記念切手になったエレーナ。2024年のもの

 陽の当たらなかった女性作曲家たち、シリーズV第3回はソビエト連邦出身のエレーナ・グネーシナ(Elena Gnesina)をお送りします。1874年、ロストフ・ナ・ドヌに生まれ、1967年にモスクワで亡くなりました。昨年2024年は、生誕150年を迎えました。

 拙エッセイには、過去にソビエト連邦時代のタチアナ・ニコラーエワを書きましたが、エレーナはニコラーエワより50年前の生まれです。また、彼女の苗字を冠した「グネーシン音楽院」の創立者兼指導者として活躍しました。この音楽院は現存しており、日本人留学生も勉強しています。

 父親はラビ(ユダヤ教の指導者)、母親は専門的にピアノと声楽を学びました。12人の子どもを生んだため、音楽家としてのキャリアは絶たれましたが、子どもたちには文化的な環境と音楽教育を与え、そのうち7人を音楽家に育てました。

 その中でもエレーナはまず地元でピアノを勉強し、その後は国内最高峰のモスクワ音楽院でサフォーノに師事します。この時代は、ユダヤ人生徒は入学がむつかしい歴史的背景がありましたが、長女のエレーナと次女エフゲニア姉妹は何の問題もなく入学がかないました。エレーナは作曲家として高名なA.アレンスキーにも師事し、イタリアの作曲家ブゾーニのレッスンも受けました。ブゾーニはピアニスト兼作曲家であり、J.Sバッハやリスト作品の編曲者としても有名です。とりわけ優秀な生徒だったエレーナは、ブゾーニから共に海外ツアーをしないかと誘いも受けましたが、若すぎるという理由で固辞しました。

 引き続き、ふたりの下の姉妹たち、マリア、オルガ、エリザベータもモスクワ音楽院に入学しました。姉妹たちの同窓には、後年世界的な作曲家となったスクリャービン(1872-1915)、ラフマニノフ(1873-1943)がおり、近所にはチャイコフスキーも住んでいて、モスクワ音楽界の華やかで刺激的な時代を過ごし、それぞれの姉妹に大きな影響を与えました。

 しかしながら、そんな充実した環境が一変する出来事が起こりました。父親が急死したのです。悲しみにくれる姉妹でしたが、現実問題として今まで金銭的な支えとなってくれていた父親の不在により、学費の支払いも何もかも、急激な不安が襲いました。

 一計を案じたのは長女のエレーナでした。今まで受けてきた教育をもとに、さっそく生徒のレッスンを始めます、そして、果てはプライベートな音楽学校の設立を思いつきました。妹のエフゲニアとともに、1915年に正式に開学し、『グネーシン音楽院』と命名されました。当初は家族経営の小規模な体制でスタートさせましたが、エレーナは校長と芸術監督を兼任し、ピアノ教育では独自のメソッドの編さんや、教育的見地に立ったオリジナル作品の作品集、また楽譜編集も手掛けるなど、その後72年にわたり経営や音楽教育幅に幅広く活躍したのです。

 加えて外部の先生たちも募り、音楽理論、合唱や室内楽のクラスも始めました。このような幅広いカリキュラムは、当時モスクワで初の試みであり、とりわけ、こどもの合唱クラスは他の教育機関には存在しなかったため、大きな差違となりました。その後、音楽院には下の2人の妹も参画し、計5人の姉妹で音楽院を盛り立て、1923年には弟で、作曲家でありピアニストのミハイルも講師として加わりました。メソッドに基づき、しかしながら、姉妹それぞれの個性を生かした指導を尊重し、瞬く間に評判を呼び、生徒は年々増え続けました。グネーシン音楽院の卒業生の中には、引き続きモスクワ音楽院、レニングラード音楽院(現在のサンクトペテルブルグ音楽院)、果てはドイツのライプツィッヒ音楽院へ進学する生徒もいました。

       ピアノの前で

 学院が繁栄すればするほど、つねづね大学レベルの教育機関の必要性を感じていたグネーシン姉妹は、1919年に政府公認の音楽院となったこともあり、子供のための既存のコースの上に、更に大学レベルのコースを創設しました。その後、現在に至るまで優秀な卒業生を輩出しており、ピアニストのエフゲニー・キーシンもその1人です。加えて、近年は海外留学生にも門戸が広く開かれています。

 エレーナは、1935年に人民芸術家賞、2回のレーニン賞の受賞を残しています。実に72年間、精力的に学院のために捧げた人生でした。1967年に亡くなり、モスクワ近郊の墓地に眠っています。

       エレーナの墓


 エレーナの家は、1970年以降は博物館として一般公開されています。音楽院内に住居があり、2台のグランドピアノの内の1台は作曲家のラフマニノフと一緒に選んだものです。壁にはモスクワ音楽院時代からの華麗な人脈の写真が飾られており、膨大なアーカイブ(手紙、コンサートのプログラム、楽譜や資料)も展示されています。(ただし、この博物館のサイトは現在まだ作業中のようです。)

 2023年にプーチン大統領はエレーナの生誕150周年に当たり、国内の芸術専攻の学生11名に彼女の名を冠した奨学金を月15000ルーブル支給する案を支持しました(日本円換算で約3万円)。エレーナのロシア音楽教育への貢献度が大いにうかがえます。また学校サイトの冒頭に、学内アンサンブルがボリショイ劇場でプーチン大統領とカザフスタンの代表の前でカザフの音楽を披露するコンサートを行ったとあります。

 作品は、主に子どもの教育を念頭に書いており、こどもの為のアルバム、ミニチュア集、ピアノのABC等が、IMSLP楽譜サイトでご覧いただけます。

 本日の音源は、1926年作曲の「ミニチュア集」からの抜粋です。こどもたちが風刺やユーモアの表現を学ぶ教材に書いたのだろうと感じます。11番「Etude」は、ハンガリーのバルトークが1908年-1909年に書いた不朽の名作「こどものために」に入っている曲と似ていますし、私の生徒はショパンの英雄ポロネーズの中間部分に似ていると言っています。

出典)
エレーナ・グネーシナ ロシア語wiki Гнесина Елена абиановна — Википедия
エレナの楽譜IMSLP サイト、エレーナ・グネーシナ - IMSLP/ペトルッチ楽譜ライブラリー: パブリックドメインの無料楽譜
グネーシン音楽院 学校案内(英語)Gnesin Russian Academy of Music
エレーナ・グネシーナ記念博物館
Elena Gnesina's Memorial Museum
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