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「好奇心の強い女」そして「都合の悪い女」へ―新島八重の生き方に、どんな視線が注がれる?(1)荒木菜穂
2012.11.02 Fri
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.前回の松葉さんが平清盛を話題にされていたとことから、次に何を書こうか、てことで、そういえば清盛は今年の大河ドラマだったけど次の大河は「八重の桜」。そんなこと考えながら歩いていると、京都駅コンコースには、新島八重さんの写真が大きく載った同志社女子大学の広告。
新島八重といえば同志社の創始者新島襄の妻だそうだけど、そういえば私、いちおう、学びの場として「同志社」を経てきたような気がするのに、この人について全く知らないなあ、とふと思う。実際、同志社内でも「評価されていない面があります」(早川・本井 2011[2012])とのことですけど、まあ、知らないなら知らないなりに、ゼロからちょっと調べてみることにしました。
とはいえ、(言い訳がましいけど)、誰がいつどこで何をしたか、この人は何代目か、家系を追っていくとどうつながってるか、とかそういった歴史の図式を系統だって把握するのがあまり(というか全く)得意ではないです。いわゆる「歴女」と呼ばれる方とはおそらく正反対のメンタリティ(?)。なので、じっくり丁寧に歴史的に追っていくということはできないので薄っぺらだと思うし、読んだ本が偏ってるかもしれないし、もし、お詳しい方がいらっしゃって、この理解はおかしい、とかあったら、また会ったときにでもご教示ください。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.今回、歴史的な流れを追うこと、八重さん個人を賛美とか批判とかすること、にはあまり重点をおかないつもり。どういう人だったかざっくりとした情報から、大河ドラマともなった彼女の生き方のどの部分が、この2012~2013年の日本に、好意的に受け入れられるのかという想像、こういう部分が評価されたら(私の思うかぎりでの)「フェミ的」には素敵なのになぁ、という希望的観測、みたいなのだけ。
さて、新島八重という女性は、だいたいこんな人だったそうです。
・1845年生。会津藩の砲術の師範役の家の出なので、砲術に長けていた。会津藩と政府との戦いでは、スペンサー銃を手にして戦ったり、砲術の指南をしたり、大砲隊を指揮したりした。
・戦争時は、「鳥羽伏見の戦いで弟の三郎が討死したおりの形見」の着物や袴(笠井 2012[2011] 86)を身に着け男装していた。そのためか、「城内では、三郎さんと呼ばれていた」(安藤 2012 16)という。
・会津藩の武士の娘、というアイデンティティが強く、主君に使えることを第一と考えていた。身分制は絶対的なものとして肯定。
・山本覚馬の妹。
・京都で新島襄と結婚する。襄は「夫に従順で自己主張もしないのが女性の美徳」(安藤 2012 143)な日本の女性に違和感を示し、「かしずかれるよりは、個性的な女性に心惹かれていた」(笠井 2012[2011] 25)。
・襄とともに、八重も、西洋の文化に強い関心を示していた。キリスト教に入信したのも「その背後にある西洋文明・社会への関心の高さが八重をして入信に踏み切らせた大きな要因だったのだろう」(安藤 2012 159)とも指摘される。
・それゆえ、「妻は家庭を守るべきという昔からの慣習に従い、女性は結婚すると外には出なくなる。何も主張しなくなる」(安藤 2012 153)という日本の女性のあり方には疑問を抱いていた。
・八重は、西洋風の装いで、積極的に外出し、また、「人前で夫の名前を『ジョー』と呼び捨て」にし、周囲からは「悪妻と罵られる結果となる」(安藤 2012 152‐153)。
・しかし、日本の慣習を変えたいという二人の意図があり、そういった夫婦関係は確信犯的なものだった(安藤 2012 153)。
・帝国議会開院の年、当初禁止されていた女性の議会傍聴が認められるとすぐに参加(安藤 2012 154)。女性が政治・社会に関心を持つようになることを望んでいた。
・襄の死後は、日本赤十字社に入社。日清・日露戦争での従軍看護婦となる。
・従軍看護婦となった動機の一つは、看護における女性の地位向上もあったが、会津戦争とは異なり「自ら銃をとり、あるいは砲撃の指揮をとることはもはやできない」戦争(安藤 2012 188)に、何らかの形で参加したいという思いもあったのではないかと言われている。
・1932年、京都で最期をむかえる。86歳。結構長生き。
とのことです。
いろいろ波乱に満ちた個性的な人生をおくられたようで、(私の思うかぎりでの)「フェミ的」にOKなこと、NGなこと、解釈でいろいろ評価できること、あると思いました。(2)では、そんな感じで、八重さんの人生、どの部分を世間は面白がるのかなあ、それは「フェミ的」(私の思ry)にはどうなのかなあというようなことを好き勝手に書きたいと思います。(第4週目・第20回)
(参考)
笠井尚,2012[2011],「会津烈婦八重略伝」早川廣中 本井康博 共著『増補改訂 新島八重と夫、襄―会津・京都・同志社―』思文閣出版.
早川廣中 本井康博,2012[2011],「対談 山本八重子から新島八重へ」『増補改訂 新島八重と夫、襄―会津・京都・同志社―』思文閣出版.
安藤優一郎,2012,『新島八重の維新』青春出版社
【次回予告】「好奇心の強い女」そして「都合の悪い女」へ-新島八重の生き方に、どんな視線が注がれる?(2)は11月16日から掲載予定です。お楽しみに!
次回「「好奇心の強い女」そして「都合の悪い女」へ―新島八重の生き方に、どんな視線が注がれる?(2)」へ・・・・つぎの記事はこちらから
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