京都新聞社が「京都戦時新聞」を新聞紙サイズの復刻版調で出版した。1941年12月の開戦から、45年9月の敗戦直後までを編集して再現したものだ。紙質も当時よりずっとよいし、フォントも旧字でなく新字だし、活字のサイズも大きいし、往事の新聞とはくらべものにならない読みやすさだが、大きな活字で踊る開戦日の「『撃滅せよ!!世界の敵米英』今こそ国難に殉死せよとの叫び」とか、厭戦気分の出てきた四年目の「防空壕生活は工夫で楽しく」などは当時のリアル感が伝わる。
 2025年は敗戦80周年。その1年前から20−40代の若手の記者12人で制作チームを構成し、準備したものという。戦争経験者はすでに90歳以上、生存者の証言を聞く機会も少ない、いわば孫世代の記者たちだ。敗戦特集はどのメディアでもやるが、自社の戦時下報道を振り返って「新聞社がおかした過ち」の記録を再現した例を他に知らない。翼賛報道をして戦意を煽った先輩たちの反省を反省とするには、自分たちが担っているメディアの戦前-戦中-戦後の連続性と、そのメディアへの帰属意識を持つ必要がある。戦争を全く知らない若い記者たちがこんな企画を立てて、それを組織として遂行した京都新聞の姿勢は尊敬に値いする。紙面には当時の記事の再録だけでなく、今日の眼からみた沖縄戦における日本兵による住民殺害や、女性蔑視のもとでの女性の戦争協力も記載されている。
 新聞はプロパガンダ、つまり洗脳装置である。「本紙は軍部による検閲や圧力の被害者だっただけではない。読者をあおり、戦争に駆り立てた加害者でもあった」とある。解説を書いた西山伸さんがおもしろい指摘をしている。「絶望的抗戦の時期になってから、メディアでは『鬼畜米英』などの敵方の残虐性を強調する記事が増える」と理解していた西山さんは、朝日新聞のなどの全国紙にくらべて京都新聞には「そういったファナティックに敵意をあおる記事はほとんど見られなかった」と言う。そういえば京都は空襲に遭わなかっただけでなく、「天皇」の名のもとに行われる戦争に冷淡だったかもしれない。1990年代の世論調査によると天皇に対する親しみがもっとも少ないのは、沖縄とならんで京都というデータを見たことがある。捨て石になった沖縄の気持ちはわかるが、京都はたびかさなる権力者の交代に耐えてきた土地柄だ。どんな権力にもなびかない、したたかさを感じる。とはいえ、戦時下も日常生活を維持してきた京都人は、敗戦の衝撃も薄く、戦後満洲から着の身着のまま引き揚げてきた人たちにすこぶる冷淡だったという証言もある。地方紙ごとの比較ができるとおもしろい。 
「戦時下の報道統制に協力し、戦局の実態や空襲被害を報じなかったという過去の過ちに、現代のメディアとして向き合う」という姿勢は、今日にも貫かれるだろうか?圧倒的安定多数を制した政権に対する忖度や自主規制はないだろうか?過去の振り返りは、現在の自己点検につながることを忘れないでもらいたい。

京都新聞2026年6月14日付けコラム「天眼」掲載(許可を得て転載)

【お知らせ】 『京都戦時新聞』出版記念シンポジウム「いま、京都で戦時新聞を読む」6月21日15時〜(配信あり)
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