
上野さんの呼びかけに応答する
6月吉日。三鷹駅で上野千鶴子さんと待ち合わせた。今春上梓された『アンチ・アンチエイジングの思想』の対談企画で地元の本屋に向かうためだ。そういえば『ケアの社会学』の時も書評と対談をさせていただいた。その時と同じくらいドキドキしていた。
私の父は「どうせ嫁にやってしまう娘に学歴は要らない」と言う人であり、また24歳で結婚した夫も「家事を疎かにしないなら働いてもいい(自分は一切家のことは手伝わないけど)」という人だった。そんな男達に養われ暮らしてきたが、ロンドンで専業主婦をしていたところ実家の母がALSを発症した。私は33歳だった。夫を残して母を介護するために帰国し、子育てと介護のワンオペ+ダブルケアで発狂しそうになっていたところで障害者運動に出会ったのである。そして当時は誰も着手できなかったグレーゾーン(吸引や経管栄養等の医療的ケア)の介護派遣事業に着手した。会社を興し経済的にも自立したので京都の大学院の博士課程に進み、そこで上野千鶴子さんと出会ったのである。
私は近代家父長制と家族規範と男女共同参画社会の被害者ではあったのだが、障害者運動によって救われたのである。以来、重度障害者の療養支援を生業にしてきたが、フェミニズムは学んだことはなかったので、上野さんに呼び出されると緊張するのである。
対談の準備でボーヴォワールの著作をいくつか取り寄せた。恥ずかしながらこれまでボーヴォワールの思想に触れたことがなかったのだ。ボーヴォワールはサルトルを生涯のパートナーとしながらも互いに縛り合うことをよしとせず、サルトルには自分が選んだ若い女性をあてがっては、また自らも若い恋人と暮らしたりしていた。そんな関係が自由で心地よいとは到底思えないが文学的関心はそそられる。しかし上野さんがインスパイアされたのはそこではない。
ボーヴォワールは「老い」をありのまま記述した。老いを美化することも称揚することもなく、著名人の老いも辛辣に記述した。自立自尊を最高位に置く西洋社会において、弱者のありのままを描き肯定するその精神がフェミニズムなのであろう。それは上野さんが男性優位社会に挑んできたことでもある。(そうか、上野さんはボーヴォワールを道標にしていたのだな)。
そして自らの老いを意識した上野さんは満を持してボーヴォワールの名著『老い』を下敷きに現代日本の高齢者問題を問い直そうとし始めた。巷で流行のアンチエイジングに潜む差別には考えるべきものがある、女性が自ら卑下し差別してきたように、高齢者自身の内に自己差別が生じると言うのである。そのあたりの記述として長くなるが引用する。
「女性は感情的で嫉妬深く、甘えがあって、すぐ泣く」という否定的なイメージが流通していれば、女性はそのネガティブ・イメージを参照系として自己検閲を始める。「すぐ泣く:ステレオタイプなイメージを利用して涙を利用することもあるし、反対にそれを過剰に否定して歯を食いしばり冷静にふるまおうとすることもある。後者には「キミは別」「キミは例外」「キミは女じゃない」という揶揄と侮辱に満ちた「名誉男性」の称号が与えられる。どちらにしても性差別的なステレオタイプは、当事者の同意によってさらに強化され再生産されるし、黒人が「名誉白人」になっても決して白人そのものにはなれないのと同じように、女性が「名誉男性」になっても決して男性集団の一員とは認められない。高齢者も同じである。マジョリティの社会が高齢者に否定的なイメージをもっているからこそ、マイノリティとしての高齢者のセルフ・イメージはそれをとりこんだものになる。だが違いは、長い間「他者」として蔑視してきた当の高齢者に自分自身が変貌したことを、いつかは誰もが認めざるをえなくなるという点だ。自業自得というべきだろうか?そしてあらゆる差別のうちで、第三者による差別以上につらいのは、自己差別に違いない。なぜなら他の誰が自分を責めるより以前に、自分が自分を受け容れることができない、つまり自己否定感から逃げられないからである」
ボーヴォワールは高齢者の衰え弱る有り様をこれでもかと記述しているので、そこだけを見れば彼女は安楽死を肯定するに違いないと思われるのだが、上野さんはサルトルもボーヴォワールも安楽死には反対だったに違いないと言う。
「どんな状況であれ、彼らは生きることを愛していたからだ」
かくいう上野さんも尊厳死安楽死には反対だ。そしてボーヴォワールも「おひとりさまの老後」を提唱した上野さんも、高齢者のQOLを高める理想的な住まい方として「あらゆる年齢の者が住む集合住宅の中に、独立してはいるがいくつかの他の年齢の者と共通の施設(食堂、その他)を含む老人住宅=ホームをつくること」に到達する。年代を問わず誰もが入居できるユニバーサルデザインの住宅だ。確かにそれは理想的だと私も思う。
ところが目下、日本の現役世代に老人を気遣う余裕はなさそうだ。堂々と共助を否定し自助を促す政治家が出現し、次世代の自称有識者らは世代間扶養が悪だとさえいっている。社会の貧困を生産性のない病弱者のせいにし早期退場を促す声もSNSで拡散し高まっている。
次世代に向けて「社会を変えよう」と上野さんは幾度となく呼びかけてきたのだが、このような世論の動向では上野さんに老いる暇などなさそうだ。上野さんに期待したい気持ちは高まるばかりだが現実を見よとも言われている。いつまでも今のままの上野千鶴子がいると思うなよと。
アンチ・アンチエイジングの思想は高齢者に限らず支援を必要とする人には多く、あまり必要のない人には少なく税を再分配することも示す。誰もが遠慮なく生きられるために、あるがままの生の持続可能性のための政策立案にこそフェミニズム理論は必要なのだ。そのように本書を読んだ私も上野さんから「宿題」を受け取ったひとりなのである。
◆川口有美子(かわぐち・ゆみこ)
昭和37年東京都中野区生まれ。2004年立命館大学大学院先端総合学術研究科入学。立岩真也氏に師事し難病政策研究に着手。医事法改正を求めてALSの患者会を組織し全国各地で医療的ケア研修「進化する介護」を展開。2011年喀痰吸引等の医療的ケア研修のモデル事業を国から受託し制度化した(現在の第三号研修)。ALS患者家族の葛藤を描いた『逝かない身体』(医学書院)で2010年第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。(有)ケアサポートモモ代表取締役・NPO法人ALS・MNDサポートセンターさくら会副理事長。座右の銘「求めなさい。さすれば与えられます」マタイによる福音書7章7節
著書に
逝かない身体 2009年 医学書院
末期を超えて 2013年 青土社
◆書誌データ
書名 :アンチ・アンチエイジングの思想――ボーヴォワール『老い』を読む
著者 :上野千鶴子
頁数 :328頁
刊行日:2025/4/18
出版社:みすず書房
定価 :2970円(税込)
慰安婦
貧困・福祉
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