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私たちが光と想うすべて

監督・脚本:パヤル・カーパリヤー
出演:カニ・クスルティ、ディヴィヤ・プラバ、チャヤ・カタム他
2024年
配給:セテラ・インターナショナル
第77回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品





インド第2の都市、ムンバイ。そこは夜も光に満ちている。出身地、母語、職業、カースト、宗教の異なるさまざまな人々が引き寄せられ、なんとか日々の暮らしを紡ぐ場所。
前作はドキュメンタリー映画だったという監督が集めた生身の「声」の中に、こんなものがあった。
「どん底の暮らしをしていても、心に怒りを抱かないこと。それがムンバイの<気概>だ」
気概?それは、困難な日常に折れそうになる心を支える誇りだろうか。それとも、故郷の暮らしよりはずっとマシなのだからと自分に言い聞かせる呪文だろうか。

ここに暮らす3人の女性を中心に物語は展開する。
プラバとアヌは、男女の教育格差が低く、女性も識字率が高いことで知られるケーララ州出身の看護師で、ルームシェアをしている。親の決めた相手と見合い結婚をしたプラバは、その後まもなくドイツに出稼ぎに行った夫と連絡がとれなくなった。同郷の男性医師からそれとなく想いを告げられるが、社会的にも波紋を呼びそうな関係に飛び込む勇気はない。故郷の親から結婚をせっつかれているアヌは、宗教が違うために親が認めるはずのない恋愛に密かにのめり込んでいる。
もう一人のパルヴァティは、2人が勤める病院の厨房担当者で、紡績工場への出稼ぎ者が多いラトナギリの海辺の村からきた。だがムンバイの紡績工場は閉鎖され、そこで働いていた夫とは死に別れ、今は再開発が進む地区で、長年暮らしたアパートから立ち退きを迫られている。
年齢も境遇も考え方も違うこの3人。違いを超えたシスターフッドに結ばれているというより、違いを意識しつつ、互いの生き方を認め合う方向に歩み寄っていく関係に見える。この3人が、ガラスのボトルに入った酒を回し飲みするシーンが好き。

全編を通じて印象的なのはプラバの凜とした、たたずまいだ。無責任な噂に加担することなく、でも同僚が厄介ごとに巻き込まれないように、時にはお節介もやく。心に怒りを抱かざるを得なかったパルヴァティにつきあって、スマートな都市開発を喧伝する看板に石を投げつけたりもする。だが最大の強みは、自分の足で立てていることだろう。連絡の途絶えた夫を気にかけながらも、看護師としての専門知と技能と経験に支えられ、ムンバイに居場所を確保している。

そして後半の舞台となる、パルヴァティの故郷。ムンバイに比べれば何もない…のかもしれない。プラバとともにパルヴァティの帰村につきそったアヌは、自分だったら村には戻れないと言い放つ。だが大胆で意志が強く見えるアヌも、ムンバイで本当の自由を手にしているわけではない。見合い相手を次々に紹介してくる親の意向をはぐらかしはしても、はねつけることはできないのだ。
海辺のせいか、満ち溢れる緑のせいか、私にはパルヴァティの故郷がムンバイよりずっと開放感にあふれた場所に思えたが、それはここを出て都市に向かわざるを得ない貧困や女性をしばる因習には触れられていないゆえの印象だろう。
ただ海辺の村にも光はある。若い店主がイヤホンで音楽を聴きながら踊りまくっているビーチサイドのカフェ。その控えめな電飾が3人の女性をほんわりと照らすエンディングは、どんな未来を示唆しているのだろう。

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*素敵な封筒に入ったパンフレットのデザインが秀逸です!上野千鶴子さん(WAN理事長)の解説入り。