エッセイ

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【視点論点】悩ましい延命治療 

2013.12.12 Thu

私の母は89歳。脳出血をおこし、失語症となった。でも回りの状況は良く理解している。『おかあさん、啓子だよ』、というと私の手を握りしめて答える母。彼女の好きだった歌をきかせると、反応し、まぶたで微笑む母。なかでも、『からたちの花』は私がアメリカに旅立ってから、寂しくて、寂しくて、庭の花をいじりながら、涙をこぼしつつ母が一人で唱った歌。もちろんそのことを聞いたのはずっとあとになってからのこと。『からたちの花』を一緒に聞きながら私の目も涙で潤む。『帰るね、またくるからね』というとしわしわの顔をよせて悲しそうな顔をする。(『からたちの花』を聞きたい方は、こちらをクリック。)

活動的で『男前』だった母。その母は、今は、ゼリー状のものを一日に数口しかたべられない。このままでは、餓死する。胃瘻をしますか、V-ポートをしますか?毎日、決断を迫られる。家族をみてもわからぬほどボケている、意識がない、または、痛みがはげしい、などの場合は、なにもせずこのまま死なせてあげたいと思うだろう。でも、まだ、私の前の母は人格をもった『命』として存在する。

延命治療については、医療関係者、ヘルパー、ケア・マネージャー、家族、みんな悩んでいる。私も母のような状況を経験するまでは、延命治療などいらない!と思ってきた。悩みながらも、すでに、胃瘻・人工呼吸器・蘇生術はいらないという書類にサインしている。

みなさんはどんな経験をお持ちですか?また、もし、これからこういうことがみなさんご自身やご家族に起こったときにはどうしたいとお考えですか。

ご意見お待ちします。

カテゴリー:ちょっとしたニュース

タグ:老い / 介護 / 延命治療