
本書は著者、内田舞が、逃げ出してきた性差別のある日本の医学生時代の女性に対する蔑視から、アメリカにおける研修医時代のあからさまないじめ等の体験を赤裸々に記し、どのようにその事態を変えていけるかを思索した力作である。
評者である私自身も、幾度性加害的言辞やチカンにあってきたことだろうか。書き出すときりがない。きっと「そうだ、そうだ」とうなずいておられる読者もおいでだろう。性加害者は、一般的にいえば、相手を選ばない。知り合いであれば(レイプはこの場合が多い)「絶対に人には言うな」と脅かせば、言えないだろう程度の認識を持つ者もいるかもしれないが。現在、私は相当の老婆であるが、細く暗い道を一人で歩いていて、後ろに明らかな男性の靴音を聞けば、怖くなってしまう自分がいる。大げさにいえば過去の様々な体験のトラウマからまだ身を引き離せていないのであろう。おそらく一生ついて回るに違いない。
著者は、社会における男性優位の家父長制のもと、多くの場合女が被害者になる現状を、たくさんのメディアで報じられたケースを挙げて、社会の構図がそうさせているし、被害者は、大いに声をあげるようにと励ましている。
しかし、多くの場合女性である被害者の側は、まだまだジェンダー規範にとらわれており、自身が被害者であることのしっかりした認識ができないという事情がある。地方都市でなど、様々な暴力を受けながら、「相手の公的立場を考えると気の毒で言い出せない」と躊躇することなど常態ですらある。「自分を大事に」は、なかなかこころを納得させられないのである。一方支配者(加害者)の側は、社会的構造や、自身がその成員であることを認識しようとしない。昨今、小中高校の教員によるセクハラが広がり問題視されているが、盗撮等で、自分のキャリアを失うことを一生の大問題と考えられないのだろうか。なんという品位/道徳の低下!
フランスの社会学者P・プルデューの唱える「ハビトゥス」は、日常生活のなかで、認知、思考、評価、行為などが、個人に明確に自覚されないまま、取り入れられ、世代を超えて生み出されていくという。著者もそこは指摘している。ジェンダー規範はその最たるものであろう。そしてこのような「ハビトゥス」が個人の社会化(socialization)を通して普遍化されていくのだ。私はトランスジェンダーに異をとなえる者でないが、FtMとMtFの差を考えてみると、圧倒的に後者の方の社会的認知度が高い。これはとりあえず男性としての社会化がある効果を持っていると私は考えるのだが、どうなのだろうか。教育や家庭生活、職業生活、あらゆる場面での改革意識が必要だと思うが、これがなかなか困難なのである。
最後に一言。著者が、妊娠中のコロナワクチン接種について、医学的根拠を示しながら、大丈夫だからと接種をすすめたときの、ワクチン悪物のデマを信じるのみならず、ワクチンを啓蒙する内田への、SNSにおけるバッシングのひどさを、書いておく。内田を「勝ち組女性の意見」として取り扱い、科学的根拠より、「勝ち組女性の意見」としてそれを独善的に受け取ってのことであろう。「勝ち組女性」などとグループ化したところで、見え透いた嫉妬にしかならないし、科学的根拠を信じないより、上からの目線でモノ言うな、という意味ではないかと私は思うが、それなら、そういえばいいのである。ちなみに、内田は私の良く知っている敬愛する精神科医だが、決して上からの目線、、、の人ではない。後、結果的に、彼女の啓発活動に対して「上手な医療のかかり方賞」の「厚生労働大臣賞」を受けていることも付け加えておこう。
◆書誌データ
書名 :ジェンダー・ジャスティス―社会の無意識が生み出す性と権力の構造
著者 :内田舞
頁数 :216頁
刊行日:2026/3/25
出版社:幻冬舎
定価 :1056円(税込)










