たまたま知り合ったベトナムの女性ですが、その仕事に対する積極性と行動力とはなかなか日本人には真似られないものがあるようです。

 おひとりはチャンさん、40代の女性です。最初の来日は1998年で、ビジネス専門学校の日本語学科に入って、2年間主に日本語を勉強しました。2000年に宇都宮大学の工学部に入学し、電気工学を専攻しました。大学卒業後は東京工業大学(現在の東京科学大学)の大学院に進み、修士課程と博士課程を修了し、2010年には専攻の電気工学分野のアンテナに関する研究論文で博士号を取得。大学院在学中に結婚し、第一子を出産し、保育園に子供を預けて子育てをしながらの博士号取得でした。2010年に帰国し、ダナンの医療系大学に専任のポストを得ます。

 2010年当時、日本の国内では介護労働者の不足が差し迫っていて、外国人スタッフによって労働力不足を補わなければ介護の場が成り立たないことが明らかになってきていました。国としては経済連携協定で看護師・介護福祉士養成プロジェクトが発足していましたが、それでは絶対的に不足は補えないとわかっていて、民間の医療福祉機関の中には、「ベトナム人医療福祉人材育成プロジェクト」というのを立ち上げて動き出している団体がありました。ベトナムで、日本で従事するための看護や介護の初歩段階を教育し、日本の介護施設や医療機関で専門教育を施し、介護や看護の現場のスタッフを養成しようとするものです。チャンさんの勤める医療系大学もそのプロジェクトの一方側として、日本側との協力体制を立ち上げていました。

 当初チャンさんは介護医療は専門外の分野でしたが、日本にいるときの幼稚園保育園の経験から福祉事業には興味を持っていましたので、日本側の医療介護関係者とダナン側の看護専門家との間の通訳を積極的に引き受けました。慣れない分野でしたが、大車輪で看護介護の専門知識と専門用語を身につけ、両者の間を取り持ちました。そうするうち、チャンさん自身が日本とベトナムの介護について考え、以下のようなことを理解するようになってきました。

1.日本は介護・看護の分野の人材不足
2.ベトナムの高齢化に伴う老人のための介護人材育成
3.ベトナム国内の国際病院の看護人材のニーズ

 ベトナムでは介護ということばに相当する用語がありませんが、ベトナムも近い将来高齢化社会に突入するでしょう。日本で働く介護人材でだけでなく、ベトナムで必要とする人材も視野にいれなければならない、また、ベトナム国内の国際病院での看護師育成の必要性も見越しています。そのために、チャンさんは、ダナン市で日本語学校を立ち上げることを決意しました。介護スタッフ養成とは直接結びつかないようですが、チャンさんの構想には日本語教育全体の中での一つの部分として介護が繋がっています。その学校では、ベトナム人で日本語に興味を持っている高校生から、大学生、社会人も対象とした幅広い日本語教育を目指しています。

 この日本語学校DEKITAは2025年暮れに開校しました。今は仮住まいで学習者も20人ほどですが、6月には新しい5階建てのビルが完成してそこに移るそうです。ビルの建設費用は約2000万円、大部分は自費で賄うが、不足分はローンで補うとか。財政力もすごいし、目的推敲のための突破力も並大抵ではありません。

 日本に留学してから28年、日本語習得に苦労し、博士号を取るのに必死でがんばってきました。日本の国立大学の理系の大学院で博士号を取って、専任のポストを得られれば、普通はもう万々歳です。ところがチャンさんは違いました。日本語ができるところから得られた通訳・翻訳の仕事から、もっとやりたい仕事を見つけだしました。日本留学を夢見る若者や、日本で進んだ介護知識を習得し、いずれは帰国してベトナムの介護教育の先駆者になろうとする意欲的な人の最初の支援の場を、チャンさんは提供し始めました。チャンさんの挑戦に心から応援したいと思います。

 もうおひとりはイーさん、今年28歳です。以下は去年の6月、イーさんの帰国前にインタビューしたときの話をまとめてみたものです。

 カントーの看護専門学校を卒業して、2021年技能実習生として来日した。介護の仕事がやりたかった。介護の仕事は人との会話が多い職場だからやりがいがある。技能実習生の資格で来日したが、3年後に特定技能に切り替えた。

 最初の目標は介護福祉国家試験を受けることで、目標をはっきり持っていた。が、1年経って腰を痛めてしまった。体の大きい男性の介助をひとりでしていて、移乗の時ぎっくり腰になった。ものすごく痛くて1週間動けなかった。その後無理をしないように働いていたが、腰の病気は介護の仕事をしていては治らないと思って、帰国を決めた。一緒に日本語を習い、一緒に来た友だちも、腰を痛めて一緒に帰った。

 職場では、先輩も同僚も皆いい人ばかりで、いじめられたこともなく幸せだった。利用者さんも、私が腰を痛めたのを知って、シップをくれたりした。利用者さんと話すのは楽しい。暇なときはよく話を聞いた。若い時のことを話してくれた。ハワイに住んでダンスの先生をしていたとか、英語の先生だったという人は英語を教えてくれた。利用者さんも話したがっていた。こういう会話が出来ることが好きで介護の仕事を選んだ。ほかの仕事では、こういう話を聞くことはできない。

 せっかく介護の仕事が好きで、日本で働いてくれていたイーさんですが、腰痛には勝てなくて介護の仕事をあきらめて帰国しました。今日本の介護の場は人手が足りなくて困っています。それなのに、働きたい人が働き続けられないのは職場の環境に問題があるのでしょう。介護士が現場で働き続けられないほどの腰痛にかからせるのは、働かせ方の問題でしょう。イーさんだけでなく友だちも腰痛で帰国させたのは本当にもったいない話です。

 さて、帰国後は看護師の資格があるので、看護師として働きたい、ホーチミンに日本語の分かる人が日本人のために開いた病院があるのでできたらそういう所で働きたい、と言っていたイーさんですが、9月になって突然新しい仕事を始めたと言うメールが入りました。

 日本で高齢者の介護をしてきて、人の世話をする仕事を続けたいと思ったが、今ベトナムには介護の仕事みたいなものはないし、看護師の給料が低い、それで赤ちゃんの世話にチャレンジしたいと思ったのだそうです。

 つまり、生れたばかりの赤ちゃんとそのお母さんをケアをする仕事を始めたというのです。ベトナム社会も核家族化が進んでいて、出産した女性が家に帰って一人で赤ちゃんの面倒を見ることに戸惑いと不安を感じている人が多い、そういう家庭へ行って赤ちゃんの沐浴やミルク飲みなどの手伝いをして、若い母親を安心させる仕事です。でも、そういうニーズがそんなにたくさんあるのですかと聞いてみました。お客はまだこの仕事を知らないので注文の多い時も少ないときもある、チラシを配ったりSNSで流したりして、顧客を集めているとの返事でした。

 3か月後、その後どうなっているか聞いてみました。

 その後仕事は順調です。赤ちゃんのケアを求める人は多くなりました。毎朝8時から11時までと午後1時から5時ぐらいまで働いています。現在は1人でやっていますが、その後、仕事が増えたらスタッフを増員する予定です。今こういう仕事は育ってきていますので、もちろん続けられると思っています。
ということでした。

 初めに希望した介護の仕事は続けられなかったけれど、共通する人の世話をする仕事として赤ちゃんケアに目をつけたところが新鮮で逞しいです。まだだれも手をつけていない仕事を切り開いて、持続していくには、豊かなアイディアと大変なエネルギーが必要でしょうが、イーさんは立派に立ち向かっていくでしょう。広い将来を見据えた若さがまばゆいです。