阿木津 英の第七歌集『草一葉』が砂子屋書房から2025年7月に刊行された。
 伝統的短歌の三十一文字の規範の中で阿木津氏は、70年代後半に

「産むならば世界を産めよものの芽の湧き立つ森のさみどりのなか」

 と女の主体の覚醒を強く歌い、シンポジウムなどでも歌壇にジェンダー平等を訴えた。
 戦後は斎藤茂吉ら多くの著名歌人が戦争協力的な歌を書いた反省から「七五の魔」、短歌的抒情の「奴隷の韻律」(小野十三郎)などと批判され、また1980年代には俵万智のような軽み短歌が全盛となったが、阿木津 英は、あとがきにも書かれているように「私の念念に願っていることは、女なる経験を否定もし肯定もしてきた一存在が、どうにかして人類の豊かな世界を実現したい、そんな歌を作りたいということだ」と日本文化の中で連綿と歌の命をつなげてきた女の、母の言語である歌を詠み続けてきた。
 その強さと、しなやかさが、阿木津 英歌集を通して伝わってくる。
「産むならば~」から半世紀、阿木津 英の第七歌集『草一葉』は、メキシコのシュールレアリズム女性画家(1908年-1963年)レメディオス・バロの寓話的絵画に共振し、

   星粥――レメディオス・バロ
「夜の宙(そら)の塔にこもりて星屑を挽きくだきゆくほそき左手」(p11)

 とも歌い、また

「疑ふといふことなくてわが腕に猫はを顎(あぎと)あづけてぞ載す」(P86)

「蝉の穴ある地おもてに蜘蛛の糸張りわたす見ゆ朝の日ざしに」(P153)

「葉の一枚噛みてたしかむクレソンの水浸きたる葉の舌刺す辛さ」(p154)

 と小さな生き物、植物にも思いを寄せ、同時に遠い地の出来事に心を痛める。

「ちゆにじあの、えじぷとの、りびあさへ――りびあ苦しも砂荒るる国」(p231)

 ガザ2008.12.27~2009.1では

「額より唇までを粘る血の顔をさし向く少女うつろに」(p165)

 と世界の苦しみをともに苦しむ。
 アンナ・ポリトコフスカヤとは、あたかも運命を共にしているようだ。

   『ロシアン・ダイアリー』カバー写真
「絶望を拒みてまなこを瞠(みひら)けり あんな ぽりとこふすかや こふ すかや」(p126)

   二〇〇七年夏、日本のとある所で、わたしは猫と朝焼けを見ていた。邦訳されたばかりのアンナ・ポリトコフスカヤ著『ロシアン・ダイヤリー』を読んだ。 ロシアでは一年前の今頃、アンナは生きてロシア的新自由主義――人々の貧困化・終わりなき戦争・暗殺・収監――と孤独な闘いをしていた。その十月七日、モスクフ市内自宅アパートメントのエレベーター内で射殺体で発見さる。
 二〇〇七年夏、チェチェンでは、プーチン支持のもと、カディロフが大統領である。

「人間の暗たる愚たる蒙たるを知れとてかこの世界は罰と」(p128)

 また歌の言葉が、生きる身と共にあって同胞も生家もすべて言霊とともに、再生している。
 阿木津氏も生家に帰ってその地と命を共にし自然とともにあることが感じ取れる。あの激しい歌を投げかけた阿木津氏は、いま天地万物と共振しつつ自身の生いたった地に立って詠むことは、この地に息をつないできた歌の魂、言の葉こそ人とともに生き死にしてきた声の源であろう。

   檜の木の小道
「生い立ちし家を臓(をさ)めて青檜連なる小道ここにありにき」(p67) 

「ちちははの言(げん)を弾きてわが拒(こば)みきびしくぞあるおろかなるまで」(p73)

   妹、癌終末期
「生拒む力なりけり歯をかみて薬を口に入れしめざりき」(p77)

「雪冷えの風の底ひを歩むべく扉(と)を排(お)して出づ元旦の午後」(P80)

 かつて明恵(みょうえ)上人(1173-1232)が、自然との一体化に言葉を失った歌「あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月」が思い起こされるが、阿木津氏はそこに近代女性の主体の覚醒の言葉を加えた。

 そして

「最上階窓べに一むらさみどりは笹竹ならむ繊くかがよふ」

   ―――されど
「草一葉いのちみなぎらふ力ありそれぞれの影ほそく群れ立つ」(p234)

 と「今ここ」に三十一文字で立ち止まる。かつての「さみどり」を身の奥に抱えて、半世紀後の阿木津英の歌の変遷、深まりを感じることができる歌集である。

 歌集には、四十六章が収められている。

【著者紹介】
阿木津 英:1950年福岡県生まれ。主な歌集として、1980年『紫木蓮まで・風舌』短歌研究社 現代歌人集会賞を受賞。1984年 第二歌集『天の鴉片』現代歌人協会賞および熊日文学賞を受賞。 2003年 短歌研究賞受賞。2007年『巌のちから』短歌研究社、2014年『黄鳥』砂子屋書房、2012年「八雁」を創刊、編集発行人。…他。
シンポジウムも多く開催している。1983年、河野裕子・道浦母都子らと「春のシンポジウム」など、多数のシンポジウムを企画。
評論では1992年 『イシュタルの林檎:歌から突き動かすフェミニズム』五柳書院。2001年『扉を開く女たち:ジェンダーからみた短歌史 1945~1953』(内野光子・小林とし子との共著)砂子屋書房。2001年『折口信夫の女歌論』五柳書院。2003年『短歌のジェンダー」本阿弥書店。2011年『二十世紀短歌と女の歌』學藝書林。2021年『アララギの釋迢空』 砂子屋書房 日本歌人クラブ評論賞受賞。2023年『女のかたち・歌のかたち』短歌研究社…他。


◆書誌データ
書名 :草一葉
著者 :阿木津英
頁数 :240頁
刊行日:2025/07/18
出版社:砂子屋書房
定価 :3300円(税込)

草一葉

著者:阿木津 英

砂子屋書房( 2025/07/18 )