エッセイ

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第四回女性史学賞 講演会レポート(2)

2010.03.28 Sun


 第四回女性史学賞の講演会レポートの第二回目は、受賞者である木村朗子さんの講演の内容について、ご紹介します。(木村さんご本人が、本レポートのために、原稿をお寄せ下さいました。)

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 女性史学会の選考委員のみなさま、東京からかけつけてくださり、批評のことばをくださったクリスティーナ・ラフィンさん、上野千鶴子先生、兵藤裕己先生、そしてお集まりいただいたみなさまにまずお礼を申し上げたいと思います。
そしてはじめに無名の学会誌からとくにホモセクシュアル関係の各論を見いだし世に送り出してくださった『恋する物語のホモセクシュアリティ』の青土社の菱沼達也さん、重厚な本に仕上げてくださった『乳房はだれのものか』の新曜社の渦岡謙一さんにあらためて感謝したいと思います。

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 女性史学賞が私にとってどれだけ大きなものであったのか、拙著の参考文献をみてくださった方はすでにお気づきだと思いますが、ほとんどが女性史研究、女性学研究でして、これまで日本古典文学の作品を素材に、女性学の成果をふまえて議論してまいりましたが、この道へ導いてくれたのは、『ジェンダーの日本史〈上〉宗教と民俗 身体と性愛』(東京大学出版会、1994年)をはじめとする80年代から90年代の女性史研究の成果でした。女性史という見方も新鮮でしたし、さまざまに明らかにされる日本古代あるいは中世についての女性についての研究がおもしろくてむさぼるように読んだものでした。

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 『ジェンダーの日本史』の英訳がでたときの完成記念のシンポジウムには、私もラフィンさんに情報をもらって出かけておりまして、あの日会場から、壇上の上野先生や武田先生をみていたのでした。そういう意味でもいろんなことがつながって、結果をむすんだことを自分でも驚くと同時に、たいへんうれしく思っております。たいへん盛況だったあの会場の観客から一人、後に続くものが育ったということなのだと思ってくださればと思います。

 そもそも日本古典文学を専門としていながら、女性学について考えるようになったきっかけは、いろいろありますが、やはり一番大きかったのは、成城大学で兵藤先生がちょうど平家と女性についてやっていたゼミに参加させてもらって、今日も東京からかけつけてくださった生方智子さん、(最近、『精神分析以前―無意識の日本近代文学』というたいへんおもしろい本を出されたばかりですが)生方さんが、日米女性ジャーナルですとか、まだ日本語訳があまりなかった最先端のフェミニズムの理論を次々とコピーして、おもしろいから読んでとすすめてくれて、いろいろ教えてもらったということがあります。

 そのころ考えはじめていた、摂関政治下の宮廷社会の性の制度についての私の論文の下書きを読んで、これは「権力再生産」の問題だ、と言ったのは生方さんでした。振り返ってみれば、この用語がいろんな意味で、その後の展開を推進することになったのだと思います。

 兵藤先生は、大学院に入って最初の指導教官です(1991年)。そのあともあちこち行きましたので、他にも指導教官がたくさんいるのですが、とくに兵藤先生は、私の最も使い物にならなそうなところをみていた先生ですので、今日は先生を前にして成人式を迎えたような気分です。

 私は学部時代に英文科におりましてアメリカ文学で卒業論文を書きました。そういうわけで、古典文学の素養もなければ、なんの基礎もない人がとつぜん『源氏物語』がやりたいと入ってきたのを、たぶんしぶしぶだと思いますが引き受けてくださったのでした。なにを言ってもわかっているんだかわかってないんだか、ぼーっとした学生でしたので、先生もさぞお困りだったことだと思います。あるとき、「キミ、なにに興味があるの?」と聞かれて、なににと言われてもまったく五里霧中の世界でしたからまたしてもぼうっとつったっていますと、研究室で、小林正明さんの「女人往生論と宇治十帖」(『国語と国文学』64(8)、1987年8月)という『法華経』の龍女成仏は女人救済の信仰たりうるかということを問う論文のコピーをくださいました。これは『源氏物語』の最初期のフェミニズム論だと言っていい論文ですが、当時の私にとって、『法華経』も仏教もなんにも知らなかったものですから、難しくて結局修士論文には結びつかず、修士論文ではフェミニズムとは無縁の拙いナラティヴ論を書いて、龍女の問題は課題として残されていました。それに兵藤先生のご専門は軍記物語のほうにありますので、講義も軍記物語について(太平記でしたが)でしたが、これもさっぱりどのように取り組めばいいのかわからない状態でした。

そうした過去の勉強のはじまりのところで、兵藤先生がたくしてくださった課題が、ようやく今回の二冊の本で咀嚼できたということもあります。龍女成仏の問題も扱いました。太平記ではないですが、『曾我物語』で女性の問題を扱うこともできました。
 ぜんぜん気付いていませんでしたが、そして先生もお気付きになってなかったかもしれませんが、私をフェミニズムのほうへ押し出したのは兵藤先生だったのでした。

 兵藤先生のところでの修士を終えるとき、先生は私を物語研究会というところに入会させ、どうしようもない状態なのに発表するよう算段してくださり、ご本人はめったに研究会にいらっしゃらないので、発表のときも、だれだかわからない人が、すっとんきょうなことを言っている状態でひどいめにあったんですけれども、それはともかく、たまに研究会でお目にかかると、先生は、「今日の話わかった?こんなタコツボの話わかるようになっちゃだめだよ。いつかキミもこういう議論するようになるのかな、いやだな。キミはずっとおバカさんのままでいなさいね」と一度となく言うので、そのとおりにいつまでたっても専門のどまんなかのなかでは、ものすごく浮いた存在に育ってしまいました。これも含めて、兵藤先生の導きだったのかもしれないと思っています。

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 いまではすっかり古典文学研究のフェミニズムの人というイメージでかたまったようで、『国文学 解釈と鑑賞 2008年 05月号 [雑誌]』の「『源氏物語』の危機の彼方に」という特集号に(2008年の源氏千年紀のただなかに、まったくひねくれた特集だと思いますが)、「『源氏物語』とフェミニズム」というお題で依頼をいただくまでになりました。しかも私の記事の載ったカテゴリは「隣接分野から読む『源氏物語』」でありまして、精神分析学や社会人類学の方と一緒に並んでいまして、古典文学の研究者ではない、隣接する分野の研究者である、という、強固なイメージも確定したもようであります。
 特集を担当されたのはかの小林正明先生ですので、いい意味で、ホメことばとして受け取っていますが。

 このときの記事にも書きましたが、『源氏物語』を中心とする日本古典文学研究の早い成果として、最後の大学院での指導教官の藤井貞和先生の『物語の結婚』(創樹社、1985年)があります。クロード・レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』(1949年)に影響を受けて、『源氏物語』の親族構造を明らかにしようとしたものです。『源氏物語』は、光源氏というドン・ファンタイプの主人公が登場して、たくさんの女性と関係しますが、物語に描かれる複雑な男女関係から、そこでは交差イトコ婚(cross-cousin marriage)が選好されていることを導き出したのです。

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 昨年11月初旬にレヴィ=ストロースはなくなってしまいましたが、たいへん面白いことに、レヴィ=ストロースもサイデンティッカーの英訳本をたよりに、『源氏物語』の登場人物たちの親族構造を調査しました(「おちこちに読む」、1983年)。1982年のことです。レヴィ=ストロースの『源氏物語』についての論文の入った本『はるかなる視線〈1〉』が、日本で翻訳されたのは、1986年ですから、日本では藤井先生のほうが一年はやかったわけです。
 もともとレヴィ=ストロースが展開していた親族構造の問題を日本で日本文学で考えてみる。すると同時にレヴィ=ストロースも英訳をたよりに日本文学で同じことを実験してみる、そうした相互の研究関心が一致した例だったと思います。

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 この時期の研究でもう一つ大きな影響を受けたのが、上野千鶴子先生の『古事記』『日本書紀』の神話を構造分析された「〈外部〉の分節―記紀の神話論理学」(1985)、『構造主義の冒険』(勁草書房、1985年)です。上野先生との対談でもこのお話をしました。(『現代思想2008年8月号 特集=ゲーム理論 非合理な世界の合理性』

 宮廷物語に描かれる社会の性の制度を構造として取り出す発想はこうした先行研究に導かれています。

 さて日本古典文学のなかで、性の問題が気になりだしたのは、宮廷社会の召人(めしうど)という役割に注目しはじめてからでした。召人というのは、召す人と書いて、そば近くにあるいは寝所に召される女房のことを指しますが、主人に仕えるたくさんの女房のうち、男主人と性的関係にある者を召人でいうという説明がありながら、不思議なことに、召人には子どもがいないようである、と説明されていたのでした。性的関係にあるヘテロセクシュアル関係で子どもが生まれないなどという都合のいい話があるものだろうか、これが疑問のはじまりでした。

 権力再生産という視座でみると、宮廷社会においては、女性のプロクリエイティヴィティ(出産可能性)と権力再生産に関わる性としてのプロダクティヴィティ(生む性であること)とは一致しないのです。そして権力再生産にかかわって構成された性の制度のもとではプロダクティヴセックス(productive sex)とノンプロダクティヴセックス(non-productive sex)が振り分けられ、ノンプロダクティヴセックスには召人や稚児愛のような同性愛も含まれていて、それゆえに十分にヘテロセクシュアルなシステムでありながら同性愛のタブーがない社会であったことがみえてきました。こうしたことは摂関政治下のしかも宮廷社会での出来事ですが、そこは文化人類学の視座を借りて、文化人類学がそうであったように、現行の社会を省みるよすがとなると考えています。

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 11月の末にフランスの南、トゥルーズの大学でアンヌ・ブッシイ先生にお目にかかって参りました。ブッシイ先生は昨年5月に『神と人のはざまに生きる―近代都市の女性巫者』(東京大学出版会、2009年)というご本を日本語で出版されましたが、兵藤先生や脇田先生と共同研究もなさっています。『アイデンティティ・周縁・媒介―“日本社会”日仏共同研究プロジェクト』(吉川弘文館、2000年)
脇田先生のご紹介でブッシイ先生にお目にかかって、ついでということでブッシイ先生の日本民俗学のクラスで講義をさせてもらうことができました。そちらでブッシイ先生が学生たちに私を紹介するときに出されたのが、『ジェンダーの日本史』の英訳本でした。ああ『ジェンダーの日本史』に連なることができたのだと万感の思いといえばおおげさですが、うれしく、また誇りに思いました。

 そこでブッシイ先生がおっしゃったのは民俗学は人類学よりもっと人間の肉に接するような仕事だということでした。女性巫女にべったりはりついて話をきいて一人の巫女の誕生と一生を描ききったご本を出されたブッシイ先生のおことばらしいと思います。私の研究との違いを説明することばでしたが、まったく反対に文化人類学とも思いがけなく連なることができたこともまたうれしいことでした。

 その他、日本に留学にきていた友人たちや国際学会で知り合った友人をたよって、エストニア、ブルガリアなどでお話をする機会を得ましたが、たとえばブルガリアではジェンダーセンターでオスマン朝の一夫多妻婚について研究されている先生がたいへん熱心に質問してくださいました。

 必ずしも日本古典文学あるいは日本研究の専門ですらない学生さんたちが相手ではありましたが、いろんな分野に刺激になる話題なのではないかとあらためて思いました。召人の説明で、召人と稚児とはヘテロセクシュアルとホモセクシュアルでありながら、どちらもノンプロダクティヴセックスとして同じ扱いだと説明したら、やっぱり召人との性は稚児のと同じやり方だったから、避妊ができたのか?などという質問がでまして、構造的にノンプロダクティヴなのであって、召人は事実として出産はしているのだと説明しましたが、かなり執拗にアナルセックスの可能性があるのかどうか食い下がっていらっしゃられて。中国研究の方でしたけれども。
 こうした交流をとおして、現代との差異の問題だけではなく、世界中の前近代の研究、古代王朝研究などとも今後交流することができるかもしれないと感じました。

 女性の問題のうち母の問題にこだわっているのは、摂関政治というのが、天皇の父ではなく母になろうとする戦略であったこととかかわります。しかし母の母性的役割は、宮廷社会においては、乳母が代理しているので、結局、天皇の乳母になること、それが至高の地位だという奇妙な反転のようなものがあります。このことは、歴史的にも、乳母に対して、乳父(めのと)(めのと)ということばが現れたり、傅(めのと)(めのと)という役が男性の後ろ見役に使われるようになっていくという歴史研究の成果から跡づけられると考えました。

 最後に今後の展開について、自分へのプレッシャーのつもりで野望を少し述べておきたいと思います。日本文学研究は、残念ながら現在ものすごく注目されている分野というわけではありません。それどころか教養部が解体されて以降、ますます文学研究という分野の存続もあやしくなっていると思います。私の90年代の学問の歩みは、日本文学研究がものすごくおもしろい時期をみてきているので、後をゆくものとして引き受けていかねばならないことだと思っています。たくさんの国々で日本文学研究が盛んに行われ、日本にくる留学生は信じられないほど優秀です。世界中に日本文学研究者が広がっているということは、遅かれ早かれ、日本の日本文学研究のような斜陽の時代を世界中が迎えるときがくるということではないかと危惧します。日本文学から他の世界の文学へ、あるいは他の研究分野へ発信的な研究を出していく必要があるのではないかと感じています。

 日本ではちょうど教養部を失った時期に、さまざまな分野について学ぶ機会を失ったと同時に、さまざまな分野について興味や関心をもたなくてもよい、専門のことだけわかればよい、という学生が増えていったと思います。そのことと、ジャンル横断的な研究が失われていったことは、ほぼ同時期に起こっていることだと思います。

 私としては、さまざまな分野で、さまざまな素材から、同じ問題が論じられることがむしろ必要だと思っています。そのために、日本文学研究はどこへむかって言ったらいいのでしょうか。基本的に90年代までのジャンル横断的な研究というのは、ヨーロッパやアメリカの研究や文学理論を日本文学で考えるという輸入型のスタイルでした。今後は、世界中の人たちが日本文学を読んでいるのですから、日本文学から、世界に向けて、文学理論を発信していくことができるのではないかと考えています。そうすることで、あたらしい問題提起や、もしかしたら解決できずに放置された問題についてあらたな視点を提示できるかもしれません。

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 そこで、昨年、『日本文学からの批評理論―アンチエディプス・物語社会・ジャンル横断』(笠間書院、2009年)という本をアメリカの研究者とともに出版しました。ちなみにこの本は2年前にアメリカで行われた国際シンポジウムからできあがったものですが、今日、かけつけたくれた友人の内藤まりこさんがアメリカ滞在中に企画したもので、ここにいらしてくださっている安藤徹さん、生方さんもその仲間です。来年の9月にこんどはヨーロッパで、この問題を共有するための国際会議を開く予定ですが、日本文学から輸出といったらあれですが、発信的な研究を目標にしつつ課題をさぐっていきたいと考えています。

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*本特集の第三回目のレポートでは、コメンテーターの方々の講演についてお伝えします。








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