
日本の敗戦直後に満蒙開拓団で起こった性暴力の事実を描いたドキュメンタリー映画「黒川の女たち」(松原久枝監督)を見ました。満蒙開拓団として「満洲」に渡り、敗戦直後にソ連兵の壮絶な性暴力の犠牲になった女性たちが、帰国後も長年差別や中傷で苦しみます。戦後70年近く経ってやっとそのお一人の佐藤ハルエさんが事実を公表し、家族や周囲の人々の理解も支援も得られるようになり、穏やかに最期を迎えるというドキュメントでした。
満蒙開拓団というのは、1932~1945年にかけて、国策によって、傀儡国家である「満洲」の「開拓」のために送り出された人々の集団です。「開拓」と言っても、実際に未耕作地を開拓した人はわずかで、多くはすでに中国の農民たちが切り開いて農地になっている土地を奪い取ったり、安く買い上げたりした土地で農作業に従事したのが実情でした。国の政策では100万人を送り出す計画でしたが、多い時で32万人、敗戦の時は27万人が「満洲」にいました。こうした満蒙開拓団のひとつ岐阜県から「満洲」に渡った松川開拓団で起こった実話です。
1945年8月、「満洲」で同胞を守るはずの関東軍は先に逃げてしまい、国境を破って攻め込んできたソ連軍の前に、高齢者と女性と子どもだけが残された開拓団は途方にくれます。集団自決をした団もあり、土地を奪われた現地の人々の襲撃の中を逃避行にさまよう団もある中で、松川開拓団は生きて帰るためにソ連軍に助けを求めます。ソ連軍はその見返りに若い女性を要求します。数え年で18歳から22歳までの未婚の女性15人がいけにえとして差し出されます。この中の4人は暴行や性病などで現地でなくなりました。
映画は、この15人と、その周辺にいて、性暴力を受けた女性たちのための風呂をわかし、消毒や洗浄行為を手伝った当時小学生だった女性たちの、凄惨で残虐、絶望的な経験を語っていきます。
最初女性たちは、団長から「団のみんなを守るために接待に行ってくれ」と頼まれます。「接待の意味もわからずに行かされた」と後で一人の女性は語ります。「接待」のことばから、わたしは中学か高校の時、運動会で役を決めた時のことを思い出します。「進行係」「放送係」「衛生係」などを決めた中に「接待係」の役もありました。訪れた来賓にお茶とお菓子を出す役でした。「接待」ということばからは、こうしたお茶出しや「接待マージャン」などのサービスを想像するのが一般的でしょう。
ですが、娘たちに要求する行為が、あまりにも残酷悲惨で、それを表すことばを口に出せなくて、団長は「接待」に行ってくれと頼みました。「接待」なら口に出せることばでした。そして、その「接待」の行われる場所は開拓団の団員約400人が雨露をしのいで暮らす建物のすぐ近くにあって、ベニヤ板で囲っただけの所だったそうです。ですから「ご接待」にきょうは誰が行かされたか、団の人たちには皆わかっていたそうです。
「接待」はきわめて便利なことばでした。とても口には出せない行為をこの言葉なら口に出せます。その口に出せることばを使うことによって、罪の意識も薄められます。次第に行為そのものが軽く受けとめられるようになっていきます。
「慰安婦」も同じです。「慰安」するのは、人を慰めたり労わったりすることだから、とてもいいことです、どこもわるくないでしょ?それをする女性はいいことをしているんでしょ?と実際の女性が置かれている状況から目を背けさせるようになっていきます。実際に行われていることを言わず、ぼかしことばで婉曲化していくことで、事実が隠されていきます。ことばの悪い使い方の例です。「敗戦」を「終戦」と言い、「占領」を「駐留」と言ったのと全く同じです。
映画を見ると、事実は「接待」なんかじゃないことが知らされます。
言いにくいことばを避けて、言いやすいことばを選びたいのも人として一面の真実です。でも、それはやはりいけないことだと、この映画は教えてくれます。辛いから言いにくいからと、楽なおだやかなことばに言い換えたら、事実は逃げて行ってしまうでしょう。
勇気のある佐藤ハルエさんが2013年に長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館で、68年前に自分の身に起こったことを公表したことによって、恥として隠し、沈黙を守っていた他の犠牲者も声を上げ始めます。屈辱と絶望にさいなまれた日のことを「今でも夢に見る!」「はっきり映画のように見える!」と叫ぶように言い切る女性もいます。孫から「おばあちゃんが生きて帰ってくれたこと、満州での体験を語ったこと、その勇気に感謝している」と書いた葉書をもらって安堵する女性もいます。
地元の町も学校も理解を示すようになり、映画は最後は明るく結ばれていました。それは確かに救いです。しかし、わたしにはそれでいいとは思われませんでした。国策として送り出した国が、ハルエさんたちに一言も謝ってはいない。国内の農村の疲弊の事実から目を外に向けるために、またソ連の侵攻を予測してその国境の防衛のために人々を「満洲」に駆り立てた国が、その開拓団の人々に戦後補償をしたでしょうか。
映画の中で犠牲者のひとり安江善子さんの長男の泉さんも、「開拓団は日本の縮図。反省しないまま終わっている。誰もあの戦争を総括していない」と語っています。「接待」というぼかしたことばで女性たちを差し出してきた開拓団の指導部の人たちは帰国後、女性たちの犠牲を恥として隠そうとし、また村人たちは汚れた女性たちとして差別してきました。本当に女性たちは二重三重に差別され苦しめられてきたのです。80年経って女性たちはやっと復権しました。「あったことをなかったことにはできんでしょう!」と大きな声で証言したハルエさんの声が耳に残っています。
勇気ある女性たちに心からの敬意を抱きながら、同時に「接待」ということばのまやかしに憤りを覚えた映画でした。










