで検索すると、本当に姑息で陰湿な呼びかけをしている。わたしは、多くの参加者の一人となって、どんな妨害にも負けないような市民の態度には、どのような態度が相応しいのだろうかと考え、かなり身構えていた。地下鉄から会場まで歩いていけないんじゃないか、開場時間よりずっと早く行くべきだったのではないかと、地下鉄から地上に上がるさいには、本当に緊張した。
しかし、広い会場までは、炎天下の中、会場整備の方が誘導してくれ、なんの混乱もなく受付を済ますことができた。大きな驚きは、すでに約300名定員の会場は満員で、多くの方は2時間半のシンポジウムの間、ずっと立って聞かなければならなかったほどの参加者がいたことである。もちろん、20年の運動を振り返る会にしては小さいと思われるかもしれないが、さまざまな逆風が吹き荒れるなか、それでも、これだけの人が集まったことには、望外の喜びがわたしにはあった。
シンポの冒頭、すでに亡くなられている被害者の方々の写真とともに、哀悼の時間がとられた。なにもできない、不甲斐ない自分の無念さと、自分に被害の様子を語り続け、最後に「こんな話を聞いてくれてありがとう」と笑顔で証言を締めくくった、何人もの記憶の中にあるおばあさんの顔を見て、悔しさと悲しさと、そしておばあさんたちが見せてくれた尊厳の尊さに、胸が熱くなった。みなで起立して捧げた黙とうは、おばあさんたちに、ありがとう、という言葉と、やはり、ごめんなさい、と心の中でつぶやかずにはいられなかった。
黙とうの後には、大変貴重な金学順さんの証言を含む映像をみることができた。初めて、学順さんが暮らしていた2畳半の広さという、お部屋でのインタビューの様子を見た。一人で小さな部屋で暮らす彼女が、公開の場で声を発することを決意するまでの葛藤は、いったいどれほどのものだったのだろうか。
その後、尹さんのお話が始まった。先ほどまで
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