2012.04.30 Mon
実家で母親と話すたび、あきれられる。幼いころの鮮明な記憶のほとんどが「あん時あの場所で美味しいもん食べた」の類なのだ。
先日も、「三方五湖にドライブに行ったとき、初めて自分専用の弁当箱を用意してもらった。アルマイトのお弁当箱に並んだ小さなおにぎりがとても嬉しかった」という話をした。これはたぶん4歳頃の記憶。ほかにも、「叔母の膝の上に座って、初めて鉄板焼き屋でごはんを食べて興奮したんだけど、特に初めて見たヤングコーンに感動した」という2歳頃(!)の記憶などなど。
「要するに食いしん坊なのよ」というのが、母親と相方に共通した結論。はい、異論はございません。思い返せばずっとずっと、私は食いしん坊にございました。
一人暮らしで必要に迫られる前から、調理それ自体に興味があった。「この美味しい料理、どうやって作ってるんだろう?」――食いしん坊だから、こういう問いもごく自然に。
最初は実家の台所でこっそり、後にアパートの狭いキッチンで、あれやこれやトンチンカンな試行錯誤が続いたのでありました。中途に手順を推理して、「こりゃ食えねえ!」って失敗もあまた。でもそこから湧き上がった「なぜ?」が、自分の料理を導く太い糸となったのでありました。
以上、半生をざっくりまとめると、「食いしん坊がネチネチ考え続けながら、美味いものに辿りつくための実践を続けた」といったところ。これが自己完結しているうちは、いわゆる「男の料理」みたいなショーモナイところで終わっていたはず。
でもいつの間にか「人に食べてもらうこと」の方が楽しくなって、自分と同じように多様な調理法や調味料に関心を持つ相方と暮らすようになって、ふと気がつけば、家族や友人に美味しいものを食べてもらうため『男子厨房に入りっぱなし』。そんな我が生涯に一片の悔い無し。だってほら、結局自分も美味しいもの食べられるから。
そうして、この数年の間に「手癖から離れる」が一つのテーマとなってきました。一人暮らしと違って、食材や調味料を豊富に使ってもダメにしてしまうことが無いので、これまで躊躇してきたタイプの料理も、手がけるようになったわけです。
幾つかのレシピを参考に何度か試しているのは、本場はおろか、タイ料理店でも食べたことのないカオマンガイ。茹鶏のスープを使ってタイ米を炊く、無駄のない調理法に感動。しょっぱいタオチオベースのタレの味が後をひきます。もちろん、パクチーはたっぷりと。
蒸し器よりも蒸籠(せいろ)の出番が多くなりました。色々と合理的なんですよ。アルゼンチンアカエビ(回転寿司のぼたん海老)をタイ風の甘辛いタレに漬け込み、固めに戻した緑豆春雨の上にのっけて強火で一気に蒸し上げると、エビ本体はもちろん、旨味を吸いこんだ春雨が絶妙の味わいになります。仕上げには自家製のラー油を使ってます。
蒸し茄子のナムルの食感には驚かされました。水でアク抜きしてから小麦粉をまぶして蒸した茄子を、胡麻油や薬味の効いた合わせ調味料で和えるのだけれど、焼き茄子とも煮茄子ともまったく別ものの美味しさ。ここからナムルに開眼しました。
包むのが苦手で敬遠していたシュウマイ。細切りにした皮をまぶして菊花にするアイデアは眼から鱗でした。慈姑(くわい)の入ったのが好きなのだけれど、ちょっと高いから代わりにレンコンを刻んで入れると、シャキシャキして美味しい。
安い鰯は我が家の味方。時間に余裕がある時は、丁寧に処理して塩で〆て下味をつけ、コンフィ(オイル煮)を作ります。時間はかかるけど、それに見合うだけの美味しさと感動があります。
しかし何をどうやっても相方に敵わない料理がいくつかあって、サンドイッチはその最たるもの。どうしてなのかさっぱり分からないんですが、食べればその差は歴然。写真は自家製のピクルスと茹鶏にディルをあしらったもの。ぜんぜん勝てる気がしないから、こういう時はさっさと厨房から出るのであります。
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