エッセイ

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復職はショックとともに(フェミニストの明るい闘病記10) 海老原暁子

2013.01.10 Thu

 2011年8月。父の新盆のため私はカナダから日本に戻った。旦那寺との打ち合わせや提灯の準備など、昨年までは父がしていた仕事を私が仕切る不思議さ。先祖に思いを馳せるというのはこういう作業を通してなのかなーと、田原町にある有名な仏具専門店のキャッチコピー「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」はなかなかよくできてんじゃん、と感心したが、これは仏教の教えの一つなのであろう。

 ちょうどそのころ、勤務先からメールがきた。学長の意向を事務長がメールに仕立てて送信するという、新学長の方針に沿った配信である。8月末に、英語科廃止と新学科立ち上げ構想について話し合いを持つので、休職中ではあるが都合がつくなら出てこい、という内容だった。

 休職期間は前期いっぱい、つまり9月21日までである。もし私がお金に困っていたら、実質ほとんど仕事のない8月に形だけ復職してお給料を丸ごといただくというテも使えただろうが、もちろんそんなことはしない。また、英語科廃止は英語科の教員にとって驚き桃の木の無体なお達しで、大変な波紋を呼んでいる物騒な議案なため、長く休職して過去1年半の経緯に疎い私が参加するのはまずかろうという思いがあった。

 お盆のあと再度カナダに渡って休職期間をきっちり療養にあてるつもりであること、会議には出席しないこと、復職に必要な手続きの詳細を知らせて欲しい旨を文書にまとめ、8月10日に事務長にあてて送信した。カナダでも毎日メールチェックをしていたが、私のこのメールに対する返信はついに帰ってこなかった。学校はごたごたの真っ最中で、事務長も多忙を極めているのだろうと、回答を急かすメールはあえて出さなかった。

 そんなある日、勤務先の知り合いから携帯に電話が入った。常に沈着な彼女の声がうわずっている。「すぐに帰って来て!あなたクビになるわよ!」彼女の言うには、学内のある会議において、私が「休職中に学校に無断で海外旅行をした上に、学長からの会議への招集命令を無視した。このままだと学則にある病気休職の最大日数18ヶ月日を超過することになるので、退職勧奨が可能になる、病欠期間の延長に言及した学則の文言を悪用されないように」云々、と、つまりは私を復職できないようにするための話し合いがなされたというのである。

 仰天する、つまり天を仰いでひっくりかえりそうになる、という大げさな表現がちっとも大げさではなかったことを実感した。一体何がおこったのか? 前期末日まで休職しても18ヶ月日を超えないことは計算済みである。学長からの命令を無視した? 退職勧奨? 昨年の夏には、抗がん剤の合間に手弁当で高校訪問までしたのに? 長く休職して申し訳ないからと学院に20万円も寄付したのに? 私をクビにしたい?

 とにかく帰らなければ。新学長のもと、若手の首切り問題にからんで学内がすったもんだしていることは、以前から複数のルートで漏れ聞いてはいた。なんと火の粉が自分にもふりかかってきたらしい。

 私は2日後の飛行機に飛び乗って日本に帰った。事務長あてに「帰国しましたので明日付けで復職をお願いします」とメールを出したところ、返答は人事課長から送られてきた。「復職可能との医師の診断書を提出していただき、会議にて復職の是非を検討します」とあった。そうか、これだったのか・・・。私に復職手続きについて何も知らせず、会議が開かれる前に休職期間が満了になれば、退職勧奨が可能になる。診断書を出せば自動的に復職できると思いこんでいたのは、私のうかつであった。それにしてもこんな重大なことを勤務員に知らせぬまま、本当に首を切れると思っているのだろうか。

 私が予定より10日早く復職すると言い出したことで学長の目論みが雲散したからかどうか、なんと私は抜き打ちで「厳重注意処分」を受けるはめになったのである。

 復職辞令を交付するので9月17日に理事長室に来いとのメールが、再び人事課長から送られてきた。当日の朝、正装して研究室で待機していた私は、その日の朝に人事課長から送られたメールを読んで再び仰天した。そこには「辞令公布の前に理事長から処分の告知がある」と書かれている。何のことやらさっぱりわからず、何はともあれ学則集をひっつかんで理事長室に向かった。

 まるでドラマのようだが、理事長室のドアの外に立った私の耳に、人事課長の声が聞こえてきた。「社会人としての常識に欠ける行為ですよね、休職期間に海外旅行だなんて」。彼女とは良い関係を築いてきたと思っていたのに。涙が出そうになるのをこらえてドアをノックした。理事長は、ご自身、前年に癌を経験されている。開口一番、「あなたとは同志になってしまいましたね」。リップサービスでも嬉しかった。

 さて、処分告知には真っ青な顔で完全に無表情の学長と、困惑しきった様子の理事2人が同席した。どちらの理事とも長いつきあいである。学長は私の直属の上司であるにもかかわらず、ただの一度も私と目をあわせなかった。私は理事長から、学則違反行為によって「記録に残す厳重注意処分」を申し渡されたが、私の「罪状」は「海外渡航に際して学校への届け出を怠った」である。

 勤務員が公用私用を問わず海外に渡航する場合は、上長に連絡先を知らせるための書類を書くという規則は確かにあった。私が常勤職について以来、休職に入るまで、その規則はメールの普及により完全に形骸化して、実質機能していなかった。それが3・11の影響で復活したとのことである。私にはそれについて周知するメールも手紙もこなかった。事務長は私が海外にいることを知っていたのだから、届けを出せとなぜ言ってくれなかったのだろう。

 また、学長からの会議招集メールを無視したことも重大な問題であると咎められたが、きちんと理由を添えて、出席できない旨を当該メールを受け取った翌日には返信していることを伝えると、理事長は不思議そうな顔をして学長の顔を見ている。学長は私を見ずに、「そういうメールは私に直接送るべきです」などと言う。事務長から来たメールは事務長に返す、そうしないと連絡系統が混乱して仕事の効率が落ちるのは職場の常識である。しかし、水掛け論が面倒臭かったので、私は大変申し訳ありませんでしたと謝った。

 理事長はさらに、「学長の話によると、海外旅行ができるほど健康が回復しているのに復職しなかったそうだが、それは職務怠慢ではないか」と言う。そんなばかな、と頭がくらくらした。前期末日までと日程を明記した休職願いに辞令で答えたのは、理事長本人ではないか。しかも、毎月きちんと一度の漏れもなく人事部に提出してきた診断書をよく読めば、主治医が私の復職を9月としているのを見落とすはずがない。私の家族がカナダにいることさえ理事長は知らなかった。

復職後、研究室にて

 しかし、私はその場での抗弁をあえてしなかった。ここに来たのは復職の辞令をもらうためだ。いつもの私らしく、「復職したからには、城を枕に討ち死にする覚悟で奮励努力します」と軽口をかまし、理事長と理事2人を笑わせた。学長は苦虫を噛み潰したような恐ろしい顔をしていた。ビジンがダイナシ・・・。

 帰宅した私は、身体が震えていることに気がついた。情けなさと怒りで身体が小刻みに震えるのである。こんな怒りを感じたのは初めてのことだ。学長が理事長に促されて下した訓戒の中で用いた「職務怠慢」「不誠実」という言葉が、胃の中をのたくりまわっている。私が職務怠慢、私が不誠実。率先して仕事を引き受けてきた私が。自分の時間を削って学生指導に取り組んできた私が。

 しかし、自己評価が他者からの評価とずれるのは世の常だ。事実に反する部分のみ冷静に訂正しようと、私は理事長あてに抗議書面をしたためた。「学長からの招集を無視した事実はない、メールの確認により容易に証明可能である」「診断書には、猛暑を避けて家族とともにカナダで夏を過ごすようにと主治医が書いている」「復職にあたっての手続きについて事務長に問い合わせのメールを出したが、返答がなかった」「粉骨砕身働いて来た自負のある私にとって、今回の処分は学院への帰属意識や忠誠心を著しく減じるものである」「従業員を処分する際には、前もって労使間での話し合いが必要であると、労基法に定めがある」「海外渡航に関する提出書類を出さなかったことが、厳重注意処分に相当するのか」。そして、知り合いの弁護士に相談して得た回答、「恣意的な処分行為は名誉毀損にあたる」も書き添えた。

 当時、私の職場は、学長の強引な削減人事方針により一方的に首切りを通告した若手教員に裁判をおこされ、形勢不利にて上を下への大騒ぎだったが、今回の私への処分についても顧問弁護士に相談したのだろうか。だとしたら、彼は労働法に疎いと思わざるを得ない。

 理事長からは返事のかわりに電話がかかってきた。すぐに理事長室に来てください、と言う。「どうしてもあなたを処分してくれと学長が言うので、私は困ったんですよ、あなたが不誠実なことをするはずがないと思っていましたから。組織論上、所属長の言い分を尊重するほかなかったのだが、まことに申し訳なかった。あなたの言う通り、前もって調査をすべきだった」と、徹底して低姿勢なのである。私は処分取り消しを求めなかった。おじいちゃん理事長が気の毒になったし、何よりこれ以上学長と揉めたくなかったのである。病気が悪くなる。なんだか悪い気が学内に漂い始めているのを背筋が感じていた。

豆知識:ストレス処理と気晴らし

地域猫のもんちゃん

 癌の発症にストレスが深くかかわっていることは医学界の認めるところですが、目に見えないストレスをどう処理するかについて、医者の助けはあまり借りられません。前回お話した転地療養など、患者自身が自分に最適と思われる方法を選ぶほかないのです。

 私は復職したあと、学長の側近である同僚に、「休職期間中に旅行をするなとは言わないわよ。熱海ぐらいならね。カナダなんかとんでもない」と言われました。一方、主治医の1人には、「癌患者には自分の療養に責任をもって欲しい。治療の選択肢は患者自身が選ぶべきだ。熱海が良くて、カナダが悪い理由はどこにあるのか」と言われました。ストレスを減らし、涼しく空気の良いところで家族とゆっくりと時間を過ごそうとしたカナダ滞在が、結果として最悪のストレスを招くことになった皮肉には苦笑する他ありませんが、まったくもってストレスの種はどこに転がっているかわかりません。

 気晴らし、という言葉から連想するのは、散歩や運動、映画やショッピングでしょうか。私はカナダで、言葉本来の意味における気晴らしを体験しました。原住民に古くから伝わる「スマッジングsmudging」という一種のおまじないです。

 これは、北米のネイティブアメリカンに広く伝わる、魂を浄化するための儀式で、主に女性がつとめるヒーラーが香草や木の葉をいぶして、その煙を浴びせながらおまじないの言葉を唱えるのです。神聖な儀式ですので、誰でも受けられるわけではありません。私の夫が1年間 visiting scholar として在籍したブリティッシュコロンビア大学に、ネイティブアメリカンの宗教文化を研究している心理学者がいました。彼の紹介で、私はバンクーバー島の北部に住むband(部族より小さい単位の民族グループ)と親しく交わることになり、私の癌を知った彼らに招かれて、スマッジングを授けてもらったのです。

 60代の女性ヒーラーは、横たわった私に目をつぶるように言いました。スギやおそらくレモングラス系のハーブを素焼きの皿で焚き、鷲の羽でその煙を私の身体の周囲にあおりかけながら、彼女は私の耳のすぐそばで息を吐きます。ハーーーーッ、ハッハッハッ、、、、不思議な音です。遥か彼方の雪をいただく山々から吹き下ろす風のような、自分が小さく感じられる音。かすかな香り、風の音、私にはわからない言葉で唱えられるチャント。儀式に入る前に彼女は夫と心理学者を部屋から出して、私に言いました。「胸にやってくる思いを受け止めなさい。涙が出て来たら、止めようとしなくて良い」。

 遠くの山から風が吹きおろす中、私は曾祖母と祖母と母親と一緒に田んぼの中に立っていました。不思議なことに、この世で会ったことのないそれ以前の女の先祖の顔が次々と現れてきます。親しげな表情で彼女たちが私のまわりをぐるぐるまわる映像がくっきりと浮かび、涙をとめどなく流しながら、私は静かに横たわったまま風の音を聞いていました。本当に何ともいえない不思議な体験でした。北米のネイティブアメリカンの宗教文化は、私たちのそれに似ていることが指摘されていますが、自然崇拝の歴史が形作った精神性を、私自身も彼らと共有していることをはっきりと知りました。邪念をいぶし出したように私はとても謙虚な気持ちになり、私をこの世に生み出した両親とそれに連なる命の連鎖に頭を垂れたい思いにかられたのでした。

 連載「フェミニストの明るい闘病記」は、毎月10日に掲載の予定です。以前の記事は、以下でお読みになれます。

http://wan.or.jp/reading/?cat=46

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カテゴリー:フェミニストの明るい闘病記

タグ:身体・健康 / 海老原暁子 / 闘病記 /

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