エッセイ

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フェミニストの明るい闘病記(1)癌です!  海老原暁子

2012.04.10 Tue

 初めまして。海老原暁子です。これからしばらく癌ネタでおつきあい願います。

 卵巣癌ステージⅢC、ややこしい症例のため一時は手術不能と言われた私ですが、前向きな闘病で今のところ2年少々生きています。1年半の休職後なんとか復職したのも束の間、半年で再発。この3月で仕事を辞めました。

 私の病勢での再発の予後をデータで見ると心底がっかりしますが、がっかりしてばかりもいられません。女性が癌になったとき、何をどうすれば良いのか。あふれる情報をどう取捨選択するのか。周囲の人間、特に主治医との関係をどう保つのか。サプリは? 代替医療は? お金は? 「癌友」のエピソードを交えながら、私自身が経験したあらゆることを披露します。ご自身やご家族、お友達の病気を支える参考になれば幸いです。 

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 2009年の暮れ。学生の確保が困難になりつつある小規模短大の学科長として、私は目の回るほど忙しい毎日を送っていた。後期は9月末に始まるが、10月に入ればもう入試がスタートする。自己推薦、指定校推薦、内部選考、一般入試、センター入試、一般二期、センター二期、そのあいだに専攻科入試が挟まり、かつ通常の授業が展開され、次年度の課程を組む作業が始まる。翌年の予算の策定のための書類作成、新任教員の募集、面接、非常勤講師の調整など文字通り頭がぐじゃぐじゃに混乱する隙間隙間に、迷える学生の進路相談、恋愛相談、人間関係がらみの相談がびっしりと入ってくる。女性学会の幹事や自治体の顧問の仕事もある。

 そして私はさらにもう一つ爆弾を抱えていた。中2の息子である。漫画家の西原理恵子は「中2男子」という表現で彼らのアホさ加減を繰り返し嘆くが、ウチの息子も然りだった。吉祥寺のマン喫で補導されて警察から電話がかかってくる。学校で同級生をどついて骨折させる。問題児の母は同級生ママから難詰され、担任と学年主任には繰り返し呼び出され(最後は校長に呼び出されて転校を打診された)、菓子折りを持って飛び回った。

 娘を2人連れて再婚した後に、長女から13年遅れて生まれた末っ子長男は素直で元気で愛らしく、しかし勉強嫌いの怠け者のアホでもあった。50を過ぎて中2の息子の世話をするのは体力勝負。夫は子育てに協力的ではあったが、学校からの保護者呼び出しなど面目がつぶれるイヴェントからは距離を置きがちだった。私は学科長であり、中2男子の母であり、就活に失敗して鬱直前の次女の相談役であり、結婚を控えた長女の世話係でもあった。そして何より、子連れ再婚家庭の要として気の休まる暇もない生活に追いつめられてもいた。

 リウマチ持ちの私は秋の深まるころから関節が痛むのが常であったが、この年の痛みは尋常ではなかった。昼過ぎから両手首、両足首が痛み始め、それが肘、肩、膝、股関節、首へと広がって行く。痛み止めは経口のものではすでに効かなくなっていた。授業が終われば必ず座薬の痛み止めを使うのだが、帰途につく頃には、車のハンドルに両手をのせるために片方ずつもう一方の手で助け上げなければならなかった。

 その頃になってやっと、この痛みはリウマチのせいだけではないのではなかろうか、との疑念が頭をもたげた。台所仕事の際、上体を流しのへりに持たせかけると下腹部にごりごりとしたしこりがある。私はその位置からして、大腸の疾患を疑った。近所の胃腸科を受診すると、大腸ポリープの検査を受けるように勧められ、2週間後の日程を予約した。

 その間、痛み止めの量はさらに増え、どうしようもない時のために常備してあるプレドニン(ステロイド剤)の量も増えていった。果たしてポリープが見つかり、2万円を払ってその場で焼き切ってもらったのだが、下腹部のしこりは消えない。全身の症状も軽減されない。

婦人科の受付

 医師の友人にメールで症状を伝えると、それは婦人科系の病気の可能性があるとして、吉祥寺の婦人科クリニックを紹介された。授業の合間に予約を入れ、そこから更に紹介されてMRIを撮りに新宿へ。結果を待つ間に年が明けた。

 その頃には私は朝、ベッドから起き上がるのも困難な状況になっていた。起床後すぐにプレドニンを服用し、食事のあとには大量の痛み止め。自分でもこれはまずいことになると恐れながら、とにかく日常の業務をこなすにはそれしか方法がなかった。後にプレドニンが癌の成長を助けていたと知り、後悔の臍を噛むことになる。勤務先ではいつも明るく元気な自分でいるよう努めたが、それは気を紛らわすためには悪い事ではなかったと思っている。ただ、夕刻以降の辛さといったら、自殺が脳裏をよぎるほどであった。

 やがて、婦人科クリニックの院長からあわてた口調で携帯に留守電が残された。「あのね、なんかあるね、やっぱり。すぐ来てください、しかもね、かなりね、ちょっとね」。それでも私は自分が癌に冒されているとは考えなかったのである。今考えればなんというバカであったろうか。

癌研の外観

 院長は、「大きな病院を紹介します」といいながら、メモ用紙に「がんセンター」と「癌研有明」と書いた。私はぼんやりとそれらを眺めていた。彼は「どっちがいいかな、癌研かな」と深刻な声でつぶやき、彼の医学部時代の先輩が婦人科部長の職にあるとの理由で、癌研有明病院あての紹介状を書いてくれたのだった。

 クリニックを出ると、1月の午後の吉祥寺の空は真っ青だった。電線に雀がとまって、冬毛でまるまるした小さな身体を揺すって愛らしい声でさえずっている。瞬間、たった1世紀前ならそろそろ寿命が尽きようというほど長く生きたことになる52歳の私は、生まれて初めて味わう煮詰まるようなどろっとした感覚に襲われて立ちすくんだ。「あの雀は生きている」「あの人も生きている」「あの犬も生きている」「私は?もうすぐ死ぬのだろうか」

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がん豆知識1. 卵巣がんはサイレントキラー

 卵巣がんは日本の女性がかかるがんの部位別死亡率では第10位ですが、30歳から49歳の働き盛りに絞ると、死亡率は5位に浮上します。しかも、この30年で死亡数罹患数ともに3倍に増えており、罹患数は増加しつつも死亡数が減少傾向にある子宮がんと好対照をなしています。死亡率が高いのは早期発見が難しいからで、そのため卵巣がんはサイレントキラーと呼ばれているのです。

 さて、癌研有明病院婦人科部長の瀧澤憲医師は卵巣がんの原因を、1.妊娠数の減少、妊娠開始年齢の高齢化、分娩数の減少、分娩終了年齢の低年齢化 2.高タンパク、高脂肪食、3.女性の高学歴化、社会進出によるストレス の3つに特化しています。

 3.を見ると、「すわ、また印象論か?」と反応してしまいがちですが、瀧澤医師は、高学歴化に伴い男性と同等の職責を追わされながらも、家庭責任を果たすよう期待されることが大変なストレスをもたらし、それが卵巣機能を顕著に低下させる、と説明します。

 私はがんを発症する前の自分の生活を瀧澤医師の説明に引きつけて振り返った時、まったくもって因果を諾わざるを得ませんでした。仕事を完璧にこなしたい。人間関係も上手に構築したい、家の中はピカピカにしておきたい、子供3人を手抜きせずに育てたい、実家で一人暮らしの高齢の父の面倒も見たい、夫に家事を負担して欲しくて常にイライラしている、そして週に一度は仕事がらみで外食、深酒、揚げ物大好き、、、、でしたから。

次回:入院、休職、試験開腹  豆知識:がんの標準治療について

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カテゴリー:フェミニストの明るい闘病記

タグ:身体・健康 / 海老原暁子 / 闘病記 /

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