京大時計台

 11月10日、「祝賀御列の儀」なんか見たくない、聞きたくもないから、晴天の午後、2019京大人文研アカデミー研究集会「現場から考える天皇制」に行ってきた。百万遍の京大構内をうろうろしながら会場にたどりつく。行って、ほんとによかった。

 司会を含めて7人の論者の分厚いレジュメとお話は、お一人3時間くらいかかる内容を30分にまとめて粛々と進む。お話をもっと聞きたいなあ。廊下まで溢れる聴衆と、その中に女性の姿が多かったのもまた、うれしい。

 藤原辰史さんの司会で、トップは高木博志さんの「近代天皇制と天皇就任儀礼」。2019年4月13日、14日「全国世論調査」では「現在の象徴天皇制でよい」が74%、「天皇制は廃止すべきだ」は7%、「天皇を現在よりも、もっと権威と力のあるものにすべきだ」は4%だった(毎日新聞2019年5月3日付)。高木氏は歴史学の立場から、現代の天皇制にこそ「史実」と「神話」の曖昧化が、より強まっているという。天皇代替わりの神格化や大嘗祭、主基斎田抜穂の儀は、『官報』で規定された内容がそのまま罷り通っているとも。7世紀以来の天皇血統主義は、今こそ、『不可侵、不可被侵――松本治一郎対談集』で語られた「貴族あれば、賤族あり」に、もう一度、立ち返らなければいけないと語る。

 次は待ちに待った池田浩士さんの「「象徴天皇」とは何か?――天皇制の中に生きる私たちの自由と権利と責任」。いつもの池田さんの明晰な論理と名調子に会場も沸く。「日本国憲法」第1条の「主語」は「国民」ではなく、「日本国」ですらない。「天皇」が「主語」なのだ。では「象徴」とは何か? 1946年6月25日、「帝国憲法改正案」により、「象徴」とは我々日本人の憧れの中心であり、その象徴天皇によって「国体」が護持されたことを、第90回帝国議会衆議院議事速記録は示している。

 戦後すぐ、1946年5月19日、「飯米獲得人民大会」(食糧メーデー)で、共産党の松島松太郎が「国体は護持されたぞ、朕はタラフク食っているぞ、ナンジ臣民飢えて死ね」のプラカードを掲げ、逮捕・起訴されたのが、最後の「不敬罪」となった。後に「不敬罪」は廃止され、「名誉棄損」に変わったのだが。面白かったのは、後半の質疑応答で会場の女子学生から「天皇は象徴であり、人格はないはずなのに、なぜ天皇への名誉棄損が成り立つのですか?」と天皇制の本質を突く質問に、池田さんも、「まさにそのとおり。天皇への名誉棄損はあたらない」と大きく頷く。

 「象徴」とはSymbol、語源はギリシャ語の「割符の片方」だという。もう一方の片割れと合わせなければ、自己確証(自分とは誰か?)はできない。だから天皇は「国民に寄り添い」、国民は天皇に憧憬の念を抱く。「内なる天皇制」たる所以だ。あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」で河村たかし名古屋市長が掲げたプラカード「日本国民に問う! 陛下への侮辱を許すのか」は、まさに片割れの天皇との一体感を自ら示した図ではなかったかと思う。

 では私たちは、だれと、どう生きるのか? 池田さんは福沢諭吉の「帝室論」を引き、「帝室(皇室)ハ全国人心ノ帰スル所也」「二三ノ狂愚アルモ之ヲ如何ス可キヤ」の「二三ノ狂愚」、つまり天皇制に反対する稀有なる例外、7%の私たちが、自ら決めるべきことだと。少数者にしか見えない現実がある。それを象徴関係の向こうに新しい関係としてつくり直していこうと呼びかける。

 はるか昔、池田さんが、私の著書『女(わたし)からの旅立ち――新しい他者との共生へ』(批評社・1986)の書評を、『インパクション』47(1987・5・25)に書いてくださったことがある。「何カ月ぶりかで、息をつめて、読みごたえのある本を読破した」に始まり、最後に二つの問いを問われた。「ああ、難しい質問だなあ」とため息をついて、そのままになったけれど、30年後の今なら何とか答えられるかもしれない。そのことはまたいつか別の機会に書いてみたいと思う。

 当時、反天皇制集会の講演で池田さんは、「私たちは豊かな人間関係をもっていない時、安易にシンボルを作ろうとしてしまう。バラバラに分断された人間関係のなかで私たちはつい、うかうかと天皇を国のシンボルにしてしまいかねない。今、大事なことは、私たちがそういうシンボルに思いを委ねなくてもいい、自立した自由な人間関係を私たちの側から作りだし、求めていくことではないか」と語った。今もなお続く、変わらぬ呼びかけだ。 さらに『ふぁっしょファッション池田浩士表現論集』(社会評論社・1983)の序にある、「無力さのことを語るよりは、むしろ沈黙するほうを選んできたものたちも、少なくはあるまい。みずからの無力さを語るというかたちではなく、この無力さの根そのものを掘りくずすことは不可能なのだろうか?」との問いも、また同じ。

 井野瀬久美惠さんは「帝国の調整者としての女王――比較対象としてのイギリス」で、イギリスの君主制がなぜ生き延びたのかを問う。「ロイヤル・ファミリー」としての見せ方、「君主」+「妻であり母であること」を両立させるために使われた絵画や、キーワードとしての「共感」。そして日本のポスト君主制としての象徴天皇制に求められるのは「共感力」と「外交力」という説に、「?」と首を傾げるところもないではないが。会場からの質問に答えて井野瀬さんが「イギリス王室の存続の秘訣はジェンダーだ」と答えると、すかさず池田さんから、安倍の真似をしてヤジが飛ぶ。「なんで我々が天皇の存続について考えてやらねばならないのか」と。フロアからクスッと笑いと拍手が起こる。女系天皇の行方は、なかなかに難しい問題だ。

 休憩の後も次々と講師から「概念」のリレーが続く。駒込武さんの「「反日」「非国民」「不敬」をつなぐもの――「人間宣言」と同時代の台湾における天皇制論」では、「朕」たる天皇と「爾」たる「国民」との特別な「紐帯」を強調する「人間宣言」は、かつての「教育勅語」と文言は変わらないこと。また日本の敗戦当時の台湾で、どのような天皇制論が語られていたかを、台湾の戦後の動きとともに、資料に基づき詳しく示された。

 茶園敏美さんの「パンパンといわれたおんなたちと「天皇制」のおとこたち」。敗戦直後につくられた占領軍兵士用の特殊慰安施設協会(RAA)は、日本政府と元特高警察が深く関与した慰安所だった。「性の防波堤」として選別された女たち、性病検診のため、強制的に街でキャッチ(検挙)された女たち。「天皇制のおとこたち」である当時の日本政府が、GHQの占領に積極的に関与していたことに、今一度、注目する必要があると語る。茶園さんが『戦争と性暴力の比較史に向けて』に書いた「パンパン」とされた女たちのように、彼女たちの主体的な「エイジェンシー」(行為主体性)にもっとフォーカスをあてれば、もしかしたら天皇制をも転覆させる力が女性の側から生まれてくるのではないかと、ちょっと夢想しつつ、お話を聴いていた。

 最後に、福家崇洋さんは「天皇制と現代文明の行方~歴史顕彰・オリンピック・万博」で、1940年代と1960~70年代、2010年~20年代の、「国威発揚」の3点セットの比較と類似性を語る。明治100年記念事業は「過去」の顕彰、東京オリンピックは「現在」の顕彰、大阪万博は「未来」の顕彰というふうに。その時、国は国民に、見返りを求めないボランティア活動を義務として、「強制労働奉仕」として強いていくのではないか。ナチス時代のファシズムとボランティアの関係のように。否も応もなく、自発性から総動員の道へと必然的につながっていくのではないかと、お話を聴きながら、その疑念がどうしても拭いきれなかった。

 そこで「抵抗」の足場を組むために、福家さんは鶴見俊輔の『転向再論』を引き、「アイデンティティよりはインテグリティ(自己や他者への誠実さ)を重視せよ」という。批判と寛容の砥石となるインテグリティは、文明化による矛盾が蓄積していく場所、「現場」と向き合いながら、自らが何ものかに同一化されることなく、その世界の秩序を捉え直す道を示してくれるのではないか、と。

 うーん、「あるか、なきかの」、そんな道を夢みてみたいなあと思う。6人の講師の方々のお話をもう少し自分に引き寄せてみようと、あれこれと考え反芻しつつ、夕暮れのキャンパスを通り抜け、急ぎ帰途についた。