2012.05.10 Thu
私の母は63歳で肝臓がんのため亡くなった。そのせいか、私の中に「母の年齢まであと〜年」という余命のカウント意識がいつもあった。がんになる前年、51歳の私は「母の年まであと12年、次の子年まで生きればいいか」というようなことを考えていたのだが、予定よりはるかに早く死ぬことを意識せざるを得ない事態に陥ってしまったのだった。
癌研有明病院の婦人科部長は、「毎年この病院で診断される卵巣癌は約200例です。そのうち1割弱はどうにもならない面倒な症例で、あなたのケースはまさしくそれです」と言いながら、私の腹腔内がどのような状態なのかを図に描いて見せてくれた。がんはお腹中に広がり、大網とよばれる脂肪の壁を覆い尽くし、腸を癒着させ、骨盤にまで及んでいるとのことだった。
初診時に提出したアンケート用紙には「余命宣告をして欲しいですか」「全て真実を告げて欲しいですか」という項目があり、私は全てに丸をつけていたが、それでも目の前の医師から「根治術に持ち込めたとしても、5年生存率は2割以下」、「手術が不可能で抗がん剤の効きが悪ければ、あと半年」などとはっきり言われてしまうと、それはやはりきつかった。
2月2日に原発巣摘出の試験開腹をすることになったのだが、「試験開腹」が何を意味するのかさえ知らなかった私は、猛然と勉強を開始。「癌」「卵巣がん」というタイトルの本を1ヶ月で50冊ほど読んだ。
職業柄調べものは得意ではあったが、いたるところに「死」「余命」「力つきて」「無念」などという言葉が見える書物は、気分を落ち込ませるものである。一方、「私はこのサプリで癌を克服しました」「家族の愛が私を救いました」といった、根拠が明確でない主観的な記述だらけのエッセイもままあり、何の役にも立たない内容にいらだつことも多かった。
そんな中、勤務先の職員から贈られた書物に引き込まれた。平塚厚子著『癌・余命半年からの生還』である。客観的、分析的、データ山盛り。明快な主張と科学的な意見が開陳されている希有な体験談である。参考になることこの上なかった。
が、何度目かの読み込みから二つのことが気になりだした。一つ目は、著者の素顔が完全に隠されていること。どこの誰かを知りたいとは思わないが、どんな人生を送ってきた女性なのか、政治的なスタンスはいかようなのか、病気以外の関心事が何なのかが、さっぱりわからない。立体的な人間像がまるで掴めない、架空の人物からがんについての講義を受けているような気さえしてきた。
二つ目は、まさしく「金に糸目をつけない」治療行脚である。彼女は5年の間に2度も「余命半年」宣告を受けるという体験をしながら、ありとあらゆる代替治療を試しつつ「現在健康体」(出版時)とのことであるが、彼女が受けた治療の総費用はおそらく1000万円を遥かに超えると思われる。希望をもって完治を目指すべきだとの主張や、一人や二人のドクターに「もう死ぬよ」と言われたからといって諦めることはない、とのメッセージの力強さには勇気づけられるが、一体誰が何千万もの治療費を払うことができるだろう。参考書は夢物語に変わった。
ということで、現在までに都合100冊のがん関連の本を読んだが、全ての面でなるほどと思わせられる本にはいまだ出会っていない。
休職の手はずを整え、1月29日に入院。術後すぐに化学療法(抗がん剤治療)を開始することになっているため、翌日にはかつらを手配して、2日後の2月2日に試験開腹術を受けた。もう遠出できない高齢の父が、妹に100万円の現金を託してくれた。反抗ばかりして、ついには跡取りとして下へもおかずに育ててくれた父を裏切り家を出た私を、老いて一人居の父が支えてくれようとしていたのだ。親のありがたさが身に沁みて、涙が出た。
生まれて初めて受ける本格的な手術。婦人科部長に「死にませんかね?」と伺ったら、ちょっと気分を害したらしく、「私が部長に就任してから術中死は1件もありません」と、マジに受けられてしまった。ちなみにこの部長、近隣国からも手術を受けにくる患者がいるという「ゴッドハンド」なのだそうだが、著書のプロフィール欄に「横浜の平凡なサラリーマン家庭に生まれる」とわざわざ記している。周辺がこぞって医者の息子であったに違いない医学部時代に彼が何を感じていたのかを、ちょっぴり深読みしてしまった私であった。
試験開腹は4時間半で終わり、翌日には管を何本もぶら下げたまま廊下を歩かされへばったが、最もへばったのは息子からの電話だった。「おかあさん」と言ったきり数秒黙っていたと思うと、幼稚園の時以来聞いたことのないような声でわーっと泣いた。中2の問題児は母親ががんにやられて死ぬかもしれないと悟ったとき、一気に赤ん坊帰りをしたのだろう。私も泣いた。「お母さん死なないから」と言うのがやっとだった。家族のことが気になってしかたがなかったが、妹、夫、3人の子供たちが私を心配させまいと気を遣っているのが手にとるようにわかった。しみじみありがたかった。
さて、試験開腹ではまず病勢・病態の確定診断のため、お腹の中を目視で確認し、原発巣である左の卵巣を摘出する。これは組織検査にまわされる。私の場合、小腸大腸あわせて10カ所以上の癒着がすでに起こっていたため、それらの剥離、縫合、そして腹腔外にがんが散らばるのをふせぐために大網の切除が行われた。がんがびっしり張り付いている子宮、直腸、ダグラス窩周辺は手つかずである。術後の抗がん剤でどこまでがんをたたけるか、それによって根治術(オプティマルサージャリー)に持ち込めるかどうかを追って判断するという。
後に主治医となる、瀧澤婦人科部長の弟子、若き町田弘子医師は、術後の本人への説明のさい、「もうがんだらけ、がんだらけ、いやな言い方ですが、お腹の中がものすごく汚いんです。腸もがんだらけ、それを1個ずつ切り取って穴を縫うんですよ、ほんと。もう、ちょーイヤって感じ」と宣った。引き締まった小柄な体躯に白魚のような小さな手を持つ、娘ほどの年齢の町田医師は、やがて私にとって戦友とも呼ぶべき頼もしき相棒になっていく。
豆知識———がんの標準治療と副作用
現在の日本におけるがん治療は、標準治療と代替治療の2つに大きくに分けることができます。「標準治療」とは、それぞれのがんにその時点で1番効果があると科学的に証明された治療法のことです。厚労省と各分野の医学会が治験を行って制定する「ガイドライン」に沿った治療法のこと、といえばわかりやすいでしょうか。
例えば卵巣がんステージⅢCでしたら、試験開腹で確定診断〜術前抗がん剤4クール〜根治術(可能ならば)〜術後抗がん剤4クール、というわけです。もちろん微調整は行われますが、用いる薬剤も推奨され、最初に使う薬の代表は「タキソール+カルボプラチン」(という抗がん剤の組み合わせ)ということになっています。これを「ファーストライン」と呼びます。
再発がんには、再発時期によってまた別の標準治療が推奨されています。標準治療は、当然エビデンスの蓄積や新薬の承認といった外的な事由によって変化しますが、最新の標準治療が日本中どこの病院でも受けられるわけではありません。同時に、標準治療は治験のデータ上、最も多くの患者に奏功した治療法を平均化して設定されるものですから、当然、同じがんにかかった全ての患者に同じように効くわけではまったくありません。しかし、保険適用で治療を受ける場合は、基本的にこの標準治療に沿った治療が行われます。
本文で触れた平塚厚子さんは、標準治療以外にさまざまな代替療法を受けたそうです。2度目の余命半年宣告のあとも、標準を大きくはずれた抗がん剤治療を某クリニックで受けるのですが、これは保険システムの中で決められている「〜がんにはこの薬」との縛りを解いたやりかたで、複数の抗がん剤を自由に組み合わせて点滴する方法でした。当然かかりは実費になるわけです。
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