壽岳章子さんを知っていますか。
壽岳さんは、2005年に81歳でなくなりましたが、『日本語と女』(岩波書店1979)という日本語の中の女性差別を明らかにした本で有名な日本語学研究者でした。そして、研究者である一方で、1960年代から京都で「憲法を守る婦人の会」を続けてきた社会活動家でもありました。
その壽岳さんは、戦前の国立大学に入った数少ない女性のひとりでもありました。昨年明るみに出た医学部の女子学生差別は心底、憤慨に耐えないものでしたが、75年前の日本の女性たちは、例外を除いて国立大学にも入れませんでした。その例外的な人物である壽岳さんが大学に入ったころ、入る前のことを知りたいと思っていたのですが、たまたま
『東北帝国大学 女子学生の記録―昭和十八年十月に入学してー』(晩夏会1998 非売品)
という本が見つかりました。今回は、この本を通じて、戦前の女性たちの大学入学事情を報告し、そのころの女性が大学に入るというのはどういうことだったかを改めて考えてみようと思います。
まず、壽岳さんの略歴をたどりながら、戦前の学校制度の概略を記してみます。1924年に京都で生まれて、小学校を卒業した壽岳さんは、1936年に京都府立第一高等女学校に入ります。この高等女学校の時代から、男女の教育は分かれます。その当時の学校制度をごく簡単に中心部分だけを示すと、
男子 小学校6年―中等学校4年か5年―高等学校3年―大学3年
女子 小学校6年―高等女学校5年―専門学校/女子大学校 3年―大学3年
となっていて、小学校以外は全く男女別学でした。
壽岳さんは、家の事情で女学校を途中で退学せざるを得なかった母親の壽岳しづさんから、「あんたは大学行って勉強しや」と言われて育ち、当然大学へ行くものと思っていました。ところが、女学校を卒業しても男子と同じ高等学校には進めません。やむなく、大学進学のための経歴として必要とされた女子専門学校に進みます。ここでは家政学などが重視され、外国語や漢文などはあまりよく教育されませんので、高等学校から大学に入る男子との学力の差がついてしまいます。壽岳さんは必死で独学で受験勉強をします。
大学も、戦前の大学令という法律では、正式の大学とされるのは東京・京都・東北・大阪・北海道・九州・名古屋の7つの帝国大学だけでした(後で、植民地化した台湾と朝鮮にもできて計9校になります)。「大学」の名前の日本女子大学・早稲田大学などありましたが、それは同列の「大学」ではありませんでした。その帝国大学で女子の入学を許していたのは、東北・九州・台北だけでした。京都に立派な帝大があるのにそこには志望もできなくて、1943年、戦争の真っ最中に壽岳さんは東北帝大に進みます。
冒頭の本は、そのとき東北大学に進んだ9人の女性たちが、後年自分たちの入学当時のことを振り返ってまとめた本なのです。女学校に進む女性もわずかしかいなかったころ、帝国大学を目指した女性はどんな育ちをした人だったのでしょうか。
この本は壽岳さんが司会をして、1943年に入学した女性たちが座談会で話しています。
最初に、大正2(1913)年に東北大学が女子を入れると決めたときの、大学と文部省とのやり取りについて語られます。文部省から「女子ヲ帝国大学ニ入学セシムルコトハ前例無之事ニテ頗ル重大ナル事件ニ有之大ニ講究ヲ要シ候ト被存候ニ付右ニ関シ御意見詳細承知致度此段及照会候也(女子を帝国大学に入学させることは前例がなく、非常に重大なことで十分に調べつくすことが必要だと思われます。このことについての詳しい考えを知りたいので問い合わせることにします)」という照会状がきます。「それに対してすぐ抵抗運動をこちらがなさって勝ったわけです。…北条総長が東京に行かれて見事に論駁してこられて」と壽岳さんは語っています。昨今の大学と文科省との関係を思うと、雲泥の差があります。立派な総長もいたんですね。
こうした大学の抵抗の歴史があって、昭和18年には壽岳さんたち9人の女性が入学することができたわけです。9人のうち先の座談会に出席した8人の女性が、東北大学に入ったいきさつを語っています。
Mさん:宮城県出身。東北大学に女性を入れることを知ったのは、父が東北大の医学部にいたから。女学校を卒業する時、友だちがみな東京へ進学するのが羨ましくて、自分も東京にいきたいと思ったが、両親に「生まれて育ったところに女性を入れる大学があるじゃないか」と言われて東北大に行こうと思った。
Kさん:大阪府出身。私の家では中等学校は地元ですませ専門学校なり高等学校に入るときは男も女も東京へ出、それから大学というのが母親の代から決まっていた。東京女子大に入ってみたら女性の先生は東北帝大出身の先生がほとんどで、ああこういう世界があるのかと知った。母は九州ならいいが仙台のような寒いところは行くなと最後まで反対したが、結局は賛成した。父親はオールドミスになった場合、ヒステリーにならないなら行ってもいいと言い、私は約束した。父は外国航路の船長の経歴をもち、当時の男としては女の権利に対して理解があった。
Tさん:大阪の梅花高等女学校にいったが、これだけで勉強やめるのは惜しい、もうちょっと勉強したいと思った。梅花に入ったら、たまたま東北大を出た先生がいて、大学へ行きたいと思った。あのころ近辺で女性が入れたのは同志社ぐらいで、そこへ行こうと思っていたら先生がだめでもともとだから東北大を受けなさいと勧めてくれた。父も応援してくれた。いい父で、いきたければどこまででも行けばいいじゃないかといった。
Hさん:東京出身。日本女子大学に入った。担任は日本女子大を出て東京文理大を出た人と東北帝大を卒業したての人だった。知性輝く女性に出会えて深い感銘を受けた。家は東大の近くで、東大構内は通学路であり遊び場だった。東大生や一高生がしきりに通る独特の雰囲気が好きで、小さい時からこんなところで勉強したいと漠然とあこがれていた。母子家庭で経済的な問題があったことが却って進学に踏み切らせたと思う。条件が揃っていれば結婚したと思う。条件が揃わず、本人がそう願い、資格を得て独立できるならいいのではないかと、母も反対しなかった。目の前の東大は開かれていなかった。
Iさん:女学校は奉天浪速高女。支那事変の泥沼で5年制の女学校なのに4年のとき、突如切り上げて卒業させられてしまった。それで、推薦で入れるところとして実践女専にした。2年のとき「土佐日記」を習った先生は東北帝大出の女権拡張論者だった。
3年の担任は文理大を出たばかりの先生、論理学の先生は東北帝大出身で、本屋に行くと先生の書いた教科書や訳書がたくさんあった。自分もそういう道に進みたいと思うようになった。父に相談したら、当時父には私の相手として考えている人がいて、結婚話を持ち出されたが、私は承諾しなかった。それで、まあやってみなさいということになった。
Nさん:名古屋出身。自分は身体障害があるから結婚するつもりはないし、自立しなくてはと小さい時から思っていた。それで女子大を受けた。女子大に入ったら九州や東北を出た先生がいてそういう風になりたいと思った。父親は普通のサラリーマンだったがそのころ務めの関係で大連にいた。大連だと内地にいるより給料はよかったらしく、親は反対しないで「よかろう」と言ってくれた。
Oさん:東京女子大に入ったとき、ちょうど東北帝大を出た先生が着任、あなたは大学に行きなさいと言ってくれた。父がどうせこの子は器量がよくないから、嫁には行かれないだろうから大きくなったら西洋服を着て外国へ行って学問をさせなさいと言っていたが、9歳の時亡くなった。母親はそれを遺言と受け取って、何としても学問をやらせようということで大学に行かせてくれた。
壽岳さん:小学校の時から女の子でも東北帝大に行けるんだよと聞かされていて、何となくそのころから東北帝大に行こうと思っていた。母親も結婚のケに字も言わなかった。それとしたいことをするということ、学問の世界は素晴らしいということを小さい時から聞かされていた。
8人の話をまとめてみます。
この女性たちが大学進学を志望した背景として、東北や九州、文理大などの最高学府で学んできた女性が周囲にいたというのが見えてきます。そういう先生たちはいい教育をしたのです。女子生徒たちの眼を広く開かせました。さらに、自分が受けてきた高いレベルの教育を自分だけのものにするのでなく、後輩の女子生徒たちにも受けさせようと熱心に勧めました。生徒の方も憧れの先生に勧められて、自分も大学へ行こうと思います。よいロールモデルの存在がいかに重要かがわかります。同時に、女性から女性への伝達と継承の大切さもわかります。
また、娘が帝国大学に進学したいと言ったときの親の反応も興味深いです。どの親も、娘が大学で勉強することに反対していません。むしろ奨励していたと思われる親もいました。8人の話の中に6人の父親が出てきますが、Tさんの父親のような積極的奨励派が1人、地元だからとか、器量が悪いとかヒステリーにならなければとか、おかしな条件付きの消極的奨励派が3人、それに、結婚相手を考えていたにもかかわらず娘が嫌だと言ったら引っ込めて、大学OKという物分かりのいいIさんの父親、普通のサラリーマンだったMさんの父親もすぐOKしてくれました。こうみてくると、娘の希望をかなえるのは父親だとわかります。開明的な父親が娘の向学心を育て支援するのです。
この8人が非常に恵まれた女性たちだったと言えばそれまでですが、その背景にある、ロールモデルの役割の大切さ、娘に対する父親の姿勢の重要さは、今の私たちにも十分思い当たることばかりです。
つい少し前の女性たちの、上級教育へのあこがれと、そこへ到達する道の難儀さに思いを寄せてみませんか。
2019.12.01 Sun
カテゴリー:連続エッセイ / やはり気になることば