去る10月11日、ドーンセンター(大阪府立男女共同参画・青少年センター)にて、労働経済学者の竹中恵美子さんを偲ぶ会が開催されました。

会には、さまざまな形で竹中さんと関わりを持つ方々が80名以上集い、7月1日にご逝去された竹中さんを悼みました。また、当日参加できない方からも多くのメッセージやお花代のご寄付をいただきました。


植本眞砂子さん(高齢社会をよくする女性の会・大阪/フォーラム労働・社会政策・ジェンダー)による開会のご挨拶のあと、ドーン財団(一般財団法人大阪府男女共同参画推進財団)理事長の司会により進められた会では、黙とうに続き、「竹中恵美子さんの歩み」として一般財団法人大阪男女いきいき財団が作成した竹中恵美子さんのご幼少期から晩年にいたるまでのお写真のスライドショー、近年の映像が上映されました。

スライドショーでは参加者の皆さんもまた、それぞれの方がご自身が竹中さんとともに歩んでこられた活動や学びを思い出し、そのなかでの懐かしいお姿に思いをはせられたことと思います。大阪のみならずさまざまな場所でのご活躍、そのときどきに多くの仲間やお弟子さんに囲まれるご様子、また、女性たちとともにカラオケを楽しまれるお写真もあり、竹中さんが多くの人に慕われ、愛されていたことが偲ばれます。


また、「高齢社会をよくする女性の会・大阪」30周年記念総会にて竹中さんが93歳のときにお話された映像のなかでは、東京に居を移されてからの日常についてが語られました。学問や運動以外の生活の場においても、さりげなく存在するジェンダー問題を発見され、それらへの働きかけをなさるご様子は、竹中恵美子さんらしいエピソードであり、まさに個人的なことは政治的であるということをずっと続けれ来られたことを感じました。生涯にわたるご研究やご活動のなかに、怒りの瞬間が関係しており、それがどれだけ大切なものであるかもあらためて気づかせていただきました。


参加者の皆様の献花の時間に続き、竹中恵美子さんと深いつながりを持たれた8名の方々からの偲ぶ言葉、また、ご子息竹中均さんからのお言葉がありました。社会運動、研究、大阪における女たちのつながりといったさまざまな立場の方々、そしてご遺族からのお言葉は、学びとともに、社会にたいしての働きかけ、面白く皆を楽しませるお人柄であり時には厳しくあられた在りし日の故人のご様子がそれぞれにしみじみと示されておりました。

本当に、多くの方々にとって、そこに、常に「おられた」存在であり、支えとなった方であったと感じます。


今回、この偲ぶ会が竹中恵美子さんとご縁のあった大阪にて、またドーンセンター(大阪府立男女共同参画・青少年センター)にて開催されたことにも意味があったのではと思えます。竹中さんは大阪の女性の社会運動とともに歩まれてきたと同時に、2001年から2007年までドーンセンターの館長を務められ、その後、センターの売却方針が示された際には大阪の活動する女性たちとともに怒りの声を上げられ、パレードにも参加されました。

【関連サイト】
■竹中恵美子さんを偲んで(ドーン財団) https://www.dawn-ogef.jp/archives/4934

■竹中恵美子さん(大阪公立大学名誉教授/元大阪市女性協会副理事長)追悼のことば(大阪男女いきいき財団)
https://danjo.osaka.jp/odiz/info/news/20250709.html


この偲ぶ会に集われた皆さまも、竹中恵美子さんとの接点を持ちつつ、それぞれが学問の場で、運動の場で、それぞれどこかでつながりを持たれる方々であり、懐かしい再会とともに悼みの気持ちを持たれる方も多かったのではと思います。伍賀偕子さん(フォーラム労働・社会政策・ジェンダー運営委員/元大阪総評オルグ)による閉会の挨拶でも触れられましたが、竹中恵美子さんは常に、人々に「ありがとう」というお言葉を絶やされなかったそうです。本日の参加者の皆さんからも、多くの「ありがとう」のお言葉があり、それぞれが呼応しつつこれからもさまざまな運動や学びのなかに竹中恵美子さんの存在は生き続けることと感じました。(N.A)